第23話

 キュゥ。水筒の蓋を締め、パッキンが引き絞られる感触を楽しんで、八崎はお昼ご飯を切り上げた。後から休憩室に入って来た後輩が、お弁当を片付けている八崎の様子を見て、「あら、八崎先輩もうお昼終わりですか?」そう訊ねてきた。

「えぇ、F棟に行ってくる」

 資料作成のノルマは午前中に終えた。朝礼で言った通り、八崎は午後からF棟で状況確認を行う予定だった。昼休み中に移動を済ませ、本当に言葉通り午後イチから確認作業に入るつもりでいる。ほとんど抜き打ちに近い。昼休み中にF棟の管理者3名に話を通し、有無を言わさず休憩明けから始める算段だ。

「ちょっと整理があるんで待って下さい」

 などと言おうものなら、

「せっかく昼休みを削ってここまで来たんです、本来、整理されてあるはずの事ですから、整理は昼休み中に終わらせておいて下さいませんか?皆さんはその後、休憩を取るのでも宜しいのでしょう?庶務の在庫管理業務にご協力頂けると嬉しいです」

 取り付く島を作らずに言うつもりであった。もちろん笑顔を添えて。

 お箸を箸箱にカチャカチャと仕舞いながら、そう言えば、八崎に「お昼終わりですか?」そう尋ねてきた後輩に対して、あの返答だけでは、ちょっと言い方が冷たかったかなと思い、その後輩には午後の予定がある事を知りつつ八崎は

「一緒に行く?」

 間が空いた事も気にせずに付け加えてみた。

先輩から受ける誘いは指示や命令に近い場合がある。驚いた後輩は真意を測るために八崎を見た。そして八崎がいたずら顔でニコニコ笑っているのを見ると、

「イヤですよぉ、めんど臭い」

 あけすけに物を言った。

その言葉をニコニコと笑いながら聞いて、

「じゃぁその内ね」

 今のところ一緒に連れて行く気は当分なかったが、八崎は将来の為に伏線を張っておき、その場から立ち去った。

 閉まりかけた休憩室の扉の隙間から、「イヤですよぉ?」念を押すような声が追いかけて来たがF棟に向かう八崎が止まることは無かった。


 八崎がF棟付近まで来ると不審な人物がいた。尚記だ。

 事業所の区画は基本、綺麗な碁盤目状に作られている。そして構内を走る車両の事故を未然に防ぐ為、見晴らし良く設計されていた。なので八崎はかなり遠くから不審な動きをしている人物を認め、何者なのかを確認する為に歩を早めたが、それが尚記だと分かるとまたスピードを緩めた。

 沢田さんがまた何かしている。八崎は自分の心境が良く分からなかった。何をしているんだろう?そんな積極的な興味もあったし、また何かやらかしているよ。と言う情けない気持ちもあった。どちらかと言うと、どうやら情けない気持ちの方が勝ったらしい、八崎は一つため息をついて、『トホホだわ』そんな言葉が込み上げ、思わず本当に声に出しそうになってビックリした。

 そんな情けなさが少しまさった気持ちで、尚記を目で追いかけていると、尚記はF棟の脇の細い道に入って行ってしまう。このままだと、F棟に遮られて尚記の姿は見えなくなってしまうが、八崎は特に歩くスピードを変えなかった。

 尚記は問題行動を起こすが大きな事故に繋がるような事はしない。そう言った信頼もあったし、あの先は確かどん詰まりのはずだった。八崎はどん詰まりに追い詰められた尚記を想像してニヤリとした。しかし本当に沢田さんは何をしているのだろう?

 最初に不審者を認めた時、八崎は南1号幹線道路を歩いていた。F棟は南1号幹線道路沿いの、東の果てにぶつかる少し手前に建てられている。そしてその奥、東と南の幹線道路が交わる曲がり角にあたる部分の東幹線道路に面して共通3号棟が建っていて、出入り口は西に向かって作られている。つまり東に向かって歩いている八崎から出入り口は丸見えだった。

 共通3号棟の出入り口にいた不審者は踊っているようだった。踊っているようだったから不審者だった。不審者は踊るようにして東1号幹線道路に飛び出し、八崎から見て右に進路を取り、斜向かいにあるF棟脇の小径へと歩いて行く。非常に不自然な歩き方で肩を大きく回したかと思えば、突然向きを変えたりのけ反ったり。今はF棟の脇の小径に曲がった為、八崎からは不審者である尚記の背中側の右半身が見えている状態になる。

 八崎はチラリと腕時計を見て、まだ時間に余裕がある事を確認してから尚記が入って行ったF棟脇の小径のセンターにポジションを取った。尚記は逃げたりしないだろうが逃しはしないと言う意思の顕れである。

 尚記の背中が見える、相変わらず奇妙な動きをしている。八崎はその様子を見て、やっと尚記の動きを表現する良い言い回しを思いついた。うなぎだ、うなぎを捕まえているようなのだ。

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