第43話 男の戦い その2
パイプ椅子を持つ腕に力を込めながら、俺は頭の中でいろいろなものを
巴先輩を嘲る二三年生たち。クソみたいな噂を立てかねない奴ら。そして、無知で無力な俺。
安元先輩は、俺と巴先輩の仲を邪魔しに来たんじゃなくて、巴先輩を守りに来たんだ。心ない噂話から。そして、なにも知らない俺から。
しばらくは、お互い無言で歩いた。体育倉庫の扉の前にたどり着く頃には、周囲に生徒たちの姿はなくなり、安元先輩と二人っきりになっていた。
安元先輩が倉庫の扉を開く音が、やたら大きく響く。倉庫の中は薄暗く、
「きみはあきらのことが好きなんだろう」
唐突過ぎる指摘に、俺はぴしりと硬直する。遅れて全身の体温が上がり、頬がかっと熱くなった。
「そういう安元先輩だって、巴先輩が好きなんでしょ」
負けじと言い放つと、まったく動揺することなく「ああ」と返された。
安元先輩は、そのまま倉庫の中へ入っていく。バレーボールを所定の場所に収めたあとは、俺からパイプ椅子を半分受け取って、さらに奥へと歩を進めた。
「……だが、俺はあきらと
「え……?」
俺からは、安元先輩の広い背中しか見えない。薄暗い体育倉庫の中で、安元先輩の後ろ姿は強い哀愁を帯びているように感じられた。
「あきらが生徒会長になることを反対して、あきらを支えるのではなく、対立する道を選んでしまった。そんな俺に、きみと同じようにあきらと接する権利はないんだ」
なにもかもを
「そんなの、安元先輩の思い込み……被害妄想じゃないですか。今からだって十分、巴先輩の力になれるんじゃないんですか?」
そうだ、風紀委員長として、生徒会長を嘲笑っている奴らをいっそう厳しく取り締まればいい。幼馴染として、辛い思いをしている巴先輩を癒してあげたらいい。
なのに、どうしてすべてを諦めて、勝手に悲しみに暮れているんだ?
安元先輩はパイプ椅子を片付けながら、俺に
「俺が、完全にあきらの味方をしてしまったら、風紀委員長としての仕事を放棄することになる。昨年、生徒会に絶望した大勢の生徒を裏切ることになってしまうんだ」
「それって……巴先輩が、生徒会に希望を持つ人たちのトップだとしたら、安元先輩は、生徒会に絶望した人たちのトップ、ってことですか……?」
愕然としながら問うと、安元先輩はようやく俺をチラ見して、重苦しそうに顎を落とす。
「……まぁ、おおよそそんな感じだ。俺は、あきらへの好意よりも、生徒会への怒りを優先した大馬鹿野郎だ。
けれど今さら、その立場を捨てることはできないんだ。俺は、たくさんの生徒の気持ちを背負っているからな」
「重いですね……。たかだか一介の高校生が背負っていいような重みとは思えない」
同情と非難交じりの言葉が口から飛び出していた。
「命がかかっているわけでもないのに、ごく普通の高校生が、そこまでの責任を負う必要なんてないでしょう? 三年生なんだから、受験のことだけ考えていればいいのに。
どうして、巴先輩も安元先輩も、そこまでの責任を負おうとするんです?」
「すべて、先代の生徒会長のためだ」
えっ、と俺は目を見張る。安元先輩は口元を緩めながら、本当に懐かしそうに続けた。
「すごく立派なひとだった。俺とあきらだけじゃなく、ほとんどの生徒が前会長を敬い、憧れていた……」
そこで言葉を切って、眉間に深い
「例の事件のあと、あきらは、前会長のために生徒会に残った。そのひとがしてきたことを無駄にしないために。
一方の俺は、前会長を裏切った副会長を決して許せなかったから、風紀委員になった」
「生徒会をめちゃめちゃにしたのは、副会長だったんですね……」
驚きつつも、納得もできた。そりゃ、組織のナンバー2が不祥事を起こせば、みんな失望して離れていくよな。
「……ああ。あの野郎は、本当になにもかもを引っ掻き回していったからな。そして、転校という形でとっとと逃げやがった」
安元先輩の言葉に怒りの熱がこもり、俺は少しゾクリとした。
けれどよく考えれば、安元先輩の怒りは正当なもの。巴先輩が背負っている苦労も、向けられている嘲りも、本来なら副会長が受けるべきものなんだから。
そして安元先輩も、恋心を諦めずに済んだんだから。
「巴先輩も安元先輩も、立派過ぎませんか……?」
ぽつりと投げかけると、安元先輩は最後のパイプ椅子をしまいながら、ごくごく軽い調子で言った。
「それでも、九月には荷が下りる。互いの任期が終わる九月にな」
と、凝りをほぐすように肩を回す。
「安元先輩は、そこから巴先輩にアタックするんですか?」
恐る恐る尋ねると、「ははっ」と軽やかに笑い飛ばされた。まるで、ほんのささいなジョークを受け流すかのように。
「するわけないだろう。そんなことをしてみろ、『生徒会長と風紀委員長は実は裏でデキてました』なんて、全校生徒の混乱と反感を招きかねない」
「そんな……!」
ライバルが減ってよかったなどと思えず、俺は食らいついていた。陰でひっそりと付き合うとか、卒業まで待つとか、やり方はいろいろあるだろ……?
「俺は東京の大学に行く。だから、あきらのことはもういいんだ……」
そう言って口元を緩める安元先輩の眼鏡の奥には、たしかな悲しみと虚しさが宿っていた。後ろ髪を引かれながらも恋心を過去のものにしようとしている、達観した大人の顔だ。
俺は強い敗北感に打ちひしがれた。
安元先輩は、あまりに器の大きなひとだった。たった二歳違いとは思えない、大人の男だった。
真っ向からぶつかっていたら、俺は絶対に勝てなかった。きっと巴先輩には、こういう男性が相応しいんだろう……。
「だからといって、きみにあきらを任せる、なんてことは一切思っていない。きみはただ料理上手なだけの、普通の高校一年生だ。
それに、あきらは美人だから、大学に行けばあっという間に恋人を見つけるだろうさ。年下のきみは、校内で同い年の彼女でも探せよ」
安元先輩は、俺が弱っていることを察したのか、ズバズバと畳みかけてくる。ぐうの音も出ない。
けれど、俺に対し発破をかけているように思えなくもなかった。
いや、むしろそうなんだろう。
俺に、巴先輩にまつわるすべてを受け止め、助け、支えてあげられる覚悟があるかどうかを暗に問いかけてきているんだ。ここで引き下がったら、正真正銘の負け犬だ。
「じゃ、ありがとな、三ツ瀬くん」
年上らしい寛容な笑みを浮かべて、安元先輩は俺の前から去っていく。
俺は、埃まみれの汚い手で、自分の両頬を叩いた。
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