第11話 魔王の残滓

 風戸かざとアンリの犠牲によって〝魔王〟が倒され、世界から危機が去ったといっても、まだ完全に脅威がなくなったというわけではなかった。


 鳥跡とりあとにごさずという言葉があるけれど、どうやらそれは人間がわの都合で、そんな言葉は〝魔王〟の辞書にはっていなかったらしい。


 あれから一年が経った今でもまだ、世界には〝魔王の残滓ざんし〟、あるいは残りカスとでもいうべき存在が出現する。


 それを討伐とうばつすることが、今の僕らキャリバンの仕事だった。


「——お、やっと来たな。ずいぶんな重役出勤じゅうやくしゅっきんじゃないか。え、幸人ゆきと


 僕らが基地にたどり着くとひとりの男がいて、笑いながら僕に軽い言葉をかけてくる。


「文句なら彼女に言ってよ」と、僕は彼の視線をエリにうながして言った。「僕だって雨のなか三十分以上も待たされたんだ」

「えへへ、ごめん来栖センパイ。寝坊しちゃった」

「はぁ、またかよエリぃ。ったく、しっかりしろよな」


 両手を顔の前で合わせて謝るエリに、ぶつぶつ不平ふへいをこぼしている彼の名前は来栖凛太郎くるす りんたろう


 年齢は僕と一緒だけれど、この基地ではいちばんの古株ふるかぶで、実質的なリーダーを任せられている男だった。


 僕は基地の中を進んでいき、設置されている自動販売機の前に立つと、コーヒーのボタンを押した。


 茶色ちゃいろい液体が紙コップにそそがれていくまでのあいだに来栖くんにいておくことにする。


「で、今回の〝残滓〟はどんなタイプなんだい?」

「ああ、それなんだが……」


 来栖くんの歯切れが悪い。その表情にある予感を覚えた僕は眉をひそめてたずねた。


「……まさか幻獣げんじゅう型じゃないだろうね」


 ひと口に〝魔王の残滓〟とは言っても、その見た目と強さから四つのタイプに分類されている。


 グレードの低い順から植物しょくぶつ型、昆虫こんちゅう型、動物どうぶつ型、幻獣型。


 ひとつグレードが上がるたびに、その脅威きょうい度は指数関数しすうかんすう的にね上がる。


 基本的に一組ひとくみの魔法使いとパートナーで撃退できるのは昆虫型まで。動物型以上になると、魔法使いを二人以上含めた分隊ぶんたいが組まれることになり、幻獣型ともなるとキャリバンに所属する全ての魔法使いがり出されることになる。


