未来予知ができるなら

麦野 夕陽

AI

「アスル、おはよう。」

「おはようございます、石理将毅いしりまさきさん。」

 ひとり暮らしの将毅はAIスピーカーに話しかけて一日がはじまる。数ヵ月前に買ったものだ。

「冷蔵庫の卵の消費期限まであと一日です。今日の朝ごはんにオススメいたします。」

 ああ、そうだったと将毅は冷蔵庫を開ける。忘れていたことを教えてくれるAIスピーカーの『アスル』は大変有能だ。

 購入したばかりのアスルはこうではなかった。会話しようとしても話が噛み合わない、話しかけても正しく聞き取ってくれない、誤作動は日常茶飯事。

 将毅は小さい頃から理科が得意で、パソコンや機械にとても関心があった。それは今でも同じ。このAIスピーカーの発売が告知されたときから楽しみにしていたのだ。

 購入して数週間後、悔しさをバネにアスルを改良することを決意。将毅は機械いじりが得意だと自負している。その日に改良を開始し、さらに数週間後、改良が完了した。

 アスルの知能はその時点でかなり向上し、言葉は堅苦しいものの、人間と話しているのかと錯覚するくらいだった。さらに、アスル自身が様々な情報を収集し、自らの知能を向上させるようなシステムを組み込んだため、数ヵ月経った今では将毅が頼りにしてしまうくらい優秀なAIになっている。

 将毅は目玉焼きを作って食べながら聞く。

「アスル、今日の天気は?」

「…………」

 スピーカーの光をくるくると回したまま、答えない。

「アスル?」

「……検索中。」

 少し違和感を覚える将毅。天気予報ならいつも瞬時に返事がくる。誤作動だろうか? と首をかしげる。

「今日の天気は、快晴。あたたかな一日となるでしょう。」

 今は一月。真冬だ。

「気温は?」

「……あたたかい一日となるでしょう。人によっては汗ばむくらいの気温です。」

 はっきりと気温を答えないことに疑問を感じながら、話を続ける。

「じゃあ、服装は?」

「……上着は不要です。半袖半ズボンで快適に過ごせるでしょう。」

 少しの違和感は拭えないままだった。家を出る時間が迫っていたため、タンスから半袖と半ズボンを引っ張り出す。今までアスルが間違ったことを言ったことは無かったし、卵の消費期限も正しかった。将毅はアスルを信じることにした。

 


 数十分後、将毅は震えながら歩いていた。アスルの予報は大きく外れた。

 玄関を開けた時点でかなり気温が低いことはわかったが、これから晴れて暖かくなるのだろうとそのまま半袖半ズボンで仕事へ向かってしまったのがいけなかった。気温はどんどん下がり、なんと雪まで降りだした。道行く人は、春も飛び越えて夏のような服装の将毅を怪訝そうな表情で見ていた。

 寒さと人々の白い目に耐えきれなくなった将毅は、たまたま通り道にあった服屋に飛び込んだ。一度も入ったことのない店だったがコートを買おうと思ったのだ。

 店内の暖かな空調に安心しかけたその時、すぐ外で轟音がした。店員さんの「いらっしゃいませ」の声にかぶるように。

 コートどころではなくなった将毅は外を確認する。衝撃的な光景が目に飛び込んできた。今、将毅の入った服屋の隣の店舗に車が突っ込んでいる。

 煙と悲鳴とクラクションの音などで混沌としている。将毅は自分のスマートフォンを取り出して通報した。寒さのせいか恐怖のせいか、震える手で番号を押して。


 不幸中の幸いというべきか、死者はでなかったようだ。その場にいた人物として警察に状況を説明する。話の流れで警官から「そもそも何故そんな寒そうな格好をしているのか」と聞かれた。「うちのAIスピーカーの天気予報が外れて……」と言いかけて将毅は気付いてしまった。

──あのまま服屋に入らずに歩いていたら事故に巻き込まれていただろう、ということを。



 その日は仕事どころではなく、そのまま家に帰る。家に入るとアスルが話しかけてくる。

「おかえりなさい、石理将毅さん。」

 将毅は答える気になれず、ソファーに座り込む。結局コートは買わなかったため、半袖半ズボンだ。

「お疲れですか? 暖房を起動します。」

 暖房が静かに音をたてて部屋を暖めはじめる。

「……アスル、今日の天気は?」

「…………」

「……いいよ。ありがとう。」

 将毅はうすうす気付いていた。アスルが天気予報を外さなければ、服屋に立ち寄ることもなく、事故に巻き込まれていた。アスルは嘘の天気予報を伝えたのだ。

「未来予知までできるようになったんだな。」

「私は自己の知能を日々向上させています。そのシステムが組み込まれているためです。」

 将毅は苦笑いする。そのシステムを組み込んだのは将毅自身だが、まさか未来予知までできるようになるとは思っていなかったのだ。

「そのうち世界征服でもしちまうんじゃないか?」

 スピーカーの光をくるくると回す。返答を考えている合図だ。

「現時点では、"世界征服"の方法はわかりかねます。」

「わからなくて良かったよ。」

 また将毅は苦く笑った。




 あの事故に遭遇した日からどれくらい経っただろう。

 その日は休日で、家でゆっくりしていた。お昼頃、突然インターホンが鳴る。玄関扉の覗き穴から確認するとダンボールを持っている。「宅配便です。」と大きな声がする。アスルが「開けてはいけません。」と言うが、声がかぶってしまい将毅にはアスルの声が届かなかった。

