第38話

 頭の中ではそんな事を考えつつ、手は黒飴とじゃれあい、口では尚記と黒飴の近況に探りを入れて、目は部屋の様子と、尚記の行動を観察する。房子にとっては当たり前の事だった。見ていると尚記は一度、冷蔵庫の中のスポーツドリンクを房子に出そうと、手に取ったが止めて、今は紅茶を出す為にお湯を沸かしてくれている。

 冷蔵庫を開けた時、チラリと中が見えたが、ガラガラだった。どうせ碌なものは食べていないはずだ。房子はそう勝手に決めつけ、乗って来た車の中に食料が入っている袋がある、私は黒飴の相手で忙しいから取って来い。と尚記に命じた。案の定、尚記は迷惑そうな顔をしたが、

「あにぃ?あんたは忙しいんかい?今日」

 食糧をくれてやるのだ。四の五の言わずに取って来い。

 房子は高圧的に出る事で、「食糧を貰っている」そう感じてしまうかも知れない、尚記の申し訳なさを緩和してるつもりである。更に黙って車の鍵を差し出して、これは房子が決めた事で、尚記に選択肢は無い、貰うしか無かったんだと言う事を印象づけた。

 尚記は「特に無い」とかなんとか、口の中でモゴモゴ言いながら、紅茶と房子の車の鍵を交換して、大人しく食料を取りに行った。  

 

 房子は高圧的に出る事で、尚記が「今」忙しいかどうかでは無く、尚記の「今日」の予定が空いていると言う情報を手に入れた。

 普通に今日の予定を聞けば、「えっ?なんで?」とか言って来そうである。

 房子が今日ここに来たのは、顔を見せない尚記に業を煮やしたからだ。尚記もいい大人なので今までは放っておいたが、ネコを飼い始めた。どうせ…という言い方は無いが、房子が尚記に対して心配しているアレコレと比べると、どうせ子ネコの世話に付きっ切りなのだろう。ならばこちらから出向いてしまえ。それが房子の性分だった。それに房子も黒飴に会いたかった。

 黒飴を飼う時に、尚記は自分の部屋の鍵を房子に渡してきた。尚記が昼間いない間、たまに黒飴の様子を見て欲しいとの事だった。

 房子は尚記の部屋に自由に出入り出来る様になり、いつ来ても尚記のキッチンのシンクが汚れていた事が無いのに驚いた。尚記がきちんと自炊をしているなら、専業主婦でも難しいレベルで家事をこなしている事になる。房子は自らの沽券に関わるような気がして、尚記は料理をしていないと決めつけていた。

 今日は来たついでに、何日か分の保存の利く料理を作っておこうと思っている。チラッと見たところ調味料は一通りあるようだ。調理器具も一通りある。房子は勝手に決めつけた尚記像が早くも崩れて行く音が聞こえた気がした。もしかしたら尚記はちゃんと自炊している可能性がある。しかし房子はその可能性を強引に握り潰した。尚記が自炊していようがいまいが関係ないのだ。私が作ってやりたい。

「ね、それで良かよね?」

 房子は黒飴に問いかけた。


 食材の入った袋と、房子のオーダーには無かったダンボールを抱えて、尚記は戻って来た。

「房子さん、このダンボール、裕記の荷物ですよね?ボクに渡すつもり持ってきたんでしょ?勝手に車から持って来ちゃいましたけど…」

「あぁ!そうそう、忘れてしまっていたわ。

まだ、もう何箱かあったでしょ?全部そうだから持って来てぇ。おばさん、ちょっと料理しちゃうから」

「えっ?料理ですか?」

「えっ?ナニカ、モンクアル?」

 軽い威圧を含んだ房子の言い方に、再び尚記はモゴモゴと「特に無い」とかなんとか言いながら、雪の降りしきる中を駐車場まで戻って行った。

 それから二往復、二箱ずつ。食材を持って来た時の一箱と合わせると、計五箱のダンボールが尚記の部屋に並んだ。黒飴は隙あらば入ってやろうと目を輝かせている。

「ねぇ、これ、この中」

 房子は料理の下準備が終わり、区切りのついた手を拭きながら、【本・ノート・書類】と書かれたダンボールを開けて中から数冊のノートを取り出した。

 それは黒飴を初めて沢五郎家に連れて行った時に尚記が読んだ、裕記の備忘録のようなノートだった。あの時は黒飴の救出の為に全部を読んだ訳では無かったのだった。

「あんたが、その子を連れて来た日に、あんた等が帰ったあと二階に行ったら、これが読みかけのまま置かれてあったんよ、ゴメンナサイしながら、ちぃと読まさせてもらったけど、これはあれかい?裕記の日記かい?」

 尚記は、どうやら裕記は小説のような物を書いていたらしく、ノートには事実と虚実が入り乱れて書かれてある事を、房子に説明した。

「事実も書かれてあるんかい?そしたらアレかい?裕記が…裕記が居なくなった日の前後の事も何か書いてあるんかい?」

 後の事は書かれていないだろうが、探せば亡くなる直前の数日間に、何があったかは書かれてあるかも知れない。

 ただ書かれてあったとしても、書かれている内容が、あの日、裕記が何故あのような行動を取ったか、その理由の解明に繋がる事が書かれているかどうかは分からない。それよりもまず、あの日、八月二十四日に一番近い日付けを見つけ出すのが一苦労だ。裕記は日付を順番にして書いてくれていなかった。

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