第13話 猫がねずみをいたぶるように






 夜うぐいすがひとこえ鳴いた。



 暗い暗いまっくら森の、奧の奧の高い塔・・・。黒い黒いその塔は、とてもおおきく、まがまがしい。


 ここは夜の国。あれは夜の塔。死者がおそれてこうべを垂れる、夜の主のすところ。闇がうずまき、影がざわめく、夜の世界のすべてのかなめ。闇夜にうごめくものどもの城。


 その高い塔の最上階に、女の声がこだました――






「それは本当かい」

「ええ、お母さま」


 いまいましい。握った黄金きん酒杯ゴブレッㇳから、みしりとひびの入るおと。塔の上のわたしのへやは、“悪い魔女”と呼ばれるわたし、夜の女王の謁見の間だ。ひろびろとして、つめたく、さみしく、すこぶる心地がよいものだ。


 あの北のやつのような飾りたてなど、まったく、くだらないことだ。復讐という名の美酒だけあれば、それでよいというものだ。



 わたしはそぞろに歩きだし、壁にかかった肖像画すがたをなでる。ようやく、ようやくだ……。呪いの準備にずいぶんかかった。ながい時間をかけてまで、月の明かりを集めて煮つめ、黄金きんと麻糸、煮溶かして。


 女の細腕うでで遺され娘も、こうしてりっぱに育てあげ……まぁそれは、骨とむくろの侍女まかせ。名まえでくくったかすみの呪文。これ・・が逆らうことはない。



 娘も骨も、骸も悪魔も、わたしにとっては同じこと。もうなんにも意味なんか、これっぱかしもありゃしない。ただ恨みを。ただ怒りを。このひどいつらみを晴らさずに、終われようはずのあるものか。


 ただそのために、それだけのため、糸くりまわして紡いだ呪いだ。



 ――それなのに!



 酒杯ゴブレッㇳを床に叩きつけ、怒りのままに踏みつぶす。そぼくな木づくり、黄金きんの塗りかわ、たまごのように脆いもの。


 壁の鏡が畏れてゆれる。骨と骸の侍女たちが、いっせい怯えておもてを伏せる。わたしの魔法があたりをゆるがす。



 雷の使い手。聖女だと。そんな古いまじないを、あの連中が隠してた。信じられないことながら、わたしの呪いをくぐってみせる。



《かがみよ、かがみ、うつしておくれ、わたしの見たい、聖女をおうつし! ルラーテ・ウロス・ミルワァ・フィギュイル!》



 おののき震えるおおきな姿見。鏡にうつったわたしのすがたが、たちまちぼやけてなにかをうつす。城の廊下をこそこそ進む、黒い髪の小娘がいる。白いドレスに頭にカエル。なんともまぬけなそのすがた。


 これがくだんの愚かな娘。わたしの呪いをよせつけぬ、わたしの復讐いかりをじゃまする娘。ちょろちょろ、うるさい、白ねずみ!


 ただの娘にゃ思えない。聖女、聖女か。癒しの力の使い手が、いったいなんで雷を。魔法の杖を使うらしいが、城の宝物庫くらにでもあったのか。ええ、くやしや。いとわしや。



 わたしの呪いは接触感染。病のようで病でない。癒しの力じゃ治らない。ただ触れるという因果こそ、かならず呪いをうつさせる。


 破れてつぶれた酒の杯ゴブレッㇳむくろがあわてて片づけている。


 聖女、聖女か。さぞや歯噛みしたことだろう。苦しみ恐れたことだろう。あまりの無力に打ちのめされて、さっさと楽になりたいと、毒の杯でもあおるところだ……ふつうなら・・・・・



