第13話 猫がねずみをいたぶるように
夜うぐいすがひとこえ鳴いた。
暗い暗いまっくら森の、奧の奧の
ここは夜の国。あれは夜の塔。死者が
その高い塔の最上階に、女の声がこだました――
「それは本当かい」
「ええ、お母さま」
いまいましい。握った
あの北のやつのような飾りたてなど、まったく、くだらないことだ。復讐という名の美酒だけあれば、それでよいというものだ。
わたしはそぞろに歩きだし、壁にかかった
女の
娘も骨も、骸も悪魔も、わたしにとっては同じこと。もうなんにも意味なんか、これっぱかしもありゃしない。ただ恨みを。ただ怒りを。このひどい
ただそのために、それだけのため、糸くりまわして紡いだ呪いだ。
――それなのに!
壁の鏡が畏れてゆれる。骨と骸の侍女たちが、いっせい怯えておもてを伏せる。わたしの魔法があたりをゆるがす。
雷の使い手。聖女だと。そんな古いまじないを、あの連中が隠してた。信じられないことながら、わたしの呪いをくぐってみせる。
《かがみよ、かがみ、うつしておくれ、わたしの見たい、聖女をおうつし! ルラーテ・ウロス・ミルワァ・フィギュイル!》
おののき震えるおおきな姿見。鏡にうつったわたしのすがたが、たちまちぼやけてなにかをうつす。城の廊下をこそこそ進む、黒い髪の小娘がいる。白いドレスに頭にカエル。なんともまぬけなそのすがた。
これが
ただの娘にゃ思えない。聖女、聖女か。癒しの力の使い手が、いったいなんで雷を。魔法の杖を使うらしいが、城の
わたしの呪いは接触感染。病のようで病でない。癒しの力じゃ治らない。ただ触れるという因果こそ、かならず呪いをうつさせる。
破れてつぶれた
聖女、聖女か。さぞや歯噛みしたことだろう。苦しみ恐れたことだろう。あまりの無力に打ちのめされて、さっさと楽になりたいと、毒の杯でもあおるところだ……
だのに血まみれで踊るように殺してた? 蹴りまで入れてた? なんだそれ。どんな聖女だ、頓狂な。どこの蛮族を連れてきた。
まったくヴァイキングの王だって、もっと穏当な殺しをやるぞ。まぁ、あの馬鹿も、いまではわたしの手駒だが。
呪いの魔法の生きのこり。たった独りの地獄の生者。いったいどんな加護あれば、わたしの呪いを打ち消せる? 森のあいつが手をかした? それとも竜が? ありえない。
どいつもこいつも偏くつで、そんな可愛げあるものか。人間たちに力など、いっぺんたりとも貸すものか。
ほかの女王たちならば……いや、あいつらがやるものか。眠っていたり、籠もっていたり、気まぐれただようばかりだったり。北の馬鹿だってじぶんの国に、哀れなほどにちいさい力で、おんなじようなことをして、すっかり狂ってふんぞりかえって。
ああ、いやだいやだ、くだらない。あいつらていどにこころを配る、そんな意味などありゃしない。これっぱかしもありゃしない。
わたしのじゃまをするような、そんな力のあるものは……。ふん、
消えたやつらは言わずもがなさ。やはりわたしの敵じゃなかった。わたしは夜の女王、魔女のなかの魔女。いまやもっとも力のつよい、魔女の
“なりかけ”を倒しただと。鼻持ちならない白ねずみ! まったくどうしてくれようか。たまごのように割ってしまうか。樽に詰めて川に落とすか。
いや、それよりも……。わたしは口角をつりあげた。
猫がねずみをいたぶるように。雷使いの聖女の手なみ、とくと拝見させてもらおう。もしも
おそろし、おそろし、高い場所。女の
やがて塔の上からは、緑の光が、あふれだす。
――がらがらがらんっ
お
扉のまえの張った糸、誰がそれを踏みぬいた?
