第22話

「その油断が危険なんだよ」

「配管や送電線は無くても、足場が悪いだろう。転倒し易いんだから、通っちゃダメだ」 

 などと言いそうな、沢五郎を含めた、主任クラスの顔を何人か尚記は思い浮かべたが、彼等の顔はまるで抑止力にはならない。なぜなら彼等もまた規則に縛られない人達であったからだ。それに無駄なものは無駄なのだ、正規のルートで行けば5分くらいのロスはするだろう。

 尚記は躊躇なく規則を破るところがあった。先ほど裏返した『フォークリフト運搬作業中、立ち入り禁止』の札も、本来であれば複数のフォークリフトを使用する時に表示する物であり、尚記一人の作業時に表示するものでは無い。

 だが尚記は体が動くに任せ、頭の中は過去に飛ばしたり、時には未来に飛ばしたりして、心ここにあらずでフォークリフトを操作している、そんな所に行動の予測出来ない他の作業員が入ってきてしまうと危険なのだ。  

 今まで尚記が午前中に作業していて、資材倉庫を訪れたのはたった一人だが、尚記は危ないと思い、自分が作業している時は勝手に立ち入り禁止にしていた。


 細い獣道のようなスペースを通って、尚記は幹線道路に出た。共通棟はすぐそこだ。やはり正規のルートを辿るのはバカらしいと思ってしまう。

 朝、八崎と会った幹線道路は事業所全体で言うと東側にある一番太い通りであり、東1号幹線道路と言った。北東にある通用門から南下して延びていて、北の各幹線道路と中央を横断する道路、そして南側の各幹線道路を突っ切って、事業所の南辺を東西に横断する南1号幹線道路にぶつかる。

 尚記は東と南の1号幹線道路がぶつかかる場所にいた、言わば事業所の東南の角だ。共通棟、正確には共通3号棟は東南区画の共益ゾーンになる。尚記のように所定の作業場所を持たず、事業所のあちこちで作業する従業員が使う事が多い。

 2月とは言え、閉じ切った倉庫内は蒸す。ある程度はパレットに載せ、まとめてフォークリフトで運搬するが、パレットに荷物を載せる時は人力で行う場合もある。シャワーを浴びる必要があったのは、頭の切り替えのためだけでは無い。

 着替えを持って来ていない事に気付いたが、しょうがない。首からかけていたタオルをクルクルと回して、尚記は共通棟の扉を開けようとした。

 共通棟の扉の左右には、外壁から人ひとりが通れるくらいの幅を空けて棟の外周を囲うように、ツツジなのか、サツキなのか、生垣が植わっていた。その中からネコの鳴き声がした。ガサガサと音がして子ネコを咥えた親ネコがあらわれた。

 事業所は市街から離れた、ほとんど山と言っても良いような場所にある。事業所内で野生の動物を見る事など、そう珍しくもない。ウサギ、タヌキ、キジ、イタチ、2メートル近いヘビ。事業所の外には鹿や猪も居る。ネコなど珍しくもない。

 工場の南側は基本的に車両の通行が多い。危険だと判断した親ネコは、車両の通行うんぬんで言えば、比較的安全な事業所内の中央側に子ネコを連れて移動しようとしているのだろう。

 尚記は勝手にそう受け取って、孟母三遷の教えだね。ウンウン。親ネコに理解を示した。(でもあっちの方は蒸気とか配電盤があるから気を付けてね)

 親ネコは警戒するように尚記をじっと見る。尚記は子ネコを咥えた親ネコを驚かしたくは無かったが…驚かして急に親ネコが駆け出したりしたら、子ネコが振り回されると心配したからだ…しかし、いつまで見つめ合っていてもしょうが無いので、なるべくゆっくりと扉に手を伸ばした。

 すると親ネコがトコトコトコと、驚く風でもなく普通に寄って来て、尚記の足元に子ネコを置いて立ち去った。

 あっと言う間だった。

⁈と思う間も無く、親ネコは既に生垣に上半身を潜り込ませており、見えているのはボンボンのような尻尾だけだった。その尻尾も2〜3回ピコピコと揺れて、見る間にシュルっと生垣の中に吸い込まれていった。

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