 もっとも、現れる多くの〝残滓〟は動物型までで、幻獣型が現れるのはレア中のレアだ。


 これまでの間に幻獣型が出現したのは一度だけ。半年ほど前にオーストラリアの近海きんかいに出現した呼称名〝リヴァイアサン〟。それが唯一の出現例だった。


 その頃僕はまだ前線に復帰していなかったけれど、少なくない犠牲を出してしまったと情報として記憶している。


 彼の言い方からそのレア中のレアが現れたのではないかと危惧きぐしたのだが、しかし人類にとってさいわいなことに、来栖くんは首を横に振って答えた。


「心配すんな。ただの昆虫型だよ。……ちょっと見てくれが悪いだけの、な」


 歯切れの悪いままに、来栖くんは意味深いみしんにエリのことをみて笑う。


「来栖センパイ、それってどういうこと?」


 視線に気がついたのか、エリが首をかしげて訊ねた。


「ま、詳しいことはエリックに説明してもらえ」


 来栖くんは意地の悪い笑みを浮かべ続けたままモニターに向かって呼びかけた。


「——おい、エリック! こいつらにも説明してやってくれ!」


 その声に呼応こおうするように、部屋の一角いっかくに設置されているモニターに金髪碧眼きんぱつへきがんの男が映し出された。


『そんな大きな声を出さなくても聞こえてるよ、来栖。まったく君のガサツさは昔から変わらないな』

「ははっ、それが俺の取りだからな」


 来栖くんと軽口かるくちを叩き合い、呆れたように首を振る彼の名前はエリック。作戦行動中、僕らをサポートしてくれる優秀なオペレーターだった。


「それでエリック」僕はコーヒーが入ったカップを手に取って訊ねた。「今日の相手はどんな奴なんだ?」

『ああ、そうだね。だけど言葉で説明するより、実際に見てもらったほうが早いかな』


 来栖くんとおなじようにエリへと意味深いみぶかげな視線を送った後、モニターの画像が切り替わり、今回の敵の姿が映し出される。


「きゃ!」

「げぇ……」


 それを見た僕らは同時に嫌悪感を示した。画像を補足するようにエリックからの説明が聞こえてくる。


『——今回確認されたタイプは昆虫型。ゴキブリの姿をしているから、以後〝ジー〟と呼称することにする』

「……なるほど、ね」


 来栖くんの笑みに得心とくしんがいった僕は呟いて、エリを横目で見る。あんじょう、彼女はさおな顔で震えていた。彼女はゴキブリがこの世で一番嫌いなのだ。


 少し前に基地内でゴキブリが出たときのことを僕は思い出す。


 あの時は本当にひどかった。魔法の出力しゅつりょくが特殊な機器で制限されていなければ、僕らは基地ごと焼き殺されていたことだろう。本当に良かった。ゴキブリ一匹で基地が破壊されるなんてたまったものじゃない。


 結局僕と来栖くんの奮闘ふんとうによりあわれなゴキブリは退治されたのだけれど、それ以来基地にはゴキブリ駆除くじょ用の薬が置かれることになった。もちろんエリの要望によるものであることは言うまでもない。


 僕がそんな過去の出来事におもいをせる合間あいまにも、エリックは作戦概要がいようを説明してくれていた。


『……で、基本的にはいつもと変わらない。来栖がひきいる部隊がおとりになって〝G〟を君たちが待機するポイントまで導く。これを撃破するのが君たち二人の役目だ』

「おいおい、また幸人が美味しいところ持ってくのかよー。はぁ、全く損な役割だぜ」


 作戦を聴いた来栖くんはそううそぶいているが、彼は完璧に自分の役目を果たすことを僕は知っている。来栖くんがいるからこそ、僕らは何の心配もなく〝残滓〟を倒すことだけに集中できるのだ。


 来栖くんが囮となって導き、僕が交戦しながら時間を稼ぎ、最後にエリの魔法でとどめを刺す。


 それが僕らが〝残滓〟と戦うときのいつものパターンだった。今更いまさら懸念けねんするようなことは何もない。


 とは言っても、〝残滓〟が使ってくる能力は千差万別せんさばんべつである。相手がどんな能力を使ってくるのか知っているのと知らないのとでは、作戦成功確率に大きな違いをむことになる。


 僕らが作戦をめようとしたところで、


「——む、無理ムリ、絶対無理ぃッ!!」


 突然エリが大きな声で叫んだ。


「巨大ゴキブリと戦うなんて冗談じゃないわ! 無理に決まってるでしょ!!」

『落ち着くんだエリ。君がこの地区担当の魔法使いである以上、戦いはけられないよ。どうあがいても君がやるしかないんだ』

「だから無理だって言ってるでしょ!? あたしはアレがだいきらいなんだからッ!!」


 エリックのなだめる声にも耳を貸さず、エリは錯乱さくらんした様子で声を荒らげ、その勢いのままに来栖くんへと視線を移した。


わってよ凛ちゃん!」

「はっはっは、バカ言え。代われるわけねえだろ? 俺は魔法使いじゃねえんだから」

「うぅ、でもでもでもッ! 何とかしてよ、エリック!」

『残念だけどあきらめてもらうしかない。実践に配備はいびされている魔法使いは各支部に一人だけしかいないんだ。いつ他の地域で〝残滓〟が現れるか分からない今の状況では、たかが昆虫型一匹に貴重な人材を応援に回せる状況じゃない』

「うっ……」


 カチカチの理論で固められた正論せいろんにエリは押し黙るしかないようだった。


 最後にすがるように僕の目を見て、


「……センパイ」


 僕はコーヒーをひと口飲んで、それから肩をすくめて応える。


「ま、考えてごらんよ。ホンモノのGなら見かけたら百匹はいるって言うけれど、幸いなことに〝残滓〟は一匹だけだ。キミのちからなら一発魔法を放つだけで終わるよ。なんなら目をつむって撃てばいいだけさ、だろ?」

「……」


 返事はない。エリはしかばねのようにこちらを見続けている。


「……じゃあ、僕は先に行ってるから」


 無言むごん圧力あつりょくに耐えかねて、僕は一足先に退散することにした。作戦の詳細な確認ができていないが、それはまたあとでエリックにでも訊いておこう。


 今はこの突発的に発生した災害からいち早く抜け出すことが肝心かんじんだ。


 しかし。


 いつの間にか来栖くんはいなくなっていて、エリックはモニターから消えていた。


 さすがは基地の精鋭せいえいたち。引きぎわ心得こころえているようだった。


 僕もうかうかしてはいられない。彼らに続いて足早に基地を出る。


 背後では発狂はっきょうした少女の荒ぶる声が聞こえていた。

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