第42話 男の戦い その1

 式のあとは解散となり、全校生徒がめいめいに教室へ戻っていく。ホームルームもないし、あとは着替えて帰るだけだ。ああ、清々する。


 今日の晩飯なににしようかな、とグラウンドを歩いていた俺は、ふとあることを閃いた。

 まさかなぁ、と思いつつ、グラウンドの端に設置されている運営テントの方を見てみれば……そのまさか。

 巴先輩が、せっせせっせと一生懸命に後片付けをしているところだった。


 もちろん、先輩だけじゃない。何人かの生徒と教師が役割分担しながら、カラーコーンやボール、机なんかを運んでいる。

 けれど俺の目に真っ先に飛び込んできたのは、先輩のお麗しいお姿だった。


 パイプ椅子を畳み終えた先輩は、それを両腕にめいっぱい抱えてどこかへ持っていこうとしている。俺は居ても立っても居られず、駆け出していた。


「先輩!」


 接近しながら声をかけると、先輩はぴたりと動きを止めて、俺を見た。驚かせてしまったらしく、大きな目をさらに大きく見開いている。


「ゴウくん……」

「て、手伝います。いや、手伝わせてください」


 パイプ椅子をどこへ片付けるかは知らないけれど、第二校舎もしくは体育館の方だろう。グラウンドからはだいぶ遠いし、緩やかな坂を長々と上がる必要がある。

 大量のパイプ椅子と仲良しこよしして歩くのは、かなりの重労働になるはずだ。ましてや、先輩のきゃしゃな身体では。


「ありがとう」


 ふっと吐息を漏らすように笑った先輩は、本当に嬉しそうだった。息を切らすほどの速度で駆けてきた俺を、心からねぎらい、ありがたがってくれているのは間違いない。

 俺の心もじんわりと温まって、このまま見つめ合ったまま、時間が止まってしまえばいいのにとさえ思った。


 けれど、先輩の視線が俺から外れる。わざとらしいくらい、あからさまに。俺なんか視界に入っていませんよ、といったふうに。


「でも、大丈夫だから」


 と、無表情で俺の横をすり抜けていってしまった。


「先輩!」


 茫然自失としかけた俺だけれど、すぐに気を取り直して先輩の隣に並び歩く。すると、先輩は困ったようにうつむいてしまった……。え、どうしよう。


「あきら!」


 背後から、聞き覚えのある低い声が浴びせられた。俺も先輩も足を止め、振り返る。

 足早に近寄ってきたのは、先ほど閉会の挨拶をしたばかりの安元先輩。えっ、わざわざ俺たちのこと邪魔しに来たのかよっ。


「あきら、三ツ瀬みつせくんが手伝いたいって言ってるんだから、甘えさせてもらえ」

「でも……」


 戸惑いをあらわにして立ち尽くす巴先輩から、安元先輩はパイプ椅子をごっそり奪う。そしてそのまま俺に突き付けてきたから、腑に落ちないものを感じながら受け取った。


「あきら、お前はみんなと一緒に、テントの片付けを手伝ってこい。こういう重労働は、男に押し付けておけばいいから」

「……うん、わかった」


 釈然としない様子ながらも、巴先輩は安元先輩の言葉にうなずいた。それから俺を見て、「ゴウくん、よろしくね」と柔らかく笑ってくれる。


「はい、任せてください!」


 安元先輩の気障きざなセリフに負けないよう、頼りがいのある男スマイルで返事をする。先輩は手を振りながら、駆け足でテントの方へ戻っていった。

 スタイル抜群の後ろ姿を見送りながら、俺はようやく肝心なことに思い至る。


「あーっ、ところでこれはどこに持っていけば……」

「体育倉庫だ」


 安元先輩にぴしゃりと返され、俺は「へーい」と不貞腐ふてくされながら指示された方へと歩を進める。安元先輩は、俺と反対の方向へ去っていった。


 やっぱり安元先輩は、俺と先輩を引き裂きに来たってことだろうか。まったく、図体はでかいくせに器の小さい奴だぜ。


 ややあって、安元先輩が俺に追い付いてきた。バレーボールがみっちり入ったかごを、余裕たっぷりの表情で抱えている。

 そのまま追い抜かされるのかと思いきや、隣に並んで話しかけてきた。


