第36話 ツナの旨味は万能です
翌日の昼休み、生徒会室を訪れた俺を迎えたのは、巴先輩の心底申し訳なさそうな表情だった。
「昨日はごめんね。直接お弁当箱を返せなくて……」
しゅんと俺を見上げるその顔は相変わらず麗しくて、ちょっと心拍数が上がった。
「いえ、大丈夫ですよ。先輩こそ、いろいろ大変だったみたい……ですね? 変な用事を押し付けられたんですか?」
昨日、
でも先輩は、明るく笑い飛ばしただけ。
「大変なんて、そんなことなかったよ~。ポスター貼りを頼まれたくらいだし」
「そ、そうですか。……あの、俺に手伝えることがあったら、なんでも言ってくださいね。ポスター貼りだって、二人でやれば早く済むと思うし……」
ためらいつつも意を決して告げると、先輩の笑顔が陰った。
「……ゴウくんは優しいね。でも、生徒会長であるわたしに任せられた仕事は、わたしが責任もってやらなくちゃ」
どこか思い詰めたような物言い。
俺は、『遠慮しないでください』と追いすがっていいものか迷った。
あるいはいっそのこと、『俺も生徒会に入りましょうか』と言ってしまおうか……。でもそれは、勢い任せで口にしていいセリフじゃない。
「ほら、ゴウくん!」
先輩がぱんっと両手を打ち鳴らし、俺ははっと我に返った。
「昨日みたいに時間がなくなったら嫌だから、食べよ! ほら、座って」
「はい……」
話題を切り替えられ、俺は言われたままに定位置に腰掛ける。あんまりしつこく食い下がって嫌われたりしたら、元も子もないもんな。
「これ、今日の弁当です。気にいってもらえたらいいんですけど……」
「ありがとー!」
保冷バッグを机に置くと、先輩は表情を輝かせた。それから、一刻も早く中身が知りたい、といった様子でファスナーを開けて、ピンク色の弁当箱を取り出す。
けれど、蓋を開ける前に『しまった』というような表情になり、焦った様子で俺に向き直った。
「ごめん、今日もまた興奮しちゃった。……ゴウくん、今日もありがとうございます」
「いえいえ。気にせず食べてください」
年下の俺に対しても、最低限の礼儀を欠かさない先輩の姿勢は尊敬できる。温かい気持ちになりつつも、今日も先輩が涙をこぼさないか、少しハラハラした。
弁当の蓋を開けた先輩は、「わぁ!」と感嘆しただけで、涙を見せることはなかった。先輩の涙はきれいだったけれど、やっぱり笑顔が一番似合う。
今日の弁当のメインは、ピーマンと玉ねぎとツナの炒め物。
細切りにした野菜とツナをめんつゆで炒めたシンプルなものだけど、俺はこのメニューで、天敵だったピーマンを克服した。ピーマンの鮮やかな緑色が見目好いし、弁当には最適だ。
卵焼きは砂糖を多めにして、甘い味付けにしてある。ヒヨコのような淡い色合いは、ピンクの弁当箱によく映える。
ミニカップに入っているのは、ミニトマトのチーズ焼き。こんがり焦げ目のついたチーズの合間から、トマトの赤が覗いている。
そして、オクラのおかか和え。醤油ではなくポン酢で和えてあるから、味の濃いおかずの合間に食べれば口の中がさっぱりすること請け合いだ。
「今日もどれもおいしそう! いただきます!」
箸を手にした先輩は、真っ先に卵焼きをつまんで、ばくりと口へ放り込む。ごくりと飲み込んで、「甘いのもいいね~」とにんまり笑ったあと、他のおかずにも手を付け始めた。
先輩は、どのおかずもお気に召してくれたようだ。どれを食べても、『ほっぺが落ちちゃう』みたいな顔を見せてくれた。
そして俺は、そんな先輩の表情をおかずに弁当を食べるのだ。うへへ、至福至福。
「ゴウくんって、けっこうお弁当にツナ使うね。いろいろなものに合うんだーって、感心しっぱなしだよ」
ピーマンの炒め物を完食した先輩の言葉に、俺は密かに安堵する。『いっつもツナばっかり』と思われてなくてよかった、と。
「ツナ缶って、ほんと便利なんですよ。なんにでも使えるし、缶だから保存がきくし、安価だし。だからうちでは、弁当以外にもしょっちゅう使います。『あー肉を買い忘れたぁ!』ってときにも、ツナが常備してあればなんとかなるんで」
「へぇぇ~、主夫の知恵だねぇ」
先輩の瞳が輝き、俺を称賛するように見つめてくる。気恥ずかしくなった俺は、軽く頭を横に振った。
「ばあちゃんの仕込みですよ。
俺が小さい頃に死んじゃったじいちゃんが、肉が苦手だったんです。だからばあちゃんが、肉の代替品としてツナを使ってたんですよね。肉じゃがならぬツナじゃが、とか、ツナカレーとか。
ツナって、安い肉よりもよっぽど旨味が詰まってますからね」
すると、先輩は大きな目を猫のように細め、うっとりとしたような声で言った。
「ゴウくんのツナ料理には、おばあさんの愛情が詰まっているんだね。おじいさんのため、一生懸命に工夫した結果なんだ。すごく素敵!」
そんなふうに自分の祖父母を褒められると、俺も照れる。
ばあちゃんはじいちゃんに対して、『肉が食べれんなんて
じいちゃんも、食卓に肉を並べられないことを心苦しく思っていたみたいで、よく外食に連れてってくれたっけ。
懐かしい思い出が蘇り、少し寂しくなった。今はばあちゃんとも別居しているから、なおさら。
でも、じいちゃんへの想いから生まれたばあちゃんの料理は、俺に受け継がれている。
そしてその料理は、俺の想い人を笑顔にさせている。
そう思うと、寂しさは消え、胸の奥がじんわりと温かくなった。
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