第26話
各共通棟にはシャワールームやトイレ、休憩室はあるが、若い番号の共通棟には冷蔵庫が無い。確か冷蔵庫が設置されているのは5号棟より大きな番号の共通棟だ。5号棟以後の共通棟に冷蔵庫が設置されるようになったのは、沢五郎さんの働きかけがあったからだ。
「お前ら設技屋を殺す気か、各棟の休憩室の冷蔵庫は、その棟の従業員の飲み物で一杯じゃねーか。俺らにも冷たくて旨いもん飲む権利くらいあんだろうが!」
管理職サイドは、
「自動販売機があるでしょう?」とか
「水筒、持ち歩けば?」などと言っていたが、
「わざわざ自販機で買わせんなら、その分のお代はそっちで金出してくれんだろうな?」とか、
「設技屋に道具以外に、水筒まで持ち歩かせる気か?俺らがいったいどれだけの水を飲むか、知ってんのか?」
悉く、沢五郎さんに一蹴されていた。
八崎が思い出しているのは、八崎が新人だった頃、若い八崎が居るのは場違いで、肩身の狭い思いをした事業所会議の一齣だ。上の人達にそんな口を利く事などあり得ない、そう思っていた八崎は、その光景を見て、意見はどんどん言って良いのだなと感動した。
設技屋を怒らせたら、事業所は立ち行かない。新しく建てられた共通棟には漏れる事なく冷蔵庫が置かれるようになった。しかし、1〜4の共通棟には依然として冷蔵庫は無い。不便だと思った沢五郎さんは内緒で共通棟近くの倉庫に電気を引っ張って、小さくても良いから冷蔵庫を置くことにしたのだろう。
そう言えば、尚記の奇行が目立つようになったのも、沢五郎さんが退職した後からではなかったか?部署は別だが、沢五郎さんが手綱を握っていたのだろうか?
沢五郎が尚記の養父のような存在である事を八崎は知らない。八崎だけに限らず、ほとんどの人は知らない事実だった。
「八崎さん?今度は倉庫の中を確認するとか言いませんよね?そこまでしたら、設技の人達も縄張りを侵された気がして、良い顔しませんよ?たぶん。」
呆っと、考えごとをしていた八崎に尚記が声をかけて来た。
設技屋が良い顔をしないのは、そうだろう、八崎も納得した。あの集団は肉体派の集まりなのに口の立つ人間が多い。普段はチヤホヤしてくれるが、仕事になると女である事も通用しない。考えは柔軟だが、専門家である為、生半可な覚悟で口を出すと手痛いシッペ返しをくらう。
「言わないよ。それよりネコ飼った事あるの?」
八崎はどこかのタイミングで急ぐ事を諦めていた。
尚記はダンボールの蓋の部分にあたる、フラップと呼ばれる所を持って、開けたり閉めたりしながら、
「大丈夫かなぁ、逃げないかなぁ?」
子供のように独り言を言っていたが、八崎に質問されて、
「無いです」
簡潔に答えた。
簡潔であり、単純であり、単細胞である。故に無計画に思えてしまう。
「どうするの?色々と必要になってくるし、してあげなきゃいけない事も沢山あると思うよ?ずっとは見てあげられないでしょ?」
八崎は余計なお節介だと思いつつ、それでも言うのを止められなかった。
「親ネコが託して行った時点で、ある程度、一人にしても大丈夫なんだと思います。歯も生えてて、乳離れも済んでるみたいだし。必要な物は弟の遺品の中にあると思います。あいつはネコを飼ってたんで」
八崎と尚記が特に喋るようになったのは、ここ半年くらいのことだ、それまではお互い認識はしているが、目があった時に会釈を交わす程度で、仕事上で必要な事しか喋らなかった。そして仕事上で接点がほとんど無い二人は、話す機会もほとんど無いに等しかった。
だが喋るようになってからは、いつもこんな調子だった。尚記が説明を始めると、八崎の疑問は増えて行く。
こう言うとき八崎の頭には、どこかで読んだのであろう、『解き明かされず、説き明かされず、謎が深まる』そんな言葉が思い浮かぶ。
『親ネコに託された?』『弟の遺品?』後者は触れて良いのかも分からないデリケートな話題だ。
「八崎さん、時間、大丈夫なんですか?」
八崎はもう急ぐつもりは無くなっていたが、尚記にそう言われて再び機を得たので、やはり昼休み中にF棟の管理者達に話を通しておく事にした。親ネコに託された件は後で聞くとしよう。弟の遺品の件は…様子を見ながら考えよう。八崎は尚記と別れ、F棟に向かった。
在庫確認が必要だったのは、各部屋にある換気扇のフィルターだ。急激に減った原因は、連日吹いている強風のせいで砂埃が逆流してフィルターを目詰まりさせてしまい、交換頻度が上がったせいだった。
良かった。一番懸念していた備品の持ち出しでは無かったので、八崎は肩の荷を降ろして午後の小休憩を迎えられた。小休憩中に尚記の所へ、説明の続きを聞きに会いに行ったが尚記は早退していた。
午前中、尚記は元気そうだったので、子ネコのために早退したのだろう。昔の八崎なら理解の出来ない行動だったろうが、今は否定的な事は何も思わない。
「子ネコの命はもっと大事です」か、確かにそうかも知れない。
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