第四章 知る七月、八月

第56話 母、襲来

 七月の第一週目に期末テストが実施され、しばらくは先輩とのお弁当タイムも、お料理タイムもオアズケになってしまった。


 ようやくストレスから解放された土曜日の昼、俺は浮かれ気分で味噌煮込みうどんを作っていた。

 週明けの弁当はなにを作ろうかな、一週間我慢させたぶん、先輩は普段の五倍は喜んでくれるだろうな。

 テンションが上がって、流行のラブソングを口ずさんでしまう。


 ちなみに、店だと土鍋で出てくる味噌煮込みうどんだけれど、我が家で作る際は大鍋で一気に煮込む。

 具材はネギ、シイタケ、油揚げ、たっぷりの白菜。

 煮えてきたら、卵を三つ落としてさらに煮る。俺も母ちゃんも、卵は固めが好きだ。


「できたぞ~」


 どんぶりに移し替えてテーブルへ並べ、リビングでテレビを見ている母ちゃんに声をかけた。母ちゃんも待ちわびていたらしく、満面の笑みを浮かべて食卓へやって来る。


 俺も待ちきれず、母ちゃんが着席する前にいそいそと箸をつけた。

 ああ、クソ暑い中、クーラーの効いた室内で食べる味噌煮込みうどんは最高だ。

 濃厚な八丁味噌の旨味が胃から全身に広がって、血液までもが味噌になってしまう、そんな錯覚を覚える。

 モチモチの太麺と大量の野菜のおかげで、非常に食べ応えのある一品となっているのもたまらない。


 汁が跳ねて俺のシャツを汚したけれど、今日は外出する予定もないし、構うもんか。食欲に身を任せてズルズルバクバクとひたすら食べる。


 最後は、残った汁にごはんを投入。残しておいた卵を潰すと、中から半生の黄身があふれて白米に絡まる。見た目も味も、犯罪級だ。


 親父は、『赴任先静岡には味噌煮込みうどんが売ってねぇ』と嘆いていたけど、それが本当なら同情しちゃうね。


 先に食べ終わった母ちゃんは、冷たい麦茶を飲みながらクッキーをかじっていた。


「ねぇ豪、このクッキー、駅前のケーキ屋さんのよね。いつ買ってきたの?」

「……いや、駅前のショッピングセンターに用があったから、そのとき」


 後ろめたく思いながら嘘をつく。

 そのクッキーは、先輩が買ってきてくれたものだ。料理を教えるお礼と、食費や光熱費の代わりとして、『家族で食べてね』って。


「そっか、わざわざありがと」

「いや、その、どういたしまして……」


 俺に『どういたしまして』という権利はこれっぽっちもないので、やっぱり罪悪感を覚えてしまう。でも、正直に言うこともできない。


 と、そのとき、インターホンが鳴った。宅配便かなにかだろう、と確認を母ちゃんに任せ、俺は残りの飯と汁を掻き込む。塩分過多だけど、野菜の旨味が染み出た汁は最後の一滴まで無駄にできない。


「ありゃ、知らない人だわ」


 リビングのモニターを確認した母ちゃんがぼやく。無視するか迷ったみたいだけど、意を決したように通話ボタンを押した。


「はい、どちら様ですか?」

「突然の訪問、申し訳ございません」


 この第一声で、俺はセールスだと確信した。最近はめっきり少なくなったけれど、久しぶりに来たか。やはり見知らぬ来客は無視するのが正解だね。


 食欲も満たされたし、さっさと自室へ引っ込もう、とどんぶりをシンクへ持っていこうとしたとき……。


「豪くんは御在宅ですか? ともえあきらの母、と伝えていただければ、わかると思います。一度お話をさせていただきたく思って、参りました」


 思いっきり眉根を寄せた母ちゃんが俺を見る。

 俺はあんぐり口を開け、シャツに付着した味噌煮込みうどんの汁の数を数えた。

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