 だのに血まみれで踊るように殺してた? 蹴りまで入れてた? なんだそれ。どんな聖女だ、頓狂な。どこの蛮族を連れてきた。


 まったくヴァイキングの王だって、もっと穏当な殺しをやるぞ。まぁ、あの馬鹿も、いまではわたしの手駒だが。



 呪いの魔法の生きのこり。たった独りの地獄の生者。いったいどんな加護あれば、わたしの呪いを打ち消せる? 森のあいつが手をかした? それとも竜が? ありえない。


 どいつもこいつも偏くつで、そんな可愛げあるものか。人間たちに力など、いっぺんたりとも貸すものか。


 ほかの女王たちならば……いや、あいつらがやるものか。眠っていたり、籠もっていたり、気まぐれただようばかりだったり。北の馬鹿だってじぶんの国に、哀れなほどにちいさい力で、おんなじようなことをして、すっかり狂ってふんぞりかえって。



 ああ、いやだいやだ、くだらない。あいつらていどにこころを配る、そんな意味などありゃしない。これっぱかしもありゃしない。


 わたしのじゃまをするような、そんな力のあるものは……。ふん、いまのところは・・・・・・・、いやしない。 


 消えたやつらは言わずもがなさ。やはりわたしの敵じゃなかった。わたしは夜の女王、魔女のなかの魔女。いまやもっとも力のつよい、魔女のいただきに立つものだ。



 “なりかけ”を倒しただと。鼻持ちならない白ねずみ! まったくどうしてくれようか。たまごのように割ってしまうか。樽に詰めて川に落とすか。



 いや、それよりも……。わたしは口角をつりあげた。すこし遊んで・・・・・・やろうかえ・・・・・


 猫がねずみをいたぶるように。雷使いの聖女の手なみ、とくと拝見させてもらおう。もしも使える・・・小娘ならば、そのときは――






 おそろし、おそろし、高い場所。女のわらいが、こだまする。死人しびとがおそれて、身をすくませる。


 やがて塔の上からは、緑の光が、あふれだす。










 ――がらがらがらんっ



 おへやの隅に重ねてあった、空っぽ桶の山が崩れる。わたしはパチッと目をひらき、モデル九七ショットガンを引きよせる。


 扉のまえの張った糸、誰がそれを踏みぬいた?



「ブロー! くせもの――」


 わたしがそれを叫ぶや否や、扉がばたんと音立て開き、殿方の群れがなだれ込む!



 ――どすどすどすっ!



 間髪いれずに、わたしのベッドが、恋の生け花、槍ぶすま! 羽毛がひらひら舞いちって、雪のように辺りをただよう。黄金きんのシャワーも確実ね!



「なっ、リリアナ!?」


 室の奧から悲痛な叫び。わたしはそれを聞きながしつつ、ベッドの下・・・・・から昇り竜!





乙女流レヴィェㇵジュスティ槍術ーラロンスアァㇵ――ジャルラオゥニㇳジョーのガㇽジャㇵジュー!」




 ――ずどーんっ! ぎゃりりりっ



 ベッドが下から跳ねあがり、わたしの銃剣ランスが渦まきながら、螺旋を描いて天へと昇る! まっくら闇に銀閃きらめき、刹那の視界を火花が照らす――黒ずくめのゾンビたち!



アサソンアサシン!? ポワーヌ子飼いの影もの・・・か!」


 わたしは天井の石組みに突きたった、ベイヨネットわたしの じゅうけんをずるりと抜きつつ、へやを見おろし、スモックしたぎ姿で、手早くあかりを呼ばわった!



《ルラ・ウロス・ルフ・イフル!》


 ――ぼぼぼっ!



 短縮呪文を轟かせ、テーブルの上で魔法のランタン、応じてすぐさま燃えあがる! おへやのなかには殿方が、これでもかって押しよせていた。ずいぶんパッショな殿方たちね、夜這いかけるにゃ多すぎる!



「ブロー!」

「わかった!」


 ランタン咥えて跳びくるブローを、わたしは窓際の石の床、飛びおりながらに頭に乗せて、そのまま窓を蹴破りざまに、ベッドの脚から伸びるロープを、あいてる左手で引っつかみ、思いっきりにお空へ飛んだスロンセドン



 ――がしゃーん!