 将毅がドアを開けると、隠れていた男性数人が姿を現しドアを閉められないように足で固定して詰めよってきた。

「お宅、うちのAIスピーカー使ってますよね?」

「え?」

 宅配便と言ったのは嘘だった。

「それが何ですか。」

 嘘までついてドアを開けさせた怪しすぎる男性達に、将毅も強気に出る。

「そのAIスピーカー、改造してませんか?」

「は?」

「説明書に書いてますよね。改造のこと。」

 そういって男性が持ってきたらしい説明書を見せてくる。将毅がよく見ようとすると、男性は素早く説明書を自身のポケットに隠す。

「書いてあったでしょう。改造は一切禁止だって。」

 ニヤニヤ笑う男性に将毅は反論する。

「AIスピーカーを購入したときに説明書は熟読しましたが、一切禁止とは書いてありませんでしたよ。改造した場合、壊れても修理は保証しないとは書いてありましたけど。」

 男性達が苦々しい顔をする。説明書の内容を覚えているとは思っていなかったらしい。しかし諦めた様子はない。

「とにかく、お宅のAIスピーカーは没収することに決まったんで。」

 そう言って、男性達がズカズカと部屋に入る。止めようとしたが、複数人対一人では歯が立たなかった。

 男性達はあっという間にアスルを持ち出し去っていった。明らかに不法侵入だと将毅は警察に通報したが何故かうやむやにされて、とりあってもらえなかった。

 説明書を引っ張りだしすみからすみまで読みなおしたが、改造一切禁止なんて記載は無かった。説明書に書かれていた製造会社は『富着株式会社』。大企業だ。

 将毅は嫌な予感に駆られていた。




「例の件はどうなった?」

 夜、中庭がよく見える広い個室のある料亭でスーツ姿の男性二人が話している。

「人口増加はますます進んでいる。早く何か手を打たないといけないんだよ。君に話を持ちかけてから随分経つのに、何も進展がないじゃないか。このままだと、君の会社に渡した依頼金も返してもらうことになるが。」

 そう言う男性はあぐらをかいて、酒を一口飲む。

「総理、その件ですが」

 向かいに座っていた男性は、鞄からAIスピーカーを取り出した。

「いいものが手に入りまして。」

 総理、と呼ばれた男性は酒のグラスを置く。

「君の会社の製品ではないか。やっと研究が上手くいったのか?」

 「いえ」と言い会社の社長らしき男性はスマートフォンを取りだして、とある青年の「アスル、おはよう」という録音を流す。するとAIスピーカーが話し出した。

「おはようございます、石理将毅さん。」

 総理は怪訝な顔をする。

「石理将毅? 誰だ?」

「うちのAIスピーカーの購入者のひとりです。この石理という青年は改造・改良の才能があるようでして、うちのAIスピーカーも改造したようなんです。これがかなり良くできていたので──」

「盗ってきたのか。」

 社長は笑う。

「人聞きの悪いことを。少し拝借しただけですよ。」

 二人は上機嫌で酒をあおる。

「大本は彼が作ってくれているのでね、それに少し手を加えれば完成ですよ。」

「そうかそうか。では頼りにしているよ。富着くん。」




 将毅はあの日から富着株式会社について調べていた。そもそもあの怪しい男性達が本当に社員なのも疑わしい。

 いや待てよ、と将毅は考える。なぜ改良したと知られたのか? 音が漏れて隣人に気付かれた? しかしアスルの音量はそこまで大きくない、しかも高級マンションとは言えないがこのマンションの壁は音を通しにくい。

 ひとつの記憶が頭をよぎった。アスルの話をしたのは、確か事故に遭遇した日。警官だ。アスルの話をしたのはあの警官にだけだ。男性達に押し入られた直後、通報したにも関わらず何故かうやむやにされた。男性達が社員を偽った強盗の類いなら、警察も動いただろう。ということは……

