第一章 きみのいない世界

第10話 雨模様の空

 十月じゅうがつに入ってもまだ雨は降り続いていた。秋雨前線あきさめぜんせん停滞ていたいしているらしい。


 もう降り始めて五日目いつかめになるというのに、雨はその激しさを日に日に増していた。もしこのままの調子で雨が降り続けたなら、きっと世界はもっと平和になるだろうなと僕は思った。


 僕は公園の東屋あずまやにあるベンチに座って雨の降る音に耳を澄ませていた。雨粒あまつぶが地面を打つ音はなんだかリズミカルで心地ここちが良い。今まで意識したことはなかったけれど、もしかしたら僕は雨が好きなのかもしれない。


 人を待っていた。女の子だ。しかし待ち合わせの時刻になっても彼女は現れなかった。だけど慌てることはない。彼女が時間にルーズなのはいつものことだった。


 待ち始めてどれくらいの時間が経ったのだろうか。東屋の屋根からすべり落ちる水滴すいてきが地面を叩く音にまぎれて、雨粒が傘をはねる音が聞こえてきた。それからパチっという傘が閉じられる音。


 時計を見ると、午後四時十五分。約束の時間から四十分以上が過ぎていた。完全な遅刻である。


「——おはよう、センパイ」


 その声は雨よりもすずやかに僕の耳を打った。悪びれる様子もない声に僕は呆れてため息を吐く。


 それから声の方へと振り返る。


 少女はましたひとみで僕を見ていた。他人の視線は気にしないタイプなのだろう。肩口かたぐちで切りそろえられたかみと、ほんのりと小麦色に焼けた肌が見る者に快活な印象を与えている。


「今日もすごいね、雨。嫌になっちゃう」


 傘に付着ふちゃくした水滴を飛ばしながら、そんなふうにうそぶく少女を見て、僕は苛立いらだちを隠さずに言った。


「……遅いよ。いま何時だと思ってるんだ」

「あはは、ごめんゴメン。寝坊しちゃってさ」


 少女はまったく悪びれる様子もなく笑った。


「寝坊って……きみは学校に行ってたんじゃないのか?」

「うん、そうだよ。ねえ、ひどいと思わない? 起きたら教室に誰もいなくってさァ、神隠かみかくしに遭ったのかと思っちゃった」

「……つまり、きみは授業中に寝てたから僕との待ち合わせに間に合わなかった、と」

「だからゴメンってばー。これでも慌てて走ってきたんだよ?」


 もちろん僕には彼女の言葉が嘘であることはすぐに分かった。どうみたって彼女が雨にれた様子はなかったし、走ってきたにしては息も乱れていない。ゆっくりと雨に濡れないように歩いてきたのは明らかだった。


「はぁ、もういいよ」と僕は諦めて言った。「だけど遅れるときはせめて連絡くらいしてほしい。事故に遭ったんじゃないかって思うから」


 抗議の言葉に、けれど少女はにやにやと笑っていた。


「……何がおかしいんだよ」

「心配してくれたんだ?」

「……別に、きみだから心配したんじゃないぞ」

「えへへ、やっぱセンパイは優しいね」

「だから——」


 続けようとして、僕は思いとどまる。


 これ以上は時間をられるだけだ。彼女と知り合ってまだ一年も経っていないが、僕はもうそれを十分じゅうぶんすぎるほどに理解していた。


 彼女のペースに巻き込まれるな。


 それが彼女と過ごす上で僕が覚えた鉄則てっそくだった。


 僕はため息を吐くと、ベンチから腰を上げ、傘を広げて歩き始めた。


「あ、待ってよーセンパイ!」


 少女は慌てて追いかけてくる。それから僕らはふたり肩を並べて歩いた。


 雨が傘を叩く音が屋根を叩く音よりも気持ちがいいのは、きっと傘が周りの音を遮断しゃだんしてくれるからだろう。


 僕はひとりの世界にひたれる心地良さを感じながら雨の中を歩き続けた。


「ふんふんふん♪」


 しかし隣から聞こえてくる鼻唄はなうたが気になって、ちらりと少女の様子をうかがう。少女はなんだかにこにこと笑ってこっちを見ていた。


「……随分ずいぶんと機嫌が良さそうだね。僕と違って」

「だってセンパイと一緒だもん♪」

「……わからないな。どうして僕と一緒だときみの機嫌が良くなるんだ?」

「またまた〜、わかってるくせにー」


 雨は嫌だと言っていたくせに、少女のテンションはやけに高い。まるで夏の花火のようだ。合わせるのがめんどくさくて、僕は少女を落ち着かせることにした。


「それより。ちゃんと気を引き締めておきなよ。これから戦いが待ってるんだぞ?」

「わかってるって。センパイこそ、エスコートの場所は決まってるの?」

「エスコートだって?」


 僕は驚いて少女の方を見た。少女は不敵に笑っていた。


「あたし生半可なまはんかなところじゃ満足しないからねっ!」


 どうにも会話がみ合っていない。まるで気まぐれな猫にでも話しているみたいだ。


「いったいきみはさっきから何を言ってるんだ?」

「え、だって今からデートでしょ?」


 当然のように首をかしげる少女に、僕はもう何度目か知らないため息を吐いて言った。


「……仕事だよ、仕事。当たり前だろ」

「えぇひどーい。せっかくお洒落しゃれしてきたのに!」

「お洒落って……きみ制服じゃないか」

「あーっセンパイ馬鹿にしたなァ。制服だってお洒落ポイントはあるんだよ! ほらここ見てみてよっ!」

「……いや、見ないから」


 制服の襟元えりもとを指し示し、ふくれっつらを浮かべている少女の名前は杉屋町すぎやまちエリ。


 僕らが所属している組織の後輩で、とおなじ魔法使いで、僕の新しい相棒だった。

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