「ブロー! くせもの――」
わたしがそれを叫ぶや否や、扉がばたんと音立て開き、殿方の群れがなだれ込む!
――どすどすどすっ!
間髪いれずに、わたしのベッドが、恋の生け花、槍ぶすま! 羽毛がひらひら舞いちって、雪のように辺りをただよう。
「なっ、リリアナ!?」
室の奧から悲痛な叫び。わたしはそれを聞きながしつつ、
「
――ずどーんっ! ぎゃりりりっ
ベッドが下から跳ねあがり、わたしの
「
わたしは天井の石組みに突きたった、
《ルラ・ウロス・ルフ・イフル!》
――ぼぼぼっ!
短縮呪文を轟かせ、テーブルの上で魔法のランタン、応じてすぐさま燃えあがる! お
「ブロー!」
「わかった!」
ランタン咥えて跳びくるブローを、わたしは窓際の石の床、飛びおりながらに頭に乗せて、そのまま窓を蹴破りざまに、ベッドの脚から伸びるロープを、あいてる左手で引っつかみ、思いっきりに
――がしゃーん!
黒装束の殿方たちが、無言で投げる、花束、背に受け、わたしはそれでも空へ舞う――ちょ、ちょっと、スモックの
生足まるだしサービスショット! スモックの背も大きくやぶけ、はだしのまんまの聖女の空ゆき、すみれのお花が乱れ咲く! やぶけた下着いちまいで、なんともお見せできないすがた。窓から黒い殿方たちも、大興奮してはしゃいでる。えっち!
「よかった、無事で、リリアナ」
「ブローもね」
頭の上でランタンを、咥えながらもカエルさん、わりとハッキリしゃべるのね。魔法って偉大だわ。
「あんな殿方たちもいたのね」
「いや……ポワーヌ城に暗殺者なんて、いるはずないんだ、おかしいよ」
「わたしのお
わたしの知ってる殿方たちの、取る行動じゃあないはずよ。タンクみたいに、あれもひとつの、新種のゾンビなのかしら。
……どうも嫌な予感がするわ。乙女のするどい勘どころ。わたしってば、これ外さないのよ、困っちゃう。
――ごうっ!
「うわっ」
「わあああ!?」
いきなり吹いた強風に、ロープがぎゅんと煽られて、夜のお空でくるくるダンス。満天きらめく銀貨の下で、お城の上空に舞いあがり、びんと音たてロープがしなる。
いま両手ふさがってるんだってば! スモックが盛大にまくれあがって、なんだかすーすーしちゃってる。なんてえっちな風なのかしら! あれ、でもこの気配は……。
生暖かい不気味な
強い。
女の声がこだまする。
《――オームルイ・ルーサ・エル・サムキュイ・オー・ルクス・ダ・ラーグ・オア――》
「この声は……」
「リ、リリアナ」
ブローがその身をすくませる。わたしの背筋もつららが刺さり、首のうしろが、ちりちりしてる。
ああ、ついに。ついに来たか――
夜空にあまねく朗ろうと、どこからともなく響くその声。
あれはだめだ。あれは呪文だ。唱えさせてはならない呪文。世界が悲鳴をあげている。
「ああっ!? リリアナ、星が!
「
星空が――
濃密な“夜”が押しよせて、ポワーヌ全域の夜のお空を、さらに黒ぐろ上塗りしてゆく。星ぼしが消え、月もまた。
ああ、これが。これが
これが、これこそ、
“およそできないことはない――”
これが女神か。これが称号の女王か。いまやここは、“夜”となった。夜の
禁書室の禁忌のご本に、ほんのすこし記述のあった、称号の女王たちのその力。魔法の深奥、最たる
触れてはならぬ、覗いてはならぬ、見ればその目は潰れてしまう、触れればたましいが耐えられぬ。魔女ですらもが資格なければ、それに触れたというだけで、狂い果てて消え果てる。
世界の真実。世界の裏がわ。
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