「あきら目当てだったのに、邪魔して悪かったな」


 想定外の謝罪に、俺は弾かれるように安元先輩の顔を見た。けれど安元先輩の表情は険しい。


「あきらも、きみには心から感謝していると思う」

「……はぁ」


 巴先輩の心の内を十全に理解している、と言わんばかりの安元先輩に、俺は冷ややかな相槌を打った。さすが幼馴染ですねぇ~、ケッ。


「だが、きみの厚意を素直に受け取るには、今日・・はタイミングが悪い」

「どういうことですか?」


 眉をひそめると、安元先輩は周囲の様子を窺うように、ちらりちらりと視線を巡らせた。


「生徒や教師の目があるからだ。特に今は、球技大会の終了直後だ。みんながグラウンドに出ている」

「え……?」


 パイプ椅子を持っていなければ、俺は思い切り首をかしげていただろう。

 不祥事を起こした生徒会に対して、みんなが不信の眼差しを向けているというのはわかるけれど。俺が先輩を手伝うくらい、問題ないんじゃないか?


 目をぱちくりさせていると、安元先輩は低い声で続ける。


「きみがデレデレした顔であきらを手伝えば……それを見て、クソみたいな話を捏造ねつぞうするクソみたいな連中が現れかねないんだ」


 デレデレした顔で悪かったな、イラっとしたのも束の間、安元先輩の口から出た汚い言葉に、俺は戦々恐々としながら耳を傾けた。


「『生徒会長が一年生を誘惑した』なんて話をな。そんな噂が広まれば、きみはもう生徒会で弁当なんて食えなくなるぞ」

「そんな……なんで……?」


 思いもよらない話に、頭の中が真っ白になる。


「俺だけじゃなく一部の教師も、その噂を消すために、きみを『生徒会室立ち入り禁止』にするしかなくなるからだ」

「そんな権利あります?! ただ飯を食ってるだけなのに!」


 思わず声を荒らげた俺に、安元先輩は至極冷静に言う。


「……強制執行権なんてないさ。ただ、もしそんなことになったのなら、俺はこう言うしかない。『あきらのためを思うなら、大人しく従え』ってな」


 全身が冷たくなり、俺はあわやパイプ椅子を地面にぶちまけるところだった。


「だが、そんなことは言いたくない。あきらの安息の時間を奪いたくなんてない。だからきみは、事情を察して空気を読んでくれ。衆目のある場所で、あきらに構うな」

「……わかり、ました……」


 俺は血を吐く思いで了承した。


「きみには、本当に申し訳ないと思っている」


 安元先輩の声には、強い悲しみがこもっていた。決して口先だけの謝罪じゃない。


「風紀委員として、そんな噂を流す奴ら自体を取り締まりたいが、せいぜい口頭注意しかできない。特に男の俺には、女子の言動にまで踏み込めない」

「そういう噂をするのは、女子なんですか?」

「残念ながらな」


 安元先輩は、深々とため息をつく。


「あきらは美人でスタイルもいいだろう? 生徒会をよく思わない生徒たちの尻馬に乗って、あきら自身へのねたみを発散しようとする女子がいる。

 そして一部の男子も、そのゲスな噂話に乗っかるというわけだ。男子に至っては、美人のあきらに歯牙にもかけられない逆恨みだ」

「そんな……」


 ドロドロぐちゃぐちゃした話に、俺はめまいがしそうだった。混乱しながら安元先輩の顔色を窺うと、苦虫を嚙み潰したような、としか言いようのない表情をしていた。


「いわゆる『クラスカースト』のトップだったあきらが、生徒会長という『弱い立場』に立った途端、手のひら返しした連中は多いんだ。

 集団社会においてはよくあることだ、ということくらい、ニュースを見てればわかるだろう?」


 厳しい物言いに、ぐっと言葉に詰まる。俺が見ているのは、バラエティとネット動画くらいだ。

 理不尽な怒りと情けなさを抱えたまま、「理解できます」と嘘を言うしかなかった。

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