第14話 〝残滓〟の可能性

 みんなが落ち着きを取り戻し、えんもたけなわになったところで話題は移っていった。


 つまりは僕らの今後についての話だ。


「にしてもいつまで続くんだろうなぁ、戦いってヤツは。俺はもう疲れたよ」


 週末の会社員のようにジンジャーエールを飲みながら、いつになく弱気な発言をする来栖くるすくんに僕らはみんな驚いて彼を見た。その視線が恥ずかしかったのか、バツの悪そうな顔を浮かべて来栖くんは言葉を続ける。


「だってよぉ、もう一年だぜ? もう一年も俺たちは〝残滓ざんし〟と戦い続けてるって言うのにさ、世界から〝残滓〟がいなくなるきざしすら見せねえ。これじゃあなんのためにアイツが〝魔王まおう〟を倒したのかわかんねえよ……」


 素面シラフのはずである来栖くんが愚痴ぐちをこぼす姿は、きっと将来泣き上戸じょうごになるんだろうと僕らに思わせた。だけど彼の語る言葉は僕らの心の代弁だいべんでもあったから、僕らはしんみりと聴き入っていた。


「だいたいさ、おかしいだよ上層部の奴らは。こんな世界になったのだって、元々はアイツらの失態なんだぜ? それを尻拭しりぬぐいは俺たち末端まったんにやらせてるんだ。やってらんねえぜ、ホントによぉ。そもそもアンリが死んだのだって——」

「——来栖くん」と、しかし行き過ぎた来栖くんの愚痴をいさめるために僕は口をひらいた。「それは彼女が自分の意志で選んだことなんだ。誰の責任でもないはずだよ」

「……わりぃ、らしくないこと言っちまったな。忘れてくれ」

「で、でもさ! いつかは終わるんじゃないの? ほら、〝残滓〟って言うくらいなんだし、いつかは無くなるんだよねっ! そうでしょ、エリック?」


 ピリついた場をとりなそうとするエリに、けれどエリックは曖昧あいまいうなずきで答える。


『まあいつかはね。でもキャリバンの予測によると、ボクらが今までに倒した〝残滓〟の総量は全体から見ると五パーセントってところらしいからね。まだまだ時間は掛かるんじゃないかな?』

「えーウソっ! 五パーセントって全然じゃん! 計算間違ってるんじゃない、それ!?」

「はは、結局俺らはまだまだ戦い続ける運命なんだ。このクソったれな世界を守るためによぉ」


 会社を辞められない社畜しゃちくのように投げやりな態度でコップをあおぐ来栖くん。しかし来栖くんの気持ちは痛いほどわかった。彼の言うように、僕ら——僕はその前半を休んでいたわけだけれど——が〝残滓〟と戦い始めてもう一年にもなる。そのかん、コンスタントに〝残滓〟は出現し続けているから、もうまもなく〝残滓〟を構成するエネルギーも枯渇こかつするんじゃないかと思っていた。


 だけどエリックの話から考えるとあと二十年。それだけの時間を僕らは戦い続けなければいけないことになる。それはとても長い時間だった。


『まあ、あくまでも推定だから断言はできないけどね。だけど十パーセントにも満たないっていうのは確かみたいだよ』

「もっと早く無くなるようにはならないの?」とエリが問いかける。「例えば蛇口じゃぐちひねって垂れ流しちゃうみたいにさ?」

『もちろん大量のエネルギーが一気にき出されるようなことがあればもっと早くなるし、逆に小出しにするようになればもっと長くもなるさ。でもまあ、ボクらとしては前者ぜんしゃのようなことが起きないよういのるべきだね』

「え、どうして? どんどん一気に使ってくれた方がいいんじゃないの?」


 僕はエリックから説明を引き継いで言った。


「考えてもみなよ、エリ。そもそも〝残滓〟の強さはその身を構成するエネルギー量によって決まるんだ。エネルギー量をコストって言い換えてもいい。例えば全体のコストが百だとして、そこから一のコストを使えば植物型が、五のコストを使えば幻獣型が召喚できるというふうな具合にね。そして重要なのは、込められたコストの分だけ〝残滓〟は強くなるってこと。わかるかい?」

「むぅ、それぐらいわかってるってば、センパイ」しかしエリは不満そうにくちびるを突き出して、「あたしが言ってるのはさ、幻獣型がどんなに強くても、やっぱり一回でも戦う回数は少ない方がいいんじゃないのってこと。エネルギーを一気に込めるってことはさぁ、その分だけ早く無くなって、戦いも少なくなるんでしょ?」

「ああ、そういうことか。うん、それはもちろんそうだよ。……だけどさ、エリ。きみのその意見は、〝残滓〟の強さの上限が幻獣型までだという不確かな前提ぜんていから成り立っている希望的観測に過ぎないんだ」

「どういうこと?」

「いいかい? 僕らが使っている〝残滓〟のグレードは、単純にこれまで出現した〝残滓〟を似たカテゴリーごとに分けたものでしかないんだ。だからまだ見ぬグレードの〝残滓〟が眠っている可能性は否定できない。さっきの例で言えば、十や二十あるいは百のコストを使うことによって召喚される存在がいるかもしれないんだよ。そうだよね、エリック」

『うん、幸人ゆきとの言う通りさ。確認されていないだけで、幻獣型以上の〝残滓〟が出現する可能性は十分にある。いや、むしろ出現しないはずがないんだ。〝残滓〟という存在の意味を考えればね』


