第48話 GO’S キッチン

「まず、小松菜の煮浸しを作ろうと思うんですけど……」


 小松菜を手にそう切り出すと、先輩は先輩は恥ずかしそうに言った。


「ねぇゴウくん……そもそも『ニビタシ』ってなに……?」

「あっ、その、なんていうか……煮物です。葉物野菜やナスとかをサッと煮る感じのやつです」

「なるほど……?」


 先輩は不可解そうに眉根を寄せた。

 煮びたしはメジャーな和食ではあるけれど、それゆえにレストランなんかではなかなかお目にかかれない。もしかすると先輩は、これまで一度も食べたことないかもしれない。


「まぁ、百聞は一見にしかずということで。それで、煮汁なんですけど、めんつゆを使うバージョンでいいですか?」

「めんつゆを使わないとどうなるの?」

「醤油とかみりん、酒、砂糖とかを使います。うちには全部揃ってますけど、たまにしか料理しないのなら、めんつゆだけを用意しておけば事足りますよ」


 とは言ったものの、開封しためんつゆは消費期限が短い。反対に、砂糖は長期保存が可能だ。

 もし週に一回程度しか料理しないのなら、めんつゆだとかえって勿体もったいないかもしれない。

 まぁ、このあたりはおいおい説明していくか。


 先輩は少しの間むーんと悩んでいたけれど、「めんつゆバージョンでお願いしま~す」とかわいい返事をくれた。


 ということで、俺は先輩に見守られながら『厚揚げと小松菜の煮びたし(めんつゆVer.)』を作った。

 火を止めたあとは、冷まして味を含ませる。米が炊けるころには、厚揚げに味が染みて、ご飯のいいお供になるはずだ。


 個人的な見解だけれど、具材を切って弱火で煮るだけの煮びたしは、すごく初心者向けだと思う。煮崩れを恐れなくていいし、最後に煮詰める必要もない。

 煮物を何回か作って、ある程度火の使い方に慣れてから、炒め物を伝授しようかなと考えている。


 火加減に慣れるために、ホットケーキを一緒に作ってみるものいいかもな。先輩、すごく喜びそう。

 まぁ、機会はまだまだあるんだから、いろいろ考えておこう。


「ところで先輩、味噌汁の具に関して、リクエストありますか?」

「ん、それはゴウくんにお任せするけど……そういえば、お味噌汁の具って、買ってなくない?」

「いえ、それはですね……」


 俺は得意顔で冷凍庫の引き出しを開ける。一段目にぎっしり詰まっているのは、あらかじめカットして、小分けにして、ラップに包んである野菜の群れ。キノコ類や油揚げもある。


「わ、すごい! いろいろある!」


 先輩が目を丸くして、感嘆の声をあげた。


「余った野菜は、こうやって冷凍しておくと便利ですよ。もちろん冷凍に適さないものもありますけど、迷ったらネットで検索すればだいたい解決します」

「そっかぁ~、なるほどね。うんうん、これなら食材を無駄にしなくて済むね!」


 そう俺を見つめる先輩の眼差しには、尊敬の念が満ちあふれていた。キラッキラの瞳と笑顔が俺のハートを勢いよく打ち抜く。

 きっと俺の心臓は穴だらけだ。先輩と出会ってたった数か月で、数え切れないほどの銃撃を受けてしまったから。


「ええと、あとはお湯を沸かして、好きな具材をぶち込んで、味噌を溶かすだけで味噌汁が完成します。

 あ、これ以外にも、豆腐とネギ、わかめ、あとジャガイモと玉ねぎがあるんで、好きな具材を言ってもらえれば」


 追加で説明すると、先輩の目に困惑の色が現れた。


「お豆腐とわかめ以外、よくわかんない……。ゴウくんのオススメでお願い……」

「オススメは、キノコ類ですかね。冷凍することで旨味が増すとかなんとか。俺はマイタケが好きです」

「マイタケって、天ぷらしか食べたことないかも……」


 先輩が首をかしげる。なんとなくそんな気がしていたから、あえてマイタケをチョイスしてみたのだ。


「天ぷらもすげぇいいですね。でも、カレーとかすき焼きにも合いますよ」

「え……想像できない。でも、ゴウくんが言うなら間違いないよね!」


 この全幅の信頼を寄せてくれている感、本当に嬉しい。


 結局、マイタケと豆腐と玉ねぎの味噌汁にすることにした。

 鍋に水を入れたら、真っ先にマイタケを放り込む。水から煮た方が旨味が出るらしいのだ。

 沸騰するまでの間に玉ねぎと豆腐を刻む。沸騰したら玉ねぎを、最後に豆腐を入れる。


 味噌はだし入りのものを使っている。ちゃんとだしを取るとウマいけれど、面倒臭いしコスパが悪いからな。だしを取ったあとの煮干しを、具として食べるのも好きだけれど。


「我が家のモットーは、『味噌汁はたくさんの野菜をお手軽に取る手段』です。だから過度に凝らず、かつ、好きな野菜を好きなだけ入れて作ればいい、ってのがばあちゃんからの教えです」

「そうなんだぁ……」


 俺の言葉に、先輩がとっても真剣な顔でうなずく。最後に、ニコッと笑った。


「『過度に凝らず』っていい言葉だね。料理初心者としては安心するよ」

「そうですね」


 俺も口元を緩める。同時に、ばあちゃんへの感謝の気持ちがぶわっと湧いてきた。近々、顔を見せに行こうっと。


 次に着手したのは、焼きさけ

 俺流の鮭の焼き方を目の当たりにした先輩は、再び目を真ん丸にした。


 我が家では、魚を焼く際にグリルを使用しない。フライパンに専用のホイルシートを敷いて、そこに切り身を乗せ、蓋をして、弱火でじっくりと焼くだけ。

 ホイルシートのおかげで、よほど長時間放置しなければ、焦がしてしまうこともない。

 途中で一回ひっくり返すから、完全放置というわけにもいかないけれど。


「こんな魔法みたいなシートがあったなんて! これなら、焼き魚が誰でも簡単にできるね!」

「オムレツとかもきれいに作れますよ。今度作ってみましょ」

「うん!」


 焼き上がりを待つまでに、先輩のリクエストである、あま~い卵焼きを作ることにする。

 先輩がぜひやりたいと言うので、卵を割るのをお任せした。


 卵を手に、「よぉ~し……!」と意気込む先輩を窺い見ると、ギンギンにキマった目をしていた。

 たとえるならば、世紀の大実験を行う科学者のような……『失敗は絶対に許されない!』みたいな、ひどく思いつめた表情だ。

 俺だって、生まれて初めて卵を割るときはちょっと緊張したけれど、さすがにここまでじゃ……。


 ハラハラと見守る俺の前で、三個の卵は無事にボウルへと中身をさらした。殻が混入することもなかった。


「えへへ、うまくいった……。この前、上手な割り方をテレビで見たの」


 と、先輩は疲労困憊したかのように大きな息を吐く。


 卵を割る程度のことで、ここまでの緊張感を漂わせなければならないなんて……。包丁を握らせたらもっと危なっかしいかもしれない。

 次回の料理レッスンが、すこぶる不安になってきた。

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