第5話 すみれと晴のファンタジー

あれから、ドアを開けるのが怖かった。

すぐに警察に連絡し、マンション周りをいつも以上に厳重に巡回する、と言われた。それでも、外に出るのは怖かったが、会社を休むわけにもいかず、すみれはハルと出勤した。

はるは、特別警戒を発令し、いつもより目を光らせて、すみれを守るべくガードした。

ビルのいつもの場所で座ると、やけに動く人が良く見える。

怪しい奴はいないか、警察もちゃんと動いてくれているか、もし、今度も自分しかすみれを守れないとしたら、どうやってやっつけるか…。


そんな事を考えていると、お昼休みになった。

いつもの倫美ともみちゃんと三人でお昼ご飯を食べた。

「あ、そうだ。今日残業だから、先帰ってても良いよ、ハル」

(それはいかん。俺が守らないと)

手をぶんぶん顔の前で振ると、2人は爆笑した。

(なんだ?この生まれ変わったものがおかしいのか?)

今は、記憶を失くしたハルと、好きだと言えなかった晴と、そのどちらでもないはるが混在していた。



18時が過ぎたが、出てこない。お昼に言っていた通り、残業らしい。

晴は、もちろん待つ事にした。

(俺が守らねば!)

そして、20時を過ぎた頃、コツコツとパンプスのかかとの音が数人分聞こえてきた。

「じゃあ、お疲れ様」

「おつかれー」

「お待たせ、ハル。帰ろう。今日は倫美も私の家でご飯ごちそうするから、一緒に帰ってくれるって。良かったね、ハル」

(ふむ。倫美ちゃん、ありがとう)

トトトと、軽快に歩く晴。ふと、遠くの花壇を見ると、スミレが奇麗に咲いていた。

晴の心残りが、目の前を通り越してゆく。

(待ってくれ、すみれ!)

止まらない足。

(ちょっとで良いんだ!待ってくれ!)

しかし、足は止まらない。

ハルが歩くペースを緩めている事に気付かず、倫美とトークが弾み、晴の気にするスミレも遠のいていく。どんどん3人の距離は離れて行く。

(仕方ない!ちょっとだけだ。小さな花束作り程度すぐ出来る)

すると、ハルは、元来た道を戻り、花壇で何本かスミレを摘むと、急いですみれに追いつこうとした。振り向いてちょっと油断した、その時、


「…っ」


お腹に激痛が走った。

「このくそ野郎!すみれちゃんの近くにいつもいやがって!お前が居なけりゃすみれちゃんは僕のものなのに!!」

金属バットでハルをぼこぼこ殴るストーカー男。

20時過ぎて人もまばらで、助けてくれる人がいない。


「うっ!ふっ!くはっ!!」


5~6発もらっただろうか、ハルは傷だらけになった。

(スミレが…スミレがしなしなしてしまう…。やっと…生まれ変わったのに…。また僕渡せずに死ぬのか?)




「あれ?倫美ちゃん、ハルがいない!」

「え!?何処!?」

「ハル?何処?ハル!!」

帰り道を再びさかのぼる事3分。

ハルを金属バットで殴りつける、ストーカーの姿が見えた。

「あ…あいつ…っ」

すみれに、もう恐怖はなかった。怒りだけが込み上げてきた。

「やめろ――!!」

「すみれちゃん…?」

すみれは、怯えてばかりじゃないぞ、とばかりに男に飛び掛かり、を食らわせた。

「!!!」

男は悶絶した。そしてなお、立ち向かおうとするすみれに、驚きの出来事が起こる。

を食らって、横に寝そべった形でもがいてる男に向かって、3~4人の警察官が駆け付け、男を押さえつけた。


加藤輝久かとうてるひさだな!?お前を殺人の容疑で逮捕する!!」

「けい…さつ?」

「雪平すみれさんですね?実は、3年前の夕奈瀬晴さんの件に関しまして、ドライブレコーダーに夕奈瀬さんに故意にトラックをぶつけ、逃げた男の姿が映っている決定的証拠が発見されまして、つい先ほど逮捕状が届きました。もう大丈夫です」

「…はあ…そう…ですか…」

やっと歩けるようになって、パトカーに乗せられ、すみれと晴の人生を狂わせたストーカー野郎は監獄へ運ばれた。


「はっ!ハル!ハルは!?」

やっとハルに目をやると、ハルはもう息も絶え絶えだった。

「ハル!ハル…うぅっ…ごめん、ごめんね。私が目を離したから…ハルはいつも私を守ってくれてたのに……大丈夫?痛い?」

ふんふん…っ

動く事もままならず、とにかく鼻息で答えた。

そして、最後の力を振り絞り、顔を動かし、すみれの花を口で銜えて差し出した。

「!」

「これ…私の為に?私にこれくれようとしてあの男にやられたの?」

(大した事ない)

「ごめんね…」

すみれは、そっとハルを抱き締めた。


「ミー…」

「!」


「ハル!?」

「ミャ―…」

「すごい!声…初めて聴いた…。ありがとね、ハル。もう鳴かないで良いから…無理しないで…ちゃんと動物病院連れてくから…治るから…もう無理して鳴かないで」

(動物病院…?)

「ハルは本当に優しい猫だね…」

(猫?そうか…僕は猫に生まれ変わってたのか…。じゃあ、すみれとはもう、生まれ変わっても結ばれようがなかったんだな…馬鹿だな…好きってなんであんなにチャンスがあったのに…言わなかった僕が悪いんだよな…)


「ム…ミィ…ミャ…」


「ん?何?ハル…」


「ムミィミャ…」


『好きだ…』


すみれには聞こえた。只の鳴き声がはっきりと、好きだと聞こえた。


「晴?晴なの?夕奈瀬晴なのね?」

「ミャ―…」

力が入らない晴の鳴き声。

「そんな弱った声出さないでよ…。晴……晴が死んだって聞いて…もうパニックで…。でも、ここに居るのも晴なんだよね…」



「泣いてる場合じゃない!早く病院連れてかなきゃ…」

自分が着ていたコートでハルを包みながら、動物病院へ急いだ。

「レントゲン撮ったりしますので、待合室でお待ちください」

「はい」

診察が長く感じる。

(死なないで…晴…)



もう2度も晴を失くしたくないと祈るすみれ。

猫であっても、すみれの傍に居続けたいと願う晴。


その2人の声が届いたのか、何とかハルは命を取り留めた。

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