第20話 ハニーレタスよりも甘い特訓風景

 依然いぜんとして雨が降り続ける土曜日の朝。


 僕はエリとの約束を果たすために基地へと向かった。基地の地下には大規模な訓練施設がある。そこで僕らは腕をみがくのだ。


「……きみはもう少し力を抜くべきだ。そんなに肩肘かたひじを張っていたら、上手くできるものもできなくなるよ」

「むぅ、そんなこと言われてもわかんないよー!」


 訓練を始めてから一時間ほどが過ぎた頃、エリは訓練用の竹刀しないを投げ出し、不貞腐ふてくされたようにゆかへと倒れ込んだ。


「うぅホントならセンパイとデートのはずだったのに! なんで休みの日にこんなことしなくちゃいけないの!?」

「……きみが言い出したことじゃないか。大体いきなりどうしたんだよ? 近接戦きんせつせんのやり方を教えてだなんて……きみは魔法使いなんだ。前に出て戦う必要はないよ」

「嫌だ。あたしも詠唱えいしょうしながら動けるようになりたいの!」


 エリの言葉に僕は目を丸くする。


「なんだ……きみはそのために訓練をしていたの?」

「そうだよぉ」と、いじけるようにエリは言った。「……だってあたしが詠唱中にも動けるようになったらさ、センパイたちもちょっとは楽になるでしょ?」

「それはまあそうだけど、でも、難しい技術だ。正直言って、きみにはまだ早いと思う」

「むぅ……でも、アンリさんはできたんだよね?」

「まあ、ね」

「今のあたしとおなじ歳で」


 僕はうなずいた。確かに風戸アンリは詠唱中にもかかわらず僕らと一緒に戦うことができた。それだけじゃない。そんな状態でも彼女は僕らよりもずっと上手うまけんあつかえた。だからこそ、彼女には専属の騎士きしがいなかったのだ。騎士がいなくても、だれよりも強く戦えたから。


「ならあたしだってやる! やってみせる! あたしだって、もっと強くなりたいの!」


 そう言って勢いよく立ち上がったエリは竹刀を取り、詠唱を開始する。そしてそのまま僕に打ち掛かろうと動き出した。しかしその瞬間にエリの詠唱は途切れてしまう。


「——あーもうっ! なんでできないの!?」


 苛立ちをあらわにするエリ。僕はため息を吐いて言った。


「……その心意気は認めるよ、エリ。だけどきみはまず魔法をきわめるべきだ。千里せんりの道も一歩から。風戸アンリだって、最初から全てをこなせたわけじゃない」


 多分だけどね、と僕は心の中で付け足した。


「……ぶー、センパイのイジワル! オニ! アクマ! スケコマシ!」

「なんとでも言ってくれ。きみのために言ってるんだから」

「……ぶー」


 子どものように悪態あくたいくエリだったけれど、渋々ながらも納得してくれたようだ。


 僕らは場所を変えて訓練を再開することにした。今度は射撃場で、魔法の訓練を。


「——〝ペル・ボルティング〟!」


 なめらかな詠唱に天を撃つような魔法がとどろき、哀れなマトが黒いちりとなって消え去った。


「——よし! どう、センパイ? よくなってきたでしょ?」


 拳をグッと握り、得意げに胸を張るエリに僕は肩をすくめて、


「さすがの威力だ。けれど、きみの実力ならもう三十秒は早く唱えられるはずさ」

「えーホントに言ってるぅセンパイ!? そんなに早く人の口はまわんないよー!」

「別に正しく発音する必要はないよ。彼女が言っていたんだ。意思さえ込めれば、魔法は発動するって」

「……うぅわかった。やってみる」


 それから何度めかの挑戦のあと、


「——やった!」 

「……驚いた。ホントにやっちゃうなんて。凄いよ、エリ」


 並の魔法使いの半分——四十秒ほどの詠唱を縮めることにエリは成功した。やはりエリには魔法使いとしての才能があるらしい。……当たり前、か。普段の態度で忘れがちだけれど、杉屋町すぎやまちエリは風戸アンリの代わりとして僕らの基地に派遣されてきたのだ。彼女の代役としてキャリバンが選んだ以上、並の才能の持ち主ではないはずだった。