 モニターから僕らを見回みまわしてエリックは続ける。


『そもそも〝残滓〟——つまり〝魔王の残滓〟の正体はその名の通り、風戸かざとアンリが〝魔王〟を倒した後に世界に飛び散った〝魔王〟のちからのことなんだ。ボクらは残りカスと言うこともあるけど、正確にはそれは間違っていて、決して残りカスのことなんかじゃない。。だからもしもそれを一箇所に全て集めることができれば、』

「おいおい、一体どうなるっていうだよ?」

『ふぅ、相変わらず来栖はにぶいね。つまりは——』

「——〝魔王の残滓〟は〝魔王〟以上にはなれない。けれどそれは裏を返せば、〝魔王〟と同等の強さにはなれるってことだよ」

『さすがだね幸人。そう、世界じゅうに散らばっている全てのエネルギーが集まれば、〝魔王〟に近しい強さの〝残滓〟が顕現けんげんする。もちろん理論上では、だけどね』

「……マジかよ」


 〝魔王〟の恐ろしさを肌で感じていた僕らは黙るしかない。あんな存在が現れるのはもう二度とごめんだった。


「……あたしさ、詳しく知らないんだけど」と、しかしそんな空気のなかでエリがまよねこのような声で呟いた。「〝魔王〟ってどれくらい強かったの?」

「そりゃお前、めちゃくちゃだったぜ。ってかエリだってキャリバンの一員なんだ。肌で感じたことくらいあるだろ?」

「だ・か・らッ! 感じたことないから訊いてるの! バカなんじゃない来栖センパイって!」


 まだ先の出来事揶揄われたことが尾を引いているのか、来栖くんに当たりの強いエリ。そんな様子に微笑ほほみながら僕は言った。


「仕方ないよ来栖くん。エリがキャリバンに入ったのはちょうど一年前で、その頃にはもう〝魔王〟はいなかったんだからさ」

「っと、そういやそうだったな。はは、つい忘れてたぜ。エリの態度があんまりにもデカいモンだからよ、くくっ」

「このッ……はぁ、もういいよ。それでどうなの? 幻獣型の十倍ぐらい?」


 来栖くんへの怒りを抑えて再度訊ねてくるエリにむかって、エリックが答える。


『十倍なんてもんじゃないよ。百倍でもかないくらいさ。〝残滓〟っていうのは結局、バラバラになった〝魔王〟の力を使って〝魔王〟を再現しようとする粘土細工みたいなものだからね。わかるかい?』

「うん、まあなんとなく……つまり、〝魔王〟の強さがシャチだとすれば、幻獣型のそれはホオジロザメに過ぎないってこと?」

『独特なたとえだけど、的はているね。うん、魚類ホオジロザメ哺乳類シャチでは根本的に体の構造が異なるように、〝魔王〟と〝残滓〟ではそもそもの概念がいねんが違うんだ。エリの言葉を真似するなら、それはアリとゾウを比べるようなモノで、比べられる次元にはいないんだよ』

「うーんなんだかよくわかんなくなってきた……結局さ、現れるかもしれない〝残滓〟っていうのは、どれくらい強いの? あたしたちでも勝てそうなの?」

「ああ、そうだぜエリック。はっきり言ってくれ。——もしも、だ」と、来栖くんは人差し指を立てて言った。「もしも、その可能性ってヤツがいまこの瞬間に出現したら、俺たちは勝てるのか? お前が言うように〝残滓〟が〝魔王〟に似せた粘土細工のようなものならさ、たとえ全てのエネルギーが集まった〝残滓〟が現れたとしても、〝魔王〟に比べたら弱くなっているんだろ? ならさ、俺たちにも勝てるんじゃねえのか?」


 こくこくと賛同の仕草をするエリ。口には出さなかったけれど、同様に気になっていた僕は黙ってエリックの答えを待つ。


『う〜ん、そうだねぇ……』


 と、モニター越しからエリックの考え込む気配が伝わってくる。


『確かに強さの次元が違うのは事実だ。ハリボテのようなものだから、弱体化されることは間違いない。だけど、それでもいまこの瞬間に残りのすべての〝魔王の残滓〟の量から構成される存在が現れた場合——』

「場合……」

『——はっきり言って、風戸アンリのいないボクらでは、たばになったとしてもかなわない。ほろぼされるのを待つだけだ』

「…………僕たち、っていうのは、今ここにいる僕たちってこと?」

『残念だけど、キャリバンに所属しているみんなだ』

「——そ、そんなっ!」

「……はは、マジかよ」


 エリは悲鳴をあげ、来栖くんはかすれた声で呟いた。あまりの衝撃に僕は二の句を継げなかった。


『実を言うと、上層部が今いちばん危惧きぐしているのがコレなんだ。——つまり、風戸アンリのいない世界で、〝魔王〟の強さが復活するという最悪のシナリオを彼らは恐れている。今のボクらにはどうすることもできない問題だからね』


 追い打ちをかけるエリックの言葉を最後に、僕らのあいだに沈黙が訪れる。誰も声をはっしない空間はゆきよるに似ていた。ほんの三十分前の馬鹿騒ぎが嘘のように静かだった。壁にかけられた時計の秒針びょうしんが進む音がいやに耳につく。午後十時四十六分。もう僕らのほかには誰も客はいなかった。レジに立っていた店員が眠そうにあくびをしている。そろそろおひらきの時間だった。


『……結局のところ』と、この宴会を締めくくる挨拶のようにエリックは言った。『ボクらにできることはそんな存在が現れないことを祈るだけなんだ。——そしてあるいは願うしかない。たとえ現れたとしても、自分の力量りきりょうを恥じない大馬鹿者が人類ボクらのなかから現れて、誰かを守るために強大な力を発揮して立ち向かっていく。そんな漫画やアニメのような奇跡が起こるのを、ね』

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