 黒装束の殿方たちが、無言で投げる、花束、背に受け、わたしはそれでも空へ舞う――ちょ、ちょっと、スモックのすそが短すぎない? 風でびゅうびゅう裾が舞い、太腿の付けねまで見えちゃいそうよ。


 生足まるだしサービスショット! スモックの背も大きくやぶけ、はだしのまんまの聖女の空ゆき、すみれのお花が乱れ咲く! やぶけた下着いちまいで、なんともお見せできないすがた。窓から黒い殿方たちも、大興奮してはしゃいでる。えっち!



「よかった、無事で、リリアナ」

「ブローもね」


 頭の上でランタンを、咥えながらもカエルさん、わりとハッキリしゃべるのね。魔法って偉大だわ。


「あんな殿方たちもいたのね」

「いや……ポワーヌ城に暗殺者なんて、いるはずないんだ、おかしいよ」

「わたしのおへやを狙ってきたしね」


 わたしの知ってる殿方たちの、取る行動じゃあないはずよ。タンクみたいに、あれもひとつの、新種のゾンビなのかしら。


 せなに刺さったどくもすごいし。癒しの力でおさえてるけど、さっさとナイフを抜かないと。ふさがってるのよ、いま両手。左手ロープに右手に愛銃、頭の上にはカエルさん。


 ……どうも嫌な予感がするわ。乙女のするどい勘どころ。わたしってば、これ外さないのよ、困っちゃう。



 ――ごうっ!



「うわっ」

「わあああ!?」


 いきなり吹いた強風に、ロープがぎゅんと煽られて、夜のお空でくるくるダンス。満天きらめく銀貨の下で、お城の上空に舞いあがり、びんと音たてロープがしなる。


 いま両手ふさがってるんだってば! スモックが盛大にまくれあがって、なんだかすーすーしちゃってる。なんてえっちな風なのかしら! あれ、でもこの気配は……。



 生暖かい不気味な颶風ぐふう。じわりと這いよる魔法の気配。


 強い。ノネヴェーロうそでしょ! なんなの、これ。とんでもない規模の魔法の波動が――





 女の声がこだまする。





 《――オームルイ・ルーサ・エル・サムキュイ・オー・ルクス・ダ・ラーグ・オア――》



「この声は……」

「リ、リリアナ」


 ブローがその身をすくませる。わたしの背筋もつららが刺さり、首のうしろが、ちりちりしてる。



 ああ、ついに。ついに来たか――



 夜空にあまねく朗ろうと、どこからともなく響くその声。たえなる調べは美しく、そしてだからこそ、とても恐ろしい声――


 あれはだめだ。あれは呪文だ。唱えさせてはならない呪文。世界が悲鳴をあげている。まがつ針が唸りをあげて、世界のすべてタペストリィを縫いつぶす――



「ああっ!? リリアナ、星が! 星が消・・・える・・!?」

マンマミーアなんてこと……」



 星空が――うしなわれてゆく――



 濃密な“夜”が押しよせて、ポワーヌ全域の夜のお空を、さらに黒ぐろ上塗りしてゆく。星ぼしが消え、月もまた。



 世界が上・・・・書きされる・・・・・――



 現実うつつがみしりと軋みをあげて、その法則がねじ曲がる。ゲィㇺゲームルゥォルールが書きかえられる。


 ああ、これが。これがそう・・なのね。


 これが、これこそ、世界級呪文テウルギア。わたしが恐れていたものだ。上級呪文アナマゲイアの大魔法をすら、はるかにしのぐ超級魔法。世界を変える女神の権能――女王の力・・・・



 “およそできないことはない――”



 これが女神か。これが称号の女王か。いまやここは、“夜”となった。夜の支配者ルゥラーろしめすところ。ここは女神ばけものの腹のなか。



 禁書室の禁忌のご本に、ほんのすこし記述のあった、称号の女王たちのその力。魔法の深奥、最たるいただき上級呪文アナマゲイアは果てなどではない。深淵のほんの入りぐちなのだと。


 触れてはならぬ、覗いてはならぬ、見ればその目は潰れてしまう、触れればたましいが耐えられぬ。魔女ですらもが資格なければ、それに触れたというだけで、狂い果てて消え果てる。


 世界の真実。世界の裏がわ。


 世界級呪文テウルギア――実在したのね、ほんとうに。







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