第19話 いつか雲が晴れた時に
傘を借りて
傘に落ちる雨は激しさを増し、結局、今日もまた僕らの心を冷たくさせる。地面から
雨、雨、また雨——。
いつまでも降り続ける雨にうんざりし始めていた僕は公園に行くことにした。昨日エリを待っていた公園。あそこでなら、あるいはまた雨が好きになるかもしれない。
しかしそこで僕は意外な姿を見かける。
「……エリ?」
「どうしたんだい? こんな雨のなか」
その似合わない姿に傘を閉じることも忘れ、僕はエリにむかって声をかけた。「だれかと待ち合わせにしては真剣な表情だね」
エリはゆっくりと顔をあげて僕のことを見た。その
「別に……」
とエリは小さく呟き、小さな言葉をこぼした。
「雨の音を聴いてたの」
「雨の音?」
僕は
「それよりセンパイは? どうしてここに来たの?」
「
「ふーん、じゃあ運命に
僕は思わず
「さっきからずいぶん
「センパイ知らないの? 偶々ってことは、もうそれは運命ってことなんだよ」
「……いったいどうしたっていうんだ、エリ。きみらしくないよ」
「……」
常ならざるエリの様子に僕が戸惑っていると、エリは雨が地面に
「——センパイはさ、いま何のために戦ってるの?」
いやにはっきりと耳に届く声だった。
「どうだろう……」と僕は答えた。「生き残るのに必死で、考えたこともないよ」
「嘘」
「嘘じゃないさ」
「嘘だよ。だってそれは……
「……エリ」
どうしてか、僕の
「……確かに僕は強くなったかもしれない」と僕は言った。よりいっそう強く傘を叩きはじめていた雨に負けないような声を意識して。「でも、それはあくまでも肉体的なことなんだ。レベルを無理やり上げられた勇者みたいなモノで、精神的には何も成長していない。本当に、何も」
むしろ弱くなったとさえ思う。今にして思えば、あの頃の僕は純粋な子どもだった。与えられたお使いに満足できず泣き出す
そして恥知らずだったからこそ、僕は何も考えず必死で彼女についていくことができた。
「……だから結局、僕は何も変わらないんだ。だれかを守れるくらいの強さを手に入れても、自分で自分の
「……そっか」とエリは呟いた。「センパイはアンリさんのことが本当に好きだったんだね……」
それからエリは僕の言葉を待たずに僕に向かって言った。
「——ねえ、センパイ。あたしさ、センパイのこと好きだよ」
僕は
「……僕も好きだよ、きみのこと。もちろん、後輩としてね」
しかし杉屋町エリは首を振る。ゆっくりと、世界が終わってしまったことを告げるサンタクロースのように。
「ううん、そうじゃなくて……異性として、好き」
「……わからないな。いったい僕のどこに惹かれる要素があるって言うんだい? 自分のことにいつまでもうじうじと思い悩むようなつまらない男だよ、僕は」
彼女は優しく微笑んだ。
「ひと目惚れって言ったらどうする?」
「……眼鏡をかけることをお勧めするよ。あるいはよく目を洗うんだね」
「あはは、だったらセンパイ、買いに行くの付き合ってよ」
冗談めかした言葉で、しかし
さめざめとした雨粒の音がまるでだれかの泣き声のように響いている傘の下で、僕は
「……初めて会ったときのセンパイの目が忘れられないんだよ」
やがて杉屋町エリはぽつりと呟いた。
「まるで、夏の夕暮れみたいな目だった」
どこかで聞いたようなセリフを。
「……前にもそんなふうなことを言われたことがあるよ。その時も僕には意味がわからなかったけどね」
「そうなの?」とエリは
「泣きたい気分? どうして?」
「だって夕暮れには
僕にはわからなかった。それに僕には夕暮れこそが希望に満ちた空だと思った。少なくとも、こんな
だけど杉屋町エリは否定する。あるいは風戸アンリもそうだと言って。
「よくわからないけど……それじゃあ、きみにとって希望の色を
エリはにっこりと笑って答えた。
「——雨あがりの空のような瞳。それがあたしにとって、これからの希望に
「……雨あがりの空のような瞳」
僕は呟いて、十月の空から落ちる
しかしそんな秋の空の下で、杉屋町エリが言った。
「……いまはまだ無理かもしれない。でもねセンパイ。いつか必ずあたしが、世界は希望に満ちたモノだってこと、センパイに思い出させてあげるよ」
ひどい冗談だと僕は思った。世界が希望に満ちているのなら、いったいどうして彼女は死ななければいけなかったのだろうか。なんで彼女ひとりだけが……。
「——だからさ、デートしようよ」
僕の思考を遮るように杉屋町エリが続けた。
「今度の土曜日にさ、あたしとデートしようよ」
「……嫌だ。僕は忙しいんだ。きみの
「むぅ、ひどいなぁ。じゃあ訓練に付き合って。それならいいでしょ?」
「……まぁ、それくらいなら」
「よし! じゃあ決まりね!
「……まったく。僕の知り合いは強引な人が多すぎるよ」
僕はため息を吐いて、傘越しの目に
「じゃあね、センパイ!」さっきまでとは対照的な様子でベンチから立ち上がり、明るく微笑んだエリは僕を指差して、「——約束、忘れないでよ!」
走っていくエリの姿をぼんやりと眺めながら、ふいに満天の星空が見たいと思った。こぼれ落ちるような星空の下で、
しかし星はどんなふうに見えていただろうか。
もうずいぶん長い間見ていないから、どうやら忘れてしまったらしい。
僕にはもう思い出すことができなかった。
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