第20話
手紙は長いのから短いのを合わせ、12通あった。中には日記に近い文章の物もあった。尚記の思い出からは零れ落ちた、些細な出来事についても、ケンは大事な宝物のように書き記してあった。
一通、尚記も良く記憶に残っている事について書かれた手紙があった。それはケンとハナが付き合い始めた。と尚記が小箱を開けるまでは思っていた、その頃の手紙だった。
当時、付き合う事は無かったが、尚記も想い焦がれる女性がいた。ケンとハナと三人でいる時間は少なくなったが、ケンとハナは三人でいる時間を欲するように、時には尚記を強引に呼び出して一緒に時間を過ごした。
それは尚記が高校を卒業して働き出した後であり、ケンとハナが同じ大学に進み、二人は時間を自由に惜しげもなく贅沢に使っていた頃の事だ。尚記は二人ほど自由に使えない時間をどうにか遣り繰りしてして呼び出しに応えていた。かと言って集まって何をするでもなく、プラプラとその辺を歩いていた時の事だったと思う。
秋くらいで、暑くもなく寒くもなく良い天気だった。尚記は歩きながら、ちょうど良い気温と良い天気に釣られて…それに働き始めてまだ身体が慣れていなかったのだろう、その頃の尚記は寝ても寝ても眠かった…我慢をする事など微塵も考えず、当然の権利を行使するように欠伸をした。
両腕を上へ伸ばし、大きく開けた口を隠す事なく、天をつかむ様に欠伸をした尚記の目に、青い空が映った。
「空が青い」
尚記は目にした光景を、見たままに口にした。ケンとハナはそれぞれ、ケンは携帯をいじるのを止め、ハナは途中で拾った枝を振り回すのを止め、二人で空を見上げて、
「そうだねぇ」
口を揃えてのんびりと答えた。
空は青いのに、秋の午後の日は地上に降りて来ると黄金色に染り、その光は葉の落ちた枝をよけるようにゆっくりと地面に延びて行く。
秋の日に染められたのか、秋の日が染められているのか、イネ、ススキ、エノコログサ、その他の名前の知らない色付いた草木が乾いた匂いを放つ。
落ちて行く光の中を、綿毛や、ウンカだろうか?小さな虫が通ると、反射して光の珠が浮遊しているように見えていた。その光の珠に囲まれて、呆けたように空を見上げる二人がいる。そんな牧歌的な景色を尚記は見ていた。
尚記はこの話題がそれ以上発展するのを望んで言った訳ではないので、また心地の良い沈黙が三人を包むものだと思っていた。
が、ハナが何かを思い付いたように、思い出したように、
「ねぇ、」
意味深な声を出して、ケンに目配せをして一呼吸置いた。
ケンの手紙にはこう書いてある。
『ハナが何やら視線で意思疎通を図ろうとしている。俺はすぐに気が付いて、ハナと声を揃えてこう言った。
「どんな蒼さが見えている?」
ヒサノリは普段は能面みたいな顔なのに、目をパチクリさせてボクとハナとを交互に見た。俺はヒサノリの驚いた顔が好きだ。驚いた顔も好きだし、ヒサノリの心情に介入出来たような気がするから、驚かすのが好きだ。俺はやっぱりヒサノリの事が好きだ』
手紙はまだ続いていて、尚記に好きな女性が出来た事を知ったので、ケンは自分の気持ちを諦めねばならないが、上手く気持ちの整理が出来ない、そう言った事が綴られてあった。
その他の手紙も尚記への気持ちが記されてあった。伝えたいが伝えて、気持ち悪がられるのが怖い。伝えられずに二度と会えなくなる日が来るのも怖い。
それまでケンの気持ちにまるで気付がなかった自分を尚記は呪った。
14年が経つ、ケンが生きていたとしても、ケンの想いに応える事はできないが、当時、ケンの想いを知っても、尚記は変わり無く三人で居る事が出来たと思う。ケンにとっては変わりないのが辛い事なのかも知れなかったが、今となっては確かめる術は無い。
尚記は独りよがりであると思いつつ、三人の関係がいつまでも変わりが無い事の証となるように、貰った手紙と、二人がくれたペンダントを大事に仕舞ってある。
ケンの死後、小箱を開けたのはその時の一度切りだか、尚記は小箱を見る度に思う。ケンとハナはどう言う関係だったのだろう?ハナはケンの気持ちを知っていたのだろうか?
尚記から見ると、当時の二人は、世界には二人しか居ないと思っているような仲の睦まじさであった。それは側から見ていて危うく思えたが、そんな奇跡のような関係が続くのならば、空を見ている二人の無垢さは危うくても、このまま何も知らず、無垢なままでいて欲しいと願っていた。
二人は尚記が思っている以上に、生めかしい心で空を見ていたかも知れないのに…
尚記は死別を経て孤独になったが、もともと自分は何も分かっておらず、二人と同じ空の青さは見ていなかった、ずっと一人きりだった事を二人の死で知ったのだ。
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