第55話 生姜焼き、てめーは俺を怒らせた
次の水曜日は、生姜焼きを作ってみることにした。
油がピチピチ跳ねるものを先輩に作らせるのはちょっと気が進まないけれど、いつまでもそんな過保護なことを言ってられない。
スーパーで購入したのは、豚ロース薄切り、市販の生姜焼きのタレ、キャベツ、トマト。副菜と味噌汁の具は、我が家にあるものを使おう。
「生姜焼きをサッと作れるようになったらカッコいいよね」
と、先輩は道すがら浮かれた様子だった。
「それに、早く食べた~い」
たぶん、そっちが本音だ。ほかほかのごはんと生姜焼きの組み合わせは、あまりに狂暴凶悪。食欲と味覚にガツンと訴えかけてくる。
諸々の準備が整ったら、まずはキャベツを千切りにするところからスタート。
迷った挙げ句、包丁ではなくスライサーを使ってもらうことにした。
しかしこれはこれで非常に危ない。先輩はキャベツを前後に動かしながら、鋭利な切れ味にだいぶ興奮しているみたいだし。
「うわぁ~、面白いくらいスパスパ切れるね!」
「全部スライスしなくていいですから。残った分は、明日スープかなにかに使うんで、そこまでにしておきましょう」
掴む部分が少なくなる前にストップをかけておく。
「切ったあとは水にさらすと、シャキッとした食感になります」
「へぇ、そうなんだ!」
それからトマトをくし切りにする。玉ねぎのやり方とおおむね同じなんだけれど、トマトの場合は切り口を上にして包丁を入れるため、少し不安定だ。
でも先輩もだいぶ包丁の使い方に慣れてきたみたいで、問題はなさそうだった。
副菜としてほうれん草とちくわのマヨネーズ和えを、そして味噌汁を準備したあとは、小休止。
炊飯器の液晶画面に『あと10分』と表示される頃、いよいよ肉を焼く工程に突入。
「焼く前に両面に小麦粉をまぶしておきます。こうするとタレが絡みやすくなるんですよ」
「なるほど!」
中火で熱したフライパンに油を敷き、豚肉を投入する。予想通り、油が縦横無尽に跳ね、先輩が驚いて身体を引いた。
「わぁ、エプロンあってよかった!」
「怖かったら交代しますから」
「ありがとう、大丈夫だよ」
両面に焼き色がついたらタレを回し入れると、さらに激しくいろいろなものが飛散した。
と、先輩の手がびくっと震える。間違いなく、皮膚に熱い飛沫が付着したのだ。
「だ、だ、だ、大丈夫ですか?!」
「うん、たいしたことないよ」
「俺が代わるので、冷やしてくださいっ!」
「大丈夫だって」
ううっ、生姜焼きの野郎……先輩の手に火傷の痕が残ったら、三ツ瀬家を出禁にしてやるからな!
「うわぁ、めちゃくちゃおいしそうだね! いいにおい! それに、意外と簡単だった」
肉にタレを絡ませながら、先輩が満足げに笑う。たしかに、生姜焼きは決して難しい部類の料理じゃないけれど……。
「火加減とか、油とか、火の通り具合とかに注意してくださいね」
「わかってるよ、豚肉の生焼けは危険なんだよね。焼肉屋さんでもよく焼いて食べるから」
「そうですね。生肉を扱うときは、調理器具にも注意ですよ」
「あ、そっか。だから一番最初にサラダを準備したんだね」
「そうです。生野菜、和え物、味噌汁、最後に肉です」
言い含めるように説明すると、先輩が小さく
「そういう当たり前のこと、理解してなかった……。数回料理を作った程度で、『わたしはできる子だ』って慢心しちゃってたよ」
「あはは、ゆっくり慣れていきましょう」
「うん、ありがと、ゴウ先生」
先輩の柔らかい笑みに見とれ、俺はしばらく放心した。
ガスコンロの温度センサーがピピッと警告音を発してくれなかったら、せっかくの生姜焼きが炭と化していたかもしれない。
***
食卓に並ぶ『生姜焼き定食』を見た先輩は、いつものように目を輝かせて写真を撮り始めた。
しっかりタレの絡んだロース肉が、湯気と共に食欲をそそる香りを放出している。隣に寄り添うキャベツとトマトとの色彩の対比で、よりいっそうウマそうに見える。
さらに、その横で存在を主張する炊き立てごはん。思わず、『こいつ、誘ってやがる……!』と口走りそうになる。
もう一刻も早く胃に納めたい!
先輩の撮影を待って、いただきますと合掌。いそいそと箸を手に、肉をぱくり。
口いっぱいに、肉とタレの旨味が広がる。
ちょっと火を通し過ぎたかなと不安だったけれど、十分柔らかい。ごはんの優しい甘味と混ざり合ったとき、口内でちょっとした極楽が完成する。ありがたや、ありがたや。
「うん、すっごくおいしい!」
先輩も上機嫌だ。
「ゴウくんが自分で料理をする理由がよくわかったよ。自分でごはんを作れるようになれば、毎日こんなにおいしいものが食べれるんだね」
「そうですね。まぁ、買い物や洗い物の手間はありますけど」
「洗い物って、けっこう大変だもんね」
と、お互いに苦笑する。
食後の洗い物に関しては、先輩が『わたしがやる』と申し出てくれたので、お任せすることにしている。
食洗器はあるけれど、大きな鍋やフライパンは入らないし、皿も予備洗いが必要だ。
我が家のキッチンの高さは先輩には合わないのか、腰が痛そうにしているのは申し訳ない。
「そういえば、父の日は無事にカレー作れましたか?」
トマトの甘みと酸味を堪能しながら尋ねると、先輩は恥ずかしそうに微笑んだ。
「うん、パパ、すごく喜んでたよ」
初めてのカレー作り、うまくいったようでなによりだ。
「泣いてましたか?」
「さすがにそれはなかったよ」
ふふっと笑ったあと、先輩の顔色が曇る。
「でもね、ママが……」
「お母さんが泣いたんですか?」
「ううん、違う……。……なんでもない」
歯切れの悪い先輩に、俺は首をかしげる。もしかすると、辛党のお母さんには不評だったのかもしれない。
追求しようか迷ったけれど、未だ満たされぬ食欲に負けてしまった。
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