「くっ、やはりあたしは天才だったか——あいたっ!」

「調子に乗りすぎ」


 すっかり機嫌が直った様子で調子付くエリにデコピンをくらわせたあと、僕は時計をみて告げる。


「そろそろ休憩にしようか、エリ。もう十三時だ」

「あ、もうそんな時間なんだ」

「お腹も空いたし、食堂で何か食べよう」


 そう言って僕が歩き出したところで、


「——あ、待ってセンパイ! それじゃあ休憩室に行こうよ!」

「休憩室に? でもあそこに食べ物は何もないよ? 食堂で何か食べてからでもいいんじゃない?」

「それじゃダメなの! いいから行こう、センパイ!」

「お、おい……!」


 腕を引っ張られ、引き摺られるように休憩室へと移動した僕は、備え付けの冷蔵庫をゴソゴソとあさりはじめたエリにむかって、


「何もないと思うよ、エリ。ここにあるものは来栖くんが食べ尽くしてるだろうし」

「えへへ、それがあるんだなぁ〜」


 と、しかし冷蔵庫から何かを取り出したエリは、それを頬の横へと持ち上げて、


「——じゃん、なんとお弁当です! あたしが作ってきました!」

「きみが……?」僕は驚いて言った。「でも、どうして……」

「ふっふっふ、言ったでしょ? あたしはセンパイが好きって。あれ、冗談なんかじゃないよ? アピールしていくって決めたんだから!」

「……なるほど。だけどずいぶん古風なやり方だ」

「古風でもなんでも、男を落とすには胃袋からってねっ。さ、いいから食べよ♪ センパイ♪」


 ソファへと移動した僕らの前に重箱のようなお弁当が置かれる。


「——じゃじゃーん! ご開帳ぉー!」


 開けられたお弁当箱のなかには多種多様なおかずが品よく詰め込まれていた。


「へぇ見た目は悪くないね」

「ふっふーん♪ 甘いよセンパイ♪ ハニーレタスよりも甘いと言わざるを得ないね♪」

「……というと?」

「見た目だけじゃないってこと♪ ま、食べてみてよ!」


 ニヤニヤと見つめてくるエリ。僕は喉を鳴らしながらも手を出すのに躊躇ちゅうちょしていた。サニーをハニーと間違えるような料理人の作品だ。いくら見た目が良いからといって味の保証はできない。


「……ふむ」


 しかし美味おいしそうな見た目であることに違いはない。お腹が空いていた僕は、じっと見つめられる居心地の悪さを感じながらも箸をのばしていった。


「……」

「……ど、どう? おいしい?」


 それでもやはり不安だったのか、恐る恐ると言った様子で訊ねてくるエリに、僕は――。


「——意外だ。とても美味しいよ」

「わ、ホント!?」

「うん、ホントに美味しいよコレ」

「よかったぁ~、ホントはセンパイの口に合うか不安だったんだぁ」


 食べ続ける僕を見ながらエリはほっとしたように呟いた。


「えへへ、でもあたしも意外だなぁ。ちゃんと美味しいって認めてくれるんだ? センパイのことだからまた何か変な言いがかりをつけてくると思った」

「……きみは僕をなんだと思っているんだ……美味しいものは美味しいと言わないなんて、自分のために作ってきてくれた人に対して失礼じゃないか」


 言って、僕はたまご焼きを取って口に運ぶ。素朴で僕好みの味付けだった。


「すごく美味しいよ。頑張ったんだね、エリ」

「ふ、ふーん……」


 エリは忙しない様子で肩口の髪をいじりながら、


「で、でもやっぱりちゃんとしつけられてるんだね、センパイって。あーあ、なんだか悔しいなぁ」

「……別に普通だろ? 礼儀を大切にするのはどこの家庭でも一緒さ。〝桜宮さくらみや〟だけが特別じゃないよ」


 少しだけムッとした僕は小さなハンバーグを乱暴に箸で掴んで口に放り込む。焦げていたのか口の中に苦味が広がった。


「ん、あはは、ごめん。あたしが言いたいのはお……じゃなくて、アンリさんにってこと」

「? どういうこと?」

「んっとつまり——」


 エリは言った。


「——センパイはアンリさんに女の喜ばせ方の手ほどきをされてるんだってね♪」


 あやうく吹き出しそうになった。アイスクリームが溶けたような頭痛を感じてこめかみを抑える。


「ほら、なんていうのかさ。ちゃんと褒めてくれるし、心をくすぐられる感じ?」

「……はぁ、バカだバカだとは思っていたけれど、認識を改めるよ。きみは極上のバカだ。時代が違えば、あるいは大統領にだってなれるよ」

「えへへ、そうかな? なんだか照れちゃうよ」

「……褒めてないよ」


 そんなふうにして僕らはたわいのない会話を交わしながらお弁当を平らげていった。実際のところ、エリの作ってくれたお弁当は本当に美味しく、憂鬱な秋雨あきさめを吹き飛ばしてくれるような味だった。


「……ふぅ、ごちそうさま。ありがとう、エリ。本当に美味しかったよ」

「お粗末さまでした! また作ってくるね♪」

「ま、ほどほどにね」


 それから僕たちは訓練を再開し、夕方まで特訓に励んだ。結局、最後までエリは詠唱中の移動に挑戦しながらも習得できなかったけれど、ふたりにとって充実した時間を過ごせたと僕は思う。

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