第30話 そっくりじゃねえか

『——別に隠してたわけじゃねえさ』と来栖くるすくんは言った。『特にかれたわけじゃねえからな』


 人気ひとけのない校舎のすみ。冷たい雨の降る屋上へと通じる階段で、今日もまた彼は焼きそばパンを食べていた。案外気に入ってるらしい。


 しかしそんな来栖くんに、僕はしぶい表情を浮かべて言った。


『訊かれなければ教えてくれないことを隠し事って言わないなら、世の中に嘘は必要なくなるよ』

『ははっ、言えてるな』


 焼きそばパンをひと口かじり、飄々ひょうひょうと笑う来栖くん。僕はもたれかかる壁の冷たさを感じながら言葉をこぼした。


『……じゃあ、本当にエリは彼女の妹なんだね』

『ああ、正真正銘のな』

名字みょうじが違うのは、偽名ぎめいってこと?』

『いや、〝杉屋町すぎやまち〟ってのはアイツらの母親の旧姓なんだ。それを名乗ってるってだけさ』

『そう……』


 よくある話だった。優秀すぎる親族と比較されることを嫌った子が、名前を隠して活動するなんてことはどの分野でも枚挙まいきょにいとまがない。実際、僕だって〝桜宮〟という名に縛られている。捨てたいと思ったことも一度や二度ではない。


 だから、そのこと自体に思うところはない。


 僕の心に影を撃ったのは、別の事実。エリックや朱音あかねさんだけでなく、僕以外のみんながそれを知っていたということ。


 その事実が、また僕を嫉妬深しっとぶか詩人しじんにさせていた。詩人は嘘を愛するけれど、それ以上にさびしさを嫌った。一年前の秋。僕をおそった喪失そうしつが再び僕の胸に去来きょらいする。


 知らなかったのは、また僕だけ。僕だけがまた、知らされなかった。


『どうして……』


 悲しみを吐き出すように漏れた言葉は、いかりを含んだ声となって来栖くんの耳に届いたらしい。


『そうおこるなよ』と来栖くんは笑った。『ホントのこと言うとな、黙っててくれって頼まれたんだ』

『……頼まれたって、エリに?』


 来栖くんは頷くと、


『お前が知ったら、自分を見るたびにアンリのことを思い出させてしまう。いつまでも辛い気持ちにさせてしまうかもしれない。でも何より、自分のことを風戸アンリの妹としてではなく、ひとりの人間としてお前に見てほしいってな』

『どうして、そんなことを……』

『さあな。好きだからじゃねえのか、お前のことが』


 何気なにげない様子で呟く来栖くんを僕はハッとして見つめた。


『……知ってたんだ』

『ま、お前よりはな』


 不思議ではなかった。来栖くんは風戸アンリと幼馴染だった。ゆえに妹である杉屋町エリとも、僕なんかよりもずっと付き合いがある。積み重ねた時間を埋められるほど、僕は彼女のことを知らなかった。知ろうとしていなかったのかもしれない。


『……わからないよ。どうして僕なんかを好きになるんだろう』


 呟いた僕に、来栖くんは星を見るような目をして言った。


『——いるのか、理由が?』

『え?』

『人が人を好きになるのに、理由なんて必要か?』


 僕は答えた。


『……必要だよ。少なくとも、僕にとっては』


 しかし来栖くんはなにも答えない。口に入れた焼きそばパンを咀嚼そしゃくするために、ただじっと口を動かし続けていた。


 訪れた静けさの中で歌が聞こえていた。聞いたことのある歌だった。彼女が好きだった歌だ。世界の矛盾をうったえ掛ける歌詞かし。ノスタルジーを想起そうきさせるリズムに乗ったその歌詞を、彼女はいつも口ずさんでいた。


 沈黙に耐えきれなくて、僕は来栖くんの隣に腰を下ろしながら言った。


『この前、彼女に訊かれたよ。風戸アンリみたいになれるかって』

『へー』来栖くんは焼きそばパンの最後のカケラを口に入れて言った。『それで? お前はどう答えたんだ?』

『無理だって言ったよ。風戸アンリは天才だからって』

『ははっ、怒っただろ、エリのやつ』

『怒ってたよ。悲しそうにね』

『だろうな』


 食べ終えた焼きそばパンのつつみをくしゃりとつぶしながら来栖くんは言った。


『アイツにとって、アンリはただの姉貴だったんだ。おっと、誤解すんなよ? ただの姉貴ってのは取るに足らない存在って意味じゃねえ。魔法使いってことや、天才的な才能の持ち主だってことに関係なく、アイツにとってアンリはただの姉貴だったんだ。俺の言ってる意味、わかるか?』

『……わかる気がするよ』


 僕には兄弟がいないから本当のところはわからないけれど、でもやっぱり兄弟というのは特別な存在なんだって思う。


 だからこそ、一昨日おとといの訓練の後、彼女は吐き出したんだ。僕らが〝天才〟と呼ぶ風戸アンリが、たとえどれだけ世界にとって必要な存在でも、〝普通の女の子〟だったということを僕に思い出させるために。


『妹、か……』


 僕は立ち上がり、窓から校庭を見下ろしながら言った。


『……あまり似てないね』

『そうか?』と来栖くんは薄く笑った。『——そっくりじゃねえか』


 チャイムが鳴り、僕は教室へと戻った。


 五時限めはLHRロング・ホームルームだった。文化祭の準備のために六時限目まで続くLHR。教師が受験について説明している。それから文化祭の話に移った。もう間も無く開催される文化祭。僕ら三年生にとって最後の文化祭だった。


 そういえば、彼女と初めて話したのも文化祭が間近まぢかせまった頃だったと思い出す。今とは違い、鳥が歌うような空の下で僕らはひどく不器用な会話を交わした。きっと僕らはえていたのだろう。僕は日常を壊してくれる存在に、彼女は日常を守ってくれる存在に飢えていたから、僕らはあの日、互いの存在を求め合ったのだ。


 どうにもならない感情の逃げ場を探し、僕は窓から空を見た。もうすぐ秋が終わろうとしている空は、けれどいつまでも秋が続いていくのを望んでいるかのように曇り続けている。依然として雨は僕の心を示すように空を黒く染めていた。


 いつか雲が晴れる日が来るのだろうか。わからない。少なくとも、〝残滓ざんし〟が世界から消え去る日が来なければ、そんな日も永遠に来ないことだけはわかっていた。


 にごった空にえがくように、僕は彼女の表情、エリの笑顔、それから来栖くんの言葉を思い出してみた。


 ——そっくりじゃねえか


 確かにそうかもしれない、と僕は思った。

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