第35話 どうにもとまらない

 鞘野さやの先輩は、ジト目で俺を見上げながら言った。


「人畜無害そうな顔してるから大丈夫だと思うけど、生徒会室に出入りする以上は、素行には気をつけなさいね」


 そのセリフは、『ユノスケくん』こと安元やすもと先輩にも言われた。けど、わざわざ釘を刺されなくても、俺は真面目で平和な高校生活を送るつもり満々なんですが……。


「あきらの任期が終わるまで、あの子の評価を落とすようなことするんじゃないわよ」

「そ、そんなことしませんって。普通に高校生活を送ってればいいんでしょう?」

「そうね……普通……普通が一番ね。あんた、成績が学年トップ、とか、運動部のエース、ってわけでもないんでしょ?」

「……そうですけどぉ」


 どうせフツーですよ、とむくれながら答えると、鞘野先輩は得意げに腕組みして、「じゃあ、よろしい」と答えた。けれどすぐにその偉そうな態度を崩し、どこか物悲しげなため息をつく。


「ほんと、今年の一年生には申し訳ないわ……。巻き込む形になっちゃって……」

「え?」


 俺が眉をひそめたとき、生徒会室の扉がガラガラーーッと開いた。


「いつまで立ち話してるんだ」


 現れたのは、風紀委員長の安元先輩。スクエア眼鏡の奥から威圧的な眼光を放っているのは相変わらず。

 うへぇ、嫌な顔見ちゃったよ、と思う俺の隣で、鞘野先輩が飛び上がって悲鳴をあげた。ポニーテールが激しく揺れる。


「うひゃっ! 安元くん、いたの?!」

「悪いか」

「とんでもないっ!」


 と、鞘野先輩は俺と安元先輩の顔を交互に見上げ、なにか取り繕うようにヘヘヘと笑う。


「廊下でずっと話してられたら、集中できない。入ったらどうだ」


 安元先輩は、明らかに俺に対してそう言っていた。俺はとりあえず「すんません」と謝り、大人しく生徒会室へ足を踏み入れる。

 当然、室内にいた面々の視線が、俺へと突き刺さる。男子一人に女子二人、全員三年生。


 上級生に囲まれてウッとたじろぎつつ、机上に置かれているものを見てハッと驚く。

 ここで行われているのは、『生徒会活動』なんかではなく、まごうことなき『勉強会』だ。教科書とノートが広げられ、筆記具が転がっているのがその証拠。


「あ……お邪魔して、すみませんでした」


 思わず頭を下げる俺に、上級生たちは「大丈夫大丈夫」と朗らかに笑ってくれた。


「きみもここで勉強していってもいいぞ。わからないところがあったら、教えてやろうか?」


 安元先輩の横柄な物言いに、俺はすかさず「結構です」と返した。こんなアウェーな場所で、勉強がはかどるわけがない。


「はいこれ、お弁当箱!」


 鞘野先輩に保冷バッグを突き付けられ、俺はあたふたしながら受け取った。


「じゃあね、メッシーくん!」


 一方的に別れの言葉を告げられたのは、『さっさと出ていけ』ということなんだろうな。さっきまでさんざんおしゃべりに付き合わせていたくせに、いきなり態度を変えるなんてひどいや。


「じゃあ、失礼しました……」


 俺は軽く頭を下げると、きびすを返して廊下に出た。


 俺が退室したとたん、生徒会室の中で会話がワッと盛り上がったのがわかった。間違いなく、俺のことを話しているんだろう。予想はできていたけど、いい気分じゃない。トーンからして、悪口じゃないと思うけれど。


 耳をそばだてていると、鞘野先輩の声がひときわ大きく響いた。


「うかうかしてたら、あの子にあきらのこと取られちゃうよ、安元くん!」


 そのあと、安元先輩らしき声がぼそぼそっと聞こえた。すると鞘野先輩はますます声を張り上げる。


「生徒会と風紀委員が対立してる・・・・・からって、関係ないでしょ!」


***


 俺はいろいろなことに思いを馳せながら帰路についた。

 春山北高校の生徒会は、俺が思っている以上に複雑なんだろうか。

 一部の教師にパシリにされたり、恋愛禁止っぽかったり……挙句、風紀委員と対立してるってどういうこと?


 どうやら巴先輩は、俺のあずかり知らないところでずいぶん苦労しているらしい。

 俺に、それらの事情を尋ねる権利があるだろうか。尋ねたところで、俺になにかできるんだろうか。


 そして……安元先輩。やっぱり巴先輩に好意があって、それを勉強会のメンバー全員が知っている。

 初見から、俺に敵意をばんばん飛ばしてきていたけれど、そりゃそうか。安元先輩にとって、まさに『恋のお邪魔虫』だったってわけか。


 あーあーあー……平々凡々な一年生の俺ごときが、風紀委員長を務め、いかにも秀才っぽい安元先輩に勝てるんだろうか。しかも巴先輩は、安元先輩と幼馴染って言ってたし。


 半ば放心しながら帰宅し、私服に着替えてからキッチンへ向かった。

 手にした二つの保冷バッグをシンクの横に置いて、中からからの弁当箱を取り出そうとしたとき……。


 ピンク色の弁当箱の上に、ノートの切れ端っぽいものが乗っていることに気付いた。丁寧に四つ折りにされているそれは、絶対にゴミなんかじゃない。


 どくりと胸が高鳴る。震える指でその切れ端を取り出し、広げてみれば、案の定、俺宛てのメッセージがつづられていた。


『ゴウくんへ

 とてもおいしかったです。

 本当にありがとう。

 明日も楽しみにしています。

 あきら』


 俺の魂がするりと肉体から抜け出て、広大な音楽ホールへと降り立つ。

 控える管弦楽団と合唱団が、俺の到着と同時に『ベートーベン交響曲第9番第4楽章』──通称『歓喜の歌』を奏で始めた。


 荘厳な音楽の奔流を浴びて、俺の魂が歓喜に打ち震える。

 演奏が終わったあと、俺は壇上に上がって、指揮者のおっさんと固い握手を交わした。


 ……なんて妄想に浸ったあと、俺は切れ端を持ったまま部屋へ駆け戻る。迂闊にそのあたりに放置して、汚したり失くしたりしたら、悔んでも悔やみきれない。一刻も早く、適切な場所に安置しよう。


 さんざん迷った挙句、このラブレター的なやつは、財布に入れておくことにした。これでいつも先輩と一緒にいられる気がする~。


 我ながら気持ち悪い思考だとわかっているけれど、もうどうにもとまらない。

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