第34話 メッシーなんかじゃない

 放課後、俺は先輩から弁当箱を受け取るため、生徒会室の扉の前に立った。昼休み以外にここを訪れるのは初めてだ。

 いつもは気軽にノックしているけれど、今は尻込みしてしまっている。


 だって、室内にいるのは、絶対に先輩一人だけじゃないから。

 扉越しに、複数の人間の気配を感じる。彼らがぼそぼそと会話を交わしているのがわかる。

 これは、今まで謎に包まれていた生徒会メンバーだろうか。覚悟はしていたけれど、ちょっと入室しにくいなぁ。


 けれど、からの弁当箱を受け取らなくてはならない。意を決した俺は、コンコンと扉をノックする。


 中からの返事はなかった。みんな集中しているんだろうか。だとすればますます入りにくい。

 どうしたものかと扉の前で右往左往していると……、


「なにか用?」


 背後から声をかけられ、俺は電気ショックを受けた患者のようにビクンと身体を引きつらせた。


「あっ、あの……」


 心臓をバクバクさせながら振り返ると、気の強そうな顔立ちの女生徒が不審げに俺を見上げてきていた。

 目つきはキリッとしているけれど、俺よりも頭一つ分くらい小さくて、なんだか小動物みたいで、可憐な印象を受けた。


「あの、ええと、ともえ先輩に用があって……」


 しどろもどろに用件を伝えると、女生徒──上履きの色を確認したら緑色三年生だった──は、「ああ!」と目を真ん丸にして、パンっと手を打った。頭上でポニーテールが揺れる。


「きみがあきらの『メッシーくん』かぁ!」

「……メッシーくん?」

「なんかね、バブル時代に流行った言葉らしいよ。ご飯を食べさせてくれる男の人のことだって」

「はぁ……なるほど?」


 そんな昔から、俺のような料理男子に対する呼び名があったとは驚きだ。


「ごめーん、気を悪くしないでね。あきらがそう言ったわけじゃないの。あたしが勝手に言ってるだけだから」


 と、小柄な上級生はケラケラ笑った。口ぶりからして、巴先輩の友達だろうか。明るいところは似ているけれど、ちょっとずけずけしている気がする。


三ツ瀬みつせくん、よね? あたし、鞘野さやのっていうの。あきらから、きみが来たら弁当箱を渡しといてって頼まれてるから」

「あ、そうですか。巴先輩は急用ですか?」


 先に帰っちゃったのかなぁ、と思って尋ねてみると、鞘野先輩はつんとくちびるを尖らせ、不快そうに言い放った。


「そうなのよ。教師に用事を押し付けられちゃって。あきらの立場が弱いのをいいことに、顎で使うヤツがいるのよね。ほとんどの先生は同情的なんだけどねぇ」

「え、えええ?」


 いまいち要領を得ない話に、俺は呆然となった。教師が権力をかさに着て、生徒会長をパシリにしているってことか?

 鞘野先輩は、ますます憤然とした様子で続ける。


「学年主任のババァなんて、あきらを目の敵にしてるんだから。あきらが生徒会長になることを最後まで反対してたらしいからね。でも絶対に、美少女のあきらへのねたみもあると思うわぁ」


 俺の頭の中に、おびただしい数のクエスチョンマークが浮かぶ。

 

「えっと……教師に生徒会長就任を反対する権利があるんですか? そういうのって、生徒の投票で決めますよね?」

「そうそう。投票で決まったから、ババァに口を出す権利はないの」


 と、鞘野先輩は手をひらひらさせる。

 予想だにしなかった話を聞かされた俺は、一瞬言葉を失った。


「そんな……大変なんですね……。巴先輩、いつも明るくて、辛そうなところ見せないのに……」


 指先が冷たくなるのを感じながら、思ったことを絞り出す。

 高校生活において、教師は絶対権力者だ。その一部に目を付けられるというのは、けっこうな重圧なんじゃないだろうか。なんでそんなことになっちゃったんだ?


 立ち尽くす俺に、鞘野先輩はにかっと笑いかけてきた。


「まぁでも、あんたと知り合ってからは、毎日楽しいみたいよ。いつまでも生徒会室でぼっち飯させとくのも心配だったし、一年坊主とはいえ、あきらに飯友めしともができてよかったわ~」

「そ、そうですか」


 これは、巴先輩のご友人に認めて頂いた、ということでいいだろうか。顔を輝かせていると、鞘野先輩はぶんぶんと頭を横に振った。ポニーテールもぶらぶら揺れる。


「でも勘違いしないでね。まかり間違っても、あきらに対して下心なんて出さないこと。今の生徒会に、ピンク色のスキャンダルは絶対に厳禁なの」


 うっ、牽制けんせいされてしまったぞ。

 それに、『ピンク色のスキャンダル』ってなんだよ。巴先輩自身も、誰とも付き合う気はないって言ってたし……生徒会では、色恋沙汰はすべてNGってこと?


 どのみち、今は関係を壊したくないから、なにかアクションを起こすつもりはないけれど、『下心』ならすでにしっかりと芽を出している。俺は当分、その発芽さえも隠していかなくてはならないってことだろうか。


 ショックを受けつつ、俺はなんとかポーカーフェイスを保つ。

 けれど、俺の内心などお見通しだと言わんばかりに、鞘野先輩の目つきはどんどん疑わしげになってきた。

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