第39話
二年前の八月二十四日、尚記と裕記は火災現場に居た。火災現場は裕記の住む所からすぐ近くのアパートだった。この数日前に尚記は裕記から電話をもらい、会う約束をしていた。裕記がわざわざ電話を寄越して、しかも裕記の部屋を会う場所に指定するのは、よっぽど良い事があったか、何か問題が起きたので手伝って欲しいかである。
良い知らせを期待しつつも、また面倒事に巻き込まれるのだろうな。そう半ば諦めて尚記は裕記の部屋に向かっていた。
裕記の部屋の近くの交差点まで来ると異臭がした。何やら焦げ臭い。最初、尚記は誰か焚火でもしているのだと思った。最近はマナーに反する為、この辺で焚火をする人は居なくなったが、尚記が子供の頃はあまり気にせずに庭先で焚火をしている家は結構あったものだ。今でもお爺さん お婆さんが昔と同じ感覚で焚火をしている時がある。今日は風も無く焚火日和りである。尚記は、そんな お爺さん お婆さんが焚火でもしているのだろうと思って、さして気にする事なくゆっくり歩いて交差点を曲がった。
交差点を曲がると数100メートル先に裕記の住むアパートがある。その手前に建っているアパートの二階の一室、その窓の隙間から煙りが昇っているのが見えた。(火事か)と思うよりも先に、煙りくさいのはアレのせいかと尚記は思った。そして野次馬がいるのを見て、(あぁ火事か)と思い至った。
アパートは鉄筋なのだろう、もしかしたらマンションなのかも知れないが、尚記はアパートとマンションの定義がよく分からない。裕記が住んでいるボロいアパートよりはずっと立派だったが、マンションと呼ぶ程の事も無いような建物だった。ただ鉄筋であり、防火設備はしっかり整っているらしく、燃え広がる様子はない。そもそも外から火の手は確認できなかった。窓の隙間からスーッと細く黒い煙りが出ているばかりで、付近の雰囲気に逼迫感が無い。
尚記はその先の裕記のアパートに行くために野次馬の集団の中を通過していたが、聞こえて来るのは、買い物に行きたいのだけれどこの場を離れて大丈夫かしら?などと言う会話である。そう言えばサイレンの音も聞こえない。
聞こえているのは、建物の中から薄っすらと聞こえて来る火災報知器の音だけである。その音も夏空の青の中に吸い込まれて行き、役目を果たしていないように聞こえた。
これだけ人が居て誰も通報していないのだろうか?それとも自動で通報される仕組みなのだろうか?そんな事を考えられるなら、尚記自身が通報すれば良いものを、尚記は自身を棚に上げ、訝しんで責めるように野次馬を見回した。
と突然、大きな破裂音がした。窓ガラスが割れ、先ほど黒い煙を細く吹き出していた窓から、黒煙が今度はドッと吹き出した。
「オーッ!」
野次馬は悲鳴では無く、歓声のような驚き声を上げる。
黒煙が勢い良く吹き出されたのを見て、尚記はその場を早く立ち去ろうと、裕記のアパートに足を向けた。しかし、もしかしたら裕記がこの野次馬の中に居るかも知れないと思い直した。住んでいる所から、ほんの数10メートル隣での出来事である。気付いていれば、裕記ならここに居ても不思議ではない。そう思った尚記は、今度は裕記を探す為に野次馬を見回した。
その時また、「オーッ!」と言う歓声が上がる。見ると、先ほど窓が割れて煙りが吹き出したせいで、視界が効かなくなっている一階の煙の中から、煤けた裕記が飛び出して来た。腕には少年を抱いている。
「トウ!」
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