第69話 生徒会動乱篇 その3

「ラブホの代わりよ」


 鞘野さやの先輩ははっきりとよく通る声で言ったあと、スッと無表情になった。ともえ先輩も安元先輩も、無表情の仮面をかぶって押し黙っている。


「は? え? ええ?」


 俺はこのときほど、我が耳を疑ったことがない。

 聞き間違えかと思って首をひねりつつ、目の前の上級生三人を順繰りに見つめてみたけれど、彼らが放つどんよりと重い空気が、俺の聴力の正確さを証明してくれているようだった。


 そんな……馬鹿なことってあるかよ。

 俺は呆然と手元のパックジュースを見つめる。


 学校でエロいことするって、そういうたぐいのマンガはそれなりに読んだことがあるけれど、現実でそんなことする奴らが本当にいるのか?

 しかも生徒会室で、とか、マジで創作の世界の話だろう。


 でも、それがこの高校で実際に起こったことなのだとしたら、心の底から気持ち悪い。気持ち悪すぎて、生徒会室ごと燃やしたくなる。


 俺がそう思うのは、単なる陰キャのねたみか? カノジョ持ち陽キャなら、機会さえあれば場所問わずしたくなるものなんだろうか?


 いいや、そんなこと絶対ない。カノジョのことを本当に大切に思っているのなら、学校でしようだなんて思わないだろう。しかも、みんなが使っている生徒会室で。


「そういう噂が立つに至った、キモすぎる根拠があったらしいのよ。想像したくもないけど……」


 鞘野先輩の台詞を聞いて、ついあれこれと想像してしまった俺は、思わず顔をしかめていた。


 大きく嘆息したあと、鞘野先輩は話を続ける。


「もちろん、そんなことしてました、なんて誰も言えるわけないわ。でも噂はどんどん広まった。そして、そういう噂が流れて一番恥ずかしいのは、女子よね。

 学校でいかがわしいコトしてたって噂をされて、後ろ指さされて、不登校になって、転校して。絶対に、無実の子もいたはずよ」

「転校までしたんですか……」


 愕然とつぶやきつつ、納得もしていた。そりゃそうだよな、そんな屈辱的な噂を立てられたら……特に女子は、たまったものじゃない。


「挙げ句に、会長の阿藤あとう先輩まで、その噂の餌食になったわ」

「どうして……?」

榎木田えのきだとずいぶん意気投合してたからね。もともと、付き合ってるんじゃないかって噂はされていたの」


 そのとき、ぐすっとはなをすする音が聞こえた。発生源は間違いなく巴先輩だったけれど、俺は視線を向けることができなかった。


「阿藤先輩、最初は笑い飛ばしてた……」


 蚊の鳴くような声で、巴先輩が言う。


「でも、一部の生徒にいやらしい目で見られて、後ろ指さされ続ければ、精神が摩耗するよね。『普通の女子高生』なんだから……。結局、阿藤先輩も転校して行っちゃった。

 阿藤先輩、最後はひとりぼっちだった。自分と一緒にいると噂の餌食になっちゃうからって、自ら孤立したの」

「それは……」


 それは現在の巴先輩も似たような状況だ。誰の助けも借りようとせず、たった一人で孤独に生徒会活動を行っている。

 それがどれほど辛くて寂しいことでも、前任の阿藤先輩がどんな思いで孤立していたかを考えれば、なんとか耐えられるものだったのかもしれない。


「誰も彼もが、生徒会から離れていったわ」


 再び、鞘野先輩が口を開く。


「生徒会にいたら、そのゲスな噂話の餌食になりかねないから。あっという間に生徒会は瓦解がかいしたうえ、新しく立候補しようなんて生徒は当然いない。

 そこで生徒会の代わりに活躍したのが、当時の風紀委員だったの。風紀委員が各委員会や部活動に呼びかけて、昨年の文化祭と体育祭を成功に導いた。一昨年と同じくらいの規模でね。

 それで、春山北高校の生徒の多くがこう考えたの。『あれ、生徒会っていらなくね?』ってね」


 つまり、俺が参加した昨年の文化祭は、風紀委員主導のものだったんだな。

 校内でえげつない事件が起こったなんて外部に微塵みじんも感じさせないような、それはそれは素晴らしい文化祭だった。

 結果として、在校生が生徒会の存在意義を疑うようになってしまったのか……。


「それで、生徒会を廃するかどうかの全校投票が行われた、っていうわけですね」

「そうね」


 鞘野先輩が物悲しそうにうなずく。


「我が校の生徒会は、今年の九月で廃会。以後は、風紀委員を中心とした『委員会総会』が生徒会の代わりを務める。

 十月からは、安元くんの後輩が立派に学校行事を牽引けんいんしてくれるってわけ」

「そう、ですか……」


 力なく相槌を打ちつつ、俺は湧き上がってきた安元先輩への怒りを必死で抑えた。

 あんたも生徒会に入って、巴先輩を支えてくれていたらよかったのに。よりによって風紀委員になって、生徒会の役割を奪っていくなんて。


 でも俺は知っている。安元先輩にも葛藤と覚悟があったことを。巴先輩をたすけられなかったことを悔やみ、その代償として恋心を諦めてしまった。

 そのことについて、今さら俺がわめき立てたってなんの意味もない。ただ恥ずかしい思いをするだけだ。


 だから俺が言えるのは、すべきなのは、ただこれだけ。


「話してくれて、ありがとうございました」


 立ち上がって、先輩方へと頭を下げる。ずいぶんと長い間、そうしていた。


「メッシーくん、この話は、言いふらさないでね。一年には知らない子も多いみたいだし、ゆっくり風化させていきたいの」

「はい、もちろんです」


 俺は粛然とうなずく。『被害者』がいる以上は、それがベストなんだろう。

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