第9話

 尚記に「どうせならもっと沢山の満開の花を一緒に見に行きたかった」そう言われた時、八崎が「キミは…」と言いかけたのは、ドキリとさせられ、全然反省してない事を注意しようと思ったからだが、しかし言いかけて止めたのは、注意すべき事でも無いと思い直したからだ。

 思い直したからだし、八崎は薄々感じていた。尚記が何回か注意を促しても、ときたま気を持たせるような事を言う態度を改めないのは、八崎からの注意を楽しんでいるから、なのではないだろうかと。だとしたら彼は幼い。

 しかし、自分もまた、彼の注意を受けたがる、まさしく注意を引こうとする態度に乗っかっているのを否めない。八崎の方が先輩であり、立場は強い。そして尚記は大抵の場合において素直だ。彼の素直な「はい」には、心を砕いて注意した甲斐があったと言う満足感に浸らせてくれる響きがある。

 怖い。とまでは行かないが、何かしら警戒心のような物が働いた。八崎の中では、誰かに何かを注意するなら、きちんとした大義のような物が必要だ。最初は明確に 尚記が集団の中でもう少し上手くやっていければ良い と思っての事だった。けれど今は…どうなのだろう?私達はやり取りを楽しんでいるのではないだろうか?私は自己満足したいだけなのではないだろうか?

 他人が素直に自分の意見を受け入れた時の満足感は、人が本能的に感じてしまう満足感なのであって、八崎のパーソナリティに起因してるのでは無いのであろうが、八崎は自分の発言は 尚記のため、周囲のためを根本としているのではなくて、自分の庇護欲、支配欲に拠っている可能性があることにうろたえる。

 八崎はこう言った点に於いて、庇護欲、支配欲があって何が悪かろう、そう開きなおれる質ではない。転びそうな時は足をガバっと開いて踏ん張れば良いものを、頑なに両足を綺麗に揃えておこうとするから、うろたえるのだ。そうして、うろたえた虚をついて、主導権を尚記に取られているのではないかと思い、自分が会話の主導権などを気にする人間であった事にまた驚くのだった。

 だが、尚記の素直さに主導権を取られ、操られていると思うと、それは許し難くもあったが、くすぐったい心地良さもある事を八崎は自分自身で認識している。今回もまた許し難さと心地良さの狭間を行き来して、注意されるのを待っているように見える尚記を、今日は敢えて無視して、代わりに「誰と?」そう問いかけたのである。

 尚記が自分だけに言っており、他の者へ変な影響を与えないなら良い。

 

 尚記の言葉は肯定的な物であっても、周囲の人間が勘違いして、変な影響を受けてしまっては問題がある。そんな風に八崎は思っている。尚記が周囲に好印象をもたれるのは良いのだが、尚記の言い方だと、良い方に勘違いされても問題は起きるのだ。

 尚記の「好き」は軽い、思った事を口に出しているだけだ、それに付いてまわる責任の重さを尚記は考えていないのだろう。八崎が尚記に対して下した評価は幼くて率直と言うより、「沢田さんは大人なのに軽率だ」である。それは八崎自身に自戒の作用を働かせるために、自分は「沢田さんのような軽率な発言は控えよう」と八崎が無意識に下した評価だ。

 軽率な人間でなければ、好意を示された相手は、だいたいに於いて好意を示し返してくる事を知っている。

 最初に好意を示した者は、戻ってきた好意をきちんと受け取る。そしてまた好意を送り返す。そしてまた…を繰り返し、そうやって真っ当な、良い人間関係は出来上がって行くのだと八崎は思っている。

 ある程度の人間関係が成り立ってしまえば、安心して、この好意は私の好みではありません。そう伝える事も出来るだろう。好意を持っている相手に、好みで無い事を押し付けてくるような真似はしてこないと信じているからだ。

 しかし八崎の見る限り尚記は違う。

 戻ってきた好意を受け取る責任があると思っていない。確かに責任は無いのかも知れない。それは大人になった人達が勝手に思っている、こうであるべき、と考えている慣習のような規範なのかも知れない…自分も含めた大人達は勝手に規範を押し付けあって、それを破る人は許せない。そうやって勝手にギスギスしているのかも知れない。

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