最終章 告げる九月、そして……

第71話 ファイナル・カウントダウン

「夏休み、あっという間に終わっちゃいましたね」


 二学期が始まって最初の昼休み、俺は久しぶりに生徒会室へと足を踏み入れた。もちろん手には二人分の弁当を持って。


 すでに着席している先輩は、テーブルの上にぐったりと上体を預けていた。


「うん……ずっと朝寝坊してたから、身体のリズムを戻さなきゃね」


 と、伸びをしながら大あくびをする。寝起きを彷彿ほうふつとさせるその無防備極まりない姿に、俺は危うく保冷バッグを落とすところだった。


「ゴウくんのお弁当、久しぶりだね! 楽しみにしてたよ!」


 弁当箱を見た瞬間、先輩の眠気はどこかへ吹き飛んだらしい。大きな瞳を宝石のように輝かせ、いそいそと蓋を開け始める。


「あ、珍しいものが入ってる! やっぱりこれも手作りなの?」

「はい、さすがに皮は市販品ですけど」


 先輩が着目したのは、今日のメインディッシュでもある餃子ぎょうざだ。でも、中身は肉じゃない。


「ちょっと変わり種ですよ。食べてみてください」


 俺の勧めに、先輩は期待に満ちた眼差しで「いただきま~す」と両手を合わせた。箸を手に取り、餃子をつまむ。


「ん?! なにこれ……」


 一口かじった先輩は不思議そうに首をかしげたけれど、すぐに正体に気付いたようだ。


「ジャガイモだ……あとチーズ!」


 そう、あんの代わりに使用しているのは、潰したジャガイモ。包む前にとろけるチーズを少々加えている。


「コーンも入ってて、優しい味わいだね。でも、胡椒がいいアクセントになってる! おいし~い!」


 と、先輩はあっという間に飲み込んで、興奮した様子で二個目に箸を付けた。


「お口に合ってよかったです。今度、一緒に作ってみましょうか」

「うん、ぜひ! これ、パパも好きそう」


 たしかに、お子さま舌の父娘おやこにはうってつけの品だと思う。

 でも……先輩のお父さんは俺のことをどう思っていることやら。怖いから考えないようにしよう。


 他のおかずは、ブロッコリーと卵の炒め物、厚揚げの照り焼き。どれを食べるときも、先輩はこれでもかと表情を華やがせ、俺の耳をとろかせるような歓声をあげてくれる。

 傍らでそれを見守る俺の心は幸福感でいっぱい。自然と頬が緩んだ。


 でも今日は、この幸せなひとときを自ら断ち切らなければならない。


「十月になったら、この部屋はどうなるんですか?」


 食事を続けながら、俺はできる限り淡々とした調子で尋ねる。

 けれど先輩は「あ……」とつぶやいて、箸を止めてしまった。


「机と椅子を片付けて、一部の資料を総会室へ持って行って、ドアに貼ってる『生徒会室』の紙を剥がしておしまいだよ」

「わかりました。机の片付けくらいは手伝いますよ」

「ううん、それは用務員さんがやってくれるって」

「そうですか……」


 俺はつい苦笑を漏らしていた。本当に最後の最後まで、俺が生徒会のためにできることはないんだなぁ。


「だからわたしがやるのは、『生徒会室』って書いてある貼り紙を剥がすことだけ」


 ドアに貼ってある、手書きの表札。あれを撤去した瞬間、この部屋はなんの変哲もない『第一資料室』に戻ってしまうということか。


「ってことは先輩、この部屋で一緒に弁当を食えるのも、今月いっぱいですよね」


 雑談を振るように、さらりと確認する。胸の奥では、心臓がわずかに鼓動を速めていた。


「……そうだね」


 先輩の表情が凍る。


「そんな当たり前のこと、失念してた……」


 先輩は目線をテーブルへと落とし、口元に寂然せきぜんとした笑みを浮かべた。


 俺は、先輩が代替手段を講じているのではないかとわずかな期待を抱いていた。この部屋が使えなくなるのなら、他の空き教室で食べればいい。その候補を探してくれているといいなと思っていた。

 けれど先輩の様子からして、それはありえないようだ。


 俺たちが二人きりで飲食できるような場所は、この学校にはなくなってしまう。

 ぼっちの俺も、大勢で食事をとることが苦手な先輩も、自らの教室へ戻らなくてはならない。


「仕方ないですね」


 俺は小さく笑って肩をすくめる。

 ある程度の覚悟はできていた。ぼっち生活にはだいぶ慣れたし、今さら教室でぼっち飯をするくらいなんでもない。


 それに……一学期の間に、俺は一部のクラスメイトとそれなりに打ち解けていた。

 出席番号の関係で、体育のときにペアを組むことが多い村田くんをはじめとして、学校生活を送るうえで自然と話をするようになったクラスメイトは多からず存在している。


 勇気を出して、彼らの輪に入れてもらうのもいいかもしれない。声をかける際のことを想像すると、ちょっと胃がきゅっとなるけれど、先輩のほがらかさを見習うべきだろう。

 俺の高校生活は、きっとまだリカバリーがきくはずだ。


「ゴウくんのお弁当を食べれるのも、今月までかぁ……」


 炒り卵をもモソモソと食べながら、先輩がしんみりとつぶやく。だから俺は笑顔を作り、明るい声で宣言した。


「あと一か月、心を込めて作りますから、毎日楽しみにしててください」

「うん……」

「受験勉強も大変になってくると思いますけど、無理のない範囲で、うちにも来てくださいね!」


 ひたすら陽気な調子で言うと、八の字になっていた先輩の眉が、ゆっくりと元の形に戻っていく。


「うん、ありがとう。できる限り行くよ」


 見せてくれた微笑みは、まだ少し寂しそう。

 けれど、その態度が嬉しかった。だって、先輩は俺との別れを惜しんでくれているということなんだから。

 その事実だけで、俺は今月いっぱい遮二無二しゃにむに頑張れる。


 そして先輩と俺の九月は、今まで通り過ぎていった。

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