第72話 She Walks in Beauty

 九月下旬、全校集会にて、春山北高校最後の生徒会長・ともえあきらの退任演説が行われた。

 といっても集会の主目的は別にあって、先輩の演説はオマケみたいなものだった。


 しかも、四時間目に蒸し暑い体育館に集められて、誰もが非常に気怠けだるそうで。『さっさと教室へ戻って飯を食いたい』と顔に書いてあるようだった。


 でも俺は違う。俺は列の後ろの方で必死に首を伸ばして、壇上へ上がる巴先輩を見つめていた。

 最後の生徒会長の最後の花道、その一挙手一投足を見逃さないように、すべてを記憶へ留めておくように。


 現に、しゃんと背筋を伸ばして、きびきびと歩く先輩の姿は、息を呑むほど美しかった。

 それに気づいたのは俺だけじゃないようだった。斜め前にいる奴らがひそひそと顔を見合わせて「うちの生徒会長って、すげー美人だよなぁ」と称賛していた。


 それを聞いた瞬間、俺は我が事のように嬉しくなった。優越感だって湧いてくる。

 俺はその美人生徒会長を、料理でとりこにしているんだぜ、と。彼女と二人きりで、いろんな意味でおいしい関係を築いているんだぜ、と。


「みなさん、こんにちは」


 舞台の中央に立った先輩は、マイクを手にまずそう言った。

 マイク越しの先輩の声は、毅然としつつも柔らかい。微塵みじんも緊張した様子のない態度で、ゆっくりと体育館中を見回してから、再び口を開いた。


「みなさんすでにご存知の通り、春山北高校の生徒会は今月いっぱいで廃会となります。そして来月からは、風紀委員を中心とした『委員会総会』が学校行事を主導していきます」


 とうの昔に決定づけられていたその事実を、先輩は淡々と述べる。


「わたしが、この春山北高校の最後の生徒会長となります」


 心なしか語尾が震えたような気がした。俺の心は不安でいっぱいになったけれど、今は固唾を飲んで見守ることしかできない。

 目を凝らしてみれば、先輩は口元にとても穏やかな笑みを浮かべている。


「そこで、最後の生徒会長としてみなさんにお礼を言いたくて、この場に立たせていただきました」


 先輩の言葉が終わると、わずかなざわめきが発生した。それを「静かに」と収めたのは、おそらく教師の誰かだろう。


 体育館中がしんと静まってから、先輩は言葉を続けた。


「まず、春山北高校の校長先生をはじめとした、先生方全員に。

 先生方の権限で、生徒会を即刻廃会にしてしまうこともできたはずです。現に、それを提案した先生も多かったと聞きました。

 けれど最終的に、『全校投票』という生徒の自主性を重んじる選択をしてくださいましたね。そして、『生徒会を存続する』という生徒の決定を尊重して、今まで静かに見守ってくださいました。

 おかげでわたしは、生徒会長としての職務をまっとうすることができました。

 しかも最後に、こうして挨拶をする場まで設けていただきました。

 本当に、本当にありがとうございました」


 と、先輩は深々とお辞儀をする。

 思わず目を見張るほど、お手本のように美しいお辞儀だった。


 やや遅れて各所で起こった拍手。

 それは間違いなく、教師陣からの最後の餞別せんべつだ。

 可能な範囲で視線を巡らせてみれば、目に映る先生たちはみんな表情を緩めている。

 とある教師なんてえらく感極まった様子で、手を思いっきり打ち鳴らしていて、パチパチどころかバチンバチンと雷撃のような音を響かせていた。


「次に、風紀委員のみなさんへ」


 先輩が次声を発すると、教師たちからの拍手がぴたりと止む。


「わたしが生徒会長に立候補しなければ、もっととどこおりなく業務の移譲が済んだかもしれません。

 でも、誰一人わたしを非難しませんでした。誰もがわたしに温かい目を向け、頑張ってねと言ってくれました。行事の要所要所でわたしに花をもたせてくれました。

 本当にありがとう。十月から、春山北高校をよろしくお願いします」


 先輩は再び丁寧にお辞儀をする。

 同時に、生徒の中からまばらに拍手が起こった。それはきっと、風紀委員の面々からのとびきりのねぎらいだ。

 俺の位置からはわからないけれど、間違いなく安元先輩も大きな拍手を送っていることだろう。


「そして最後に、全校生徒のみなさんへ。

 生徒会活動を応援してくれたみなさんはもちろん、生徒会の存続に反対していたみなさんも、今までわたしを見守ってくれたこと、心の底から感謝しています。みなさんのおかげで、わたしは最後まで生徒会長でいられました」


 と、先輩はそこで言葉を切り、また体育館中を見回した。

 俺には、壇上からの光景を目に焼き付けているように思えた。


「本当ならもっとたくさんお礼を言いたいのですが、みなさんお腹も空いていることでしょうし、手短に済ませておきますね」


 今までの真剣さが嘘のように、先輩は茶目っ気たっぷりにそう言った。一部の生徒がつられて笑声をあげたけれど、それは決して嘲笑ではなかった。


「ですが、最後にこれだけ……」


 先輩は芝居じみた動作でコホンと咳をする。そういう思わせぶりな言動は、聴衆を惹きつけるためにあえてやっているんだろう。さすが先輩。


 生徒たちが傾聴体制に入った頃を見計らい、先輩はニカッと歯を見せて笑う。


「十月の文化祭、思いっきり楽しんでくださ……じゃなくて、楽しみましょう!!」


 よく通る声で叫んだあと、力強くガッツポーズをしてみせた。

 途端、ワッと歓声が上がり、みんなが『最後の生徒会長』へと盛大な拍手を送る。


 俺も精一杯の敬意をこめて、強く強く手を打ち鳴らした。こんなにも真心の詰まった拍手を送ったのは、間違いなく生まれて初めてだ。


 一礼した先輩が舞台から降りるまで、拍手は鳴り止まなかった。

 俺も、最後の最後まで拍手を送っていた。先輩の姿が視界から消え去るまで、その背をずっと見つめていた。


 今になってようやく理解したことがある。

 先輩が『きれい』なのは、スタイルがよく、顔の造りが整っているからだけじゃない。


 先輩の心の美しさ、気高さ、今まで歩んできた道のりの崇高さ、己の行いへの迷いのなさ。そういった要因が重なり合って、先輩を本当に美しく輝かせているんだ。

 そんなひとに料理の腕を認めてもらえたうえ、半年間も共に過ごせたなんて、とってもとっても光栄なことだ。


 先輩が高校を卒業し、二度と言葉を交わすことがなくなったとしても……俺は、この半年間の思い出を胸に抱いて生きていける。今までよりも強く、たくましく。

 俺が生まれて初めて好きになった女性に恥じない生き方をしていける。


 ありがとう先輩。ありがとう、最後の生徒会長。あなたに出会えてよかったです。


 ……な~んて、えらく感傷的になってしまったけれど。

 俺にはまだ、最後の大仕事が残っている。




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サブタイトルのShe Walks in Beauty

バイロンの詩より。訳し方はいろいろありますが、「彼女は美しさをまとい、歩く」とかでしょうか。ゴウの心情の一部は、この詩のオマージュになっています。

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