第18話

「どんな蒼さが見えている?」

 そう聞いて来たのは、幼なじみの二人であり、

「見ろよ、雪が踊るように降ってくる」

 涙ぐみながら、そう言ったのは弟の裕記であった。

 皆、もう亡くなっているので、尚記は何故、彼等がこの様な事を言ったのか、言葉の出所、言葉の真意を教えて貰うことはもう出来ない。

 

 尚記は今日までに五人の近しい人間を亡くした経験をしている。二人の幼なじみと、三人の肉親。

 幼なじみの二人は田島賢一と羽田七海と言った。尚記と二人は幼稚園に上がった頃から良く一緒に遊んでいた。これに弟の裕記がたまに加わった。尚記は幾つになっても、幼い頃からの呼び方を変えず、二人をケンとハナと呼んだ。弟は、「おとうと」の「お」を省いてトウトと、更に面倒なときはトウと呼んでいた。

 五人は別々に亡くなった。五人とも事故で亡くなった事になっているが、ケンの死はハナの死を受けての自殺だったと思っている。

 弟の死はケンとハナの死とは全く関係ないが、裕記のあんな馬鹿な死に方は、自殺としか思えなかった。あれは絶対に自ら命を絶つ行為だった。

 両親の死は、尚記が小学校に上がる前後の頃だったと思う。交通事故で亡くなった。両親だけ出かけていて、留守番の尚記と裕記はTVゲームをしていた。近所の小母さんが、「あんたらのパパとママが事故にあったよ!」慌てて駆け込んで来たが、あまりに現実感が無く、理解も追いつかず、「そうなんだ。」そう言って裕記とコントローラーを取り合っていた気がする。小さかったので良く覚えていない。

 

 幼なじみの二人は、まずハナが先に亡くなった。

 当時、ハナは一人暮らしをしていた。節約の為か、単に料理が好きだったのか、はたまたその両方か、ハナはきちんと料理をする子だった。

 その日、ハナは料理中に包丁を握ったまま、キッチンからテレビのリモコンを取りに行く時に転倒した。そして運悪く包丁が腹部に刺さった。

 ワンルームだ、そんなに歩いた訳ではないだろう。たった数歩がハナの命を奪った。もしかしたら逆に数歩だったから、ハナは包丁を持ったまま移動したのかもしれない。とにかく手の届くような短い距離が、ハナを遠いところへ連れ去ってしまった。

 ハナは自力で救急車を呼び、病院に搬送されたが間に合わなかった。救急車の中では意識があり、包丁が腹部に刺さったいきさつを自分で説明したらしい。急な事だったので、両親もケンも、もちろん尚記もハナの死に目に立ち会う事は出来なかった。

 

 続いてケンが亡くなった。トラックに轢かれたのだ。

 当時、ケンとハナは付き合っているとばかり尚記は思っていた。おそらく付き合っていたのだとは思うが、それは普通の男女の関係だったのか、尚記には分からない。そしてと言うか、だからと言うか、ハナの死がケンにどのような衝撃を、どれくらいの心の傷を負わせたのか、尚記には推し量る事ができない。

 トラックに轢かれたのは、自殺のような物だと尚記は思っている。ケンは心身喪失のような状態で彷徨っていたのだろう。きっと楽になりたいと思ってしまったのではないだろうか?ハナを失った喪失感から解放されたいと思い、導かれるように、自ら望むように、赤色の交差点を歩いて渡ろうとしたのではないだろうか。

 ハナの死後、ケンは尚記と会うのを避けるようになったので、ケンが当時どう言う精神状態だったのか尚記には分からない。幼い頃から一緒にいたのに分からない事だらけだった。

 最後にケンに会ったのは、ハナの葬儀の時だった。尚記はケンに声をかけた。何と言って声を掛けたかは覚えていない。「大丈夫か?」だったかも知れないし、ただ、ケンの名前を呼んだだけかも知れない。

 ケンは打ち拉がれて泣いていた。声をかけた尚記に対して、もう話しかけてくれるな。そんな風に、ケンの肩に触れようとした尚記の手を振り払って立ち去ってしまった。そのあと一度も会わず、ケンは死んだ。

 ケンに手を振り払われた事は単純に、けれども深く尚記を傷付けた。何かしら力になってやれるだろうと、当然のように思っていた尚記は、知らず知らずのうちに憐むような目でケンを見ていたのかも知れない。ケンは手を振り払う事でそれを尚記に教え、自分の中に憐む気持ちがある事に気付いた尚記はそんな自分を嫌悪した。

 尚記は葬儀のあと、幾日もケンを心配した。何度も会って話しができないか連絡を取ろうとした。しかしその度にハナの葬儀の時に手を振り払われた記憶が蘇り、怖くて電話をする事が出来なかった。

 自分が居なくても、ケンは立ち直るだろう。何かしてやれるなんて、思い上がりなのだ。今はそっと、一人にしておいてやるのが良い。

 本気でそう思っていたのか、言い訳のようにそう思っていたのか、尚記はもう自分でも分からなくなっている。   

 ハナの死で尚記もショックを受けていたのだ。冷静に考える事も、判断する事も出来なかった。今でも分からない。あの頃、自分はどれくらい正気で、いま自分はあの頃より正気なのだろうか?

 ただ分かるのは、自分がどんなに傷ついても、自分がどんなに傲慢でも良いから。

「会いたい、会ってお前を助けたい。」

 その思いを伝えるだけでも良い。ケンに連絡すれば良かったと言う事だけだ。

 そう伝えた結果、ケンを助けられなかったとしても。今ほど後悔していない事だけは分かる。

 

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