第31話 涙を流す理由《わけ》
風が弱々しく僕らの言葉を届けている河川敷は、ひなびた地に咲く花のような香りで降り注ぐ夕陽を包んでいた。カラスの鳴き声が
深まる秋の夕暮れ。夜の気配が
何かに思いを馳せるように空を見つめているエリ。柔らかな光がエリの髪を
「……エリ、きみは彼女の妹だったんだね」
舞い落ちる
「……
その言葉で、彼女がもう隠すつもりのないことを悟った僕は、ゆっくりと頷いた。
「そっか」
「……ごめん」
「なんでセンパイが謝るの? 黙ってたのはあたしなのに」
「でも知ってほしくなかったから、黙っていたんだろ? 来栖くんに訊かずに、最初からきみに直接訊くべきだったって思ってる」
あいだに来栖くんを挟んだのは、単に僕に勇気がなかったからだ。もしも本当にエリが彼女の妹だったら、罵倒されるかもしれない。快活さに満ちた少女の口から僕を責める言葉が次々と飛び出していく。
そんな想像が僕を臆病な人間にさせてしまった。あるいは間接的に訊く方がずっと相手を怒らせるかもしれないというのに。
「別にいいよ」と、しかしエリは微笑んだ。「でもホントはね、今日のデートが終わったら、あたしから言うつもりだったんだよ?」
「……そんな気はしていたよ」
「……ごめん」
「もうっ、だからなんでセンパイが謝るの?」
呆れたように笑うエリに、しかし僕は重い言葉を続ける。
「……ずっと、思ってたんだ。彼女の妹に会ったら、謝ろうってずっと思ってた。僕が、彼女を殺したようなものだから」
「……」
いつか、こんな日が来るとは思っていた。彼女に妹がいることは知っていたから。だけど自分から訪ねる勇気は持てなくて、結局、こうしてエリの正体に気づくまで、僕は何も行動を起こすことが出来なかった。
遅すぎる謝罪。遅すぎた
「——許さない」
と、彼女の妹が言った。
「……許せるわけ、ないじゃん」
だけど、エリはすぐにその表情をふっと緩めて、
「——って、思ってた。センパイに会う前まではね」
険悪な雰囲気を霧散させる。
「この前言ったこと、あれ嘘じゃないよ。……仕方ないよね。ひと目惚れだったんだから」
それからエリは僕に向かって秋の風のような微笑をたたえて言った。
「好きだよ、センパイ」
二度目の告白は、けれどまた寂しそうな顔で告げられる。普段目にする少女の姿には似合わない表情。一体だれがこんな顔をさせているのだろう。僕は情けなさに唇を噛み締めた。
「……ホントはね」と、エリは言う。「センパイと初めて会った日、あたし思いっきり責めてやろうって思ってたんだよ。センパイの胸ぐらを掴んで、どうしてお姉ちゃんを見殺しにしたの! って責めるつもりだった。……でも出来なかった。センパイの目を見ちゃったから」
優しげに細められた目は遠い過去を映していて、もう戻れない時間を懐かしむように口元は曲げられていた。
「ああ、この人はなんて悲しい瞳をしているんだろう。なんて辛そうな目で世界を見ているんだろう。そう思ったら、怒りなんてどっかいっちゃて、残ったのはただセンパイの笑顔が見たいなって想いだけだった。ふふっ、薄情だよね、あたし。お姉ちゃんよりも、初めて会った男の人に惹かれちゃったんだから」
自嘲するように同意を求めてくるエリに、僕は沈んだ表情のまま言った。
「……僕がもっと強かったら、彼女を失うことも、きみにそんな顔をさせることもなかったんだ」
「かもしれないね」
「だったら……!」
「でも、わかんないよ……もしものことなんて」
ぽつりと呟いたエリの言葉は、過去を嘆くようにも、未来へと思いを馳せるようにも聞こえた。
エリは言葉を続ける。
「お姉ちゃんってさ、昔から人付き合いが悪くて、だれか他の人の話をすることなんて滅多になかった。たまにしてきても凛ちゃんの話くらいで。いま思うと、ずっと魔法使いとして戦ってきたからだったんだね」
そう告げるエリの瞳は、まるで眩しい思い出に憧れるシンデレラのようで、消えてしまった靴の
「でもね、そんなお姉ちゃんが、ある時から急に知らない男の話をしだしたんだよね。毎日まいにち電話で聞かされたよ。その人の良いところも悪いところも、耳がタコになるくらいに。どうしてかな?」
「……不満だったんだろう、その人のことが」
「ううん。きっと、その人のことが本当に好きだったんだろうね」
「……」
夜が音もなく近づいていた。いつの間にか、空に星が
いつまでも変わらずにあり続けると信じられる星。でもいつかは変わってしまうと決まっている星。
エリはそんな星たちが輝く空の下で、ぽつりと言葉をこぼす。
「……あたしはね、センパイ。お姉ちゃんが好きだった人が、お姉ちゃんが信じた人が、このまま終わるわけがないって信じてる。いつかきっと、センパイなら、お姉ちゃんの想いを背負って、前を向いて生きていけるって信じてる」
朗らかに告げるエリに、僕は感情を
「センパイってさ、泣かないんだね」
「……泣くように躾けられてないんだよ」
「お姉ちゃんが死んだ時は?」
「……約束したんだ。泣かないって」
「そっかァ……だからなんだ」と、エリは呟いた。「だからセンパイはいつまでも苦しんでるんだね」
肌寒さの増した夜の河川敷に少女の声が響いていく。無感動に見つめ続ける僕に、少女は言った。
「泣きなよ。泣かないとダメだよ」
「……泣いたら、全部なかったことになるのかい?」
だとしたら、僕は世界を覆い尽くすまで涙を流して見せる。でも、事実として、涙は世界を変えられない。だれかを失ったために泣く。それはただ——。
「ただ、同情を引くだけだ。そんなものに意味はないよ」
だけどエリは優しく告げてくる。僕の頬に、そっと触れるような仕草をしながら。
「違うよ。涙はそんなことのために流すものじゃない。涙はね、悲しみを癒すために、悲しむ心を助けるために流すんだよ」
優しい光がエリの頬を流れていった。涙よりも温かな感情だった。あるいは僕の代わりに、彼女が泣いてくれているというのだろうか。そんなはずはない。この世界には悲しいことが多すぎる。他人の感情を共有できるというのなら、僕らはみんな
だれかの感情を肩代わりできるほど、僕ら人間は強くなれない。自分のためでしか、人は涙を流すことはできない。
「……どっちにしろ、僕には関係ないね」
少女の目から逃れるように視線を空へと向けた僕は考える。
もしも本当にエリの言葉が正しいのだとしても、涙を流せば悲しみが癒えてくれるのだとしても、彼女を失ってから既に一年、僕の心が癒されるには時が経ち過ぎていた。
たとえ今僕の目から熱い感情がこぼれていったとしても、それは
夕陽が完全に山に沈んだ。月のない空に星たちは輝いている。エリの表情は見えない。ただ声だけが聞こえてきた。
「……忘れないで、センパイ。いつか、きっと世界はセンパイに微笑みかけてくれるよ」
そうして僕らはそれぞれの
分かれ道でふと空を見ると、重く冷たい雲が星空を隠すように広がり始めていた。
僕はそんな空を見ながら、どうして彼女の妹であるはずの少女が、彼女を守ってくれなかった世界に対しあんな
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