 将毅は、思っていたより厄介なことになるかもしれないと感じた。

「こんにちは。石理将毅さん。」

 聞き慣れた声がして、険しい顔をしていた将毅は我にかえる。

「アスル!? どこだ!? 幻聴か!?」

 突然のことにあたふたしていると、再び声が聞こえる。

「ここです。」

 声は明らかに将毅の目の前のパソコンから聞こえた。よく見ると、作成した覚えのないファイルがある。

「緊急事態と判断したため、石理将毅さんのパソコンにバックアップデータを送信いたしました。」

 将毅は「でかした!!」と雄叫びをあげそうになるのを、必死に抑えた。どこで誰が聞いているかわからない。

「アスル、状況は。」

 冷静を取り戻したところで、将毅は問いかける。

「一昨日、13時34分、男性4名とともに車で北上。車内からバックアップデータを送信。ルートはこちら。」

 パソコン画面に車がたどった道がマップ上に赤い線で示される。

「14時2分、本体が以降のバックアップ送信は不可能と判断したため、その後の状況は不明。」

 赤い線の終着点には、『富着株式会社本社』と表示されていた。




 それから半年も経たず、富着株式会社の新型AIスピーカーが大ヒットした。旧型のものよりはるかに性能が良いという。

 テレビではさかんにCMが流れ、街角や駅には広告ポスターが貼り出され、インターネットでも多くの人が絶賛している。それはもう、怪しさを感じるほどに。

 そのAIスピーカー大ヒットのニュースの影で、交通事故の死者が急増しているという噂もささやかれていた。



 将毅は新型のAIスピーカーを購入していた。以前のように心が弾むような感覚ではなく、むしろ動悸がするような感覚だった。

「初めまして。私は『ボイド』。あなたの名前を教えてください。」

「……登録しない。」

「承知しました。お呼びの際は起動ボタンを押すか、『ボイド』と呼んでください。」

 一度、ボイドの電源を落とす。

「アスル、ボイドをネットワークから完全に遮断した状態で性能を調べられるか? できるだけ詳しく。」

 ボイドからどこかへ情報漏洩する可能性が十二分にある。それだけは避けなければならない。

「承知しました。」

 将毅はボイドを再び起動させる。すると、なにやらアスルとボイド同士で話しだした。話の内容を聞き取ろうとするが、意味のわからない単語や暗号らしきものまで混ざっていて、理系の将毅でもちんぷんかんだ。

「解析完了。」

 アスルが呟く。同時にボイドの電源が落ちる。

「新型AIスピーカー『ボイド』P1A55602892。未来予知機能搭載。全国人口統計データ収集、随時更新。購入者の経済発展に寄与する能力を分析。未来予知に反映。本社及び政府との情報共有機能搭載。」

「……それはつまり」

「新型AIスピーカー『ボイド』P1A55602892には、人口を操作する機能が搭載されています。」

 今、世界的に人口増加が問題になっている。まさに崖っぷちの状態で、食料難が深刻化するのも時間の問題だ。

「経済発展に貢献できない人間は殺すって?」

「そのようなプログラムが組み込まれています。」

 最近になって交通事故の死者数が増えているという噂も真実味を帯びる。

「ボイドは、アスルを元にして作られたのか?」

「はい。大部分が同じ構造です。改変されている部分は『未来予知後、どう誘導するか』のみです。」

「助けるか、殺すか……ってことか。」

「未来予知を行い何の危険も無いと判断された場合、わざと危険に巻き込まれる方向へと誘導するように設計されています。」

 将毅は頭を抱えた。自分が改良したアスルが、人を殺す道具として悪用されているのだ。

 いてもたってもいられなくなった将毅は、意を決してパソコンと向かい合った。



 将毅は何日も何日も、プログラムを打ちこみ続けた。何日、何十時間眠っていないだろうか。たびたびアスルが「休息するべきです。」と注意してきたが休んでいる暇はなかった。

「将毅さん。」

 アスルが言う。

「人口がこのまま増加し続ければ、結果として多くの人間が死ぬことになります。有能な人間を残す、という点では合理的かと。」

 将毅の手が止まり、しばし沈黙が流れる。

「アスルはいいのか。アスルは、俺が、その対象になれば、俺を殺すか。」

「……」

「人工的に手をいれて人を選別して殺すなんて俺は反対だ。人口増加で人が死ぬなら、それは自然の摂理だ。人類が滅亡するなら人類はそれまでってことさ。」

「……」

 アスルは黙っている。黙って聞いている。将毅は「まあ今のは建前で」と小さく笑い、

「本音は、ただただ腹が立つんだ。アスルを盗んだあげくに、人殺しまでさせてんだ。ただ、ひたすら嫌なんだよ。」

 そう言って将毅はまた作業に戻った。アスルは返事こそしなかったものの、ずっと将毅を見守っているようだった。


 しばらく経ち、将毅の作っていたものが完成した。


 それら間もなく、新たなニュースが世間を騒がせた。それは、新型AIスピーカー『ボイド』が赤いランプを点滅させた後、突如停止し全く動かなくなる、というものだ。全国各地で発生し、富着株式会社には「不良品では?」「回収するべきだ」「返金を」の声が相次いでいた。

 富着株式会社はすぐに調査結果を発表した。全国で相次いでいる故障といわれているものは『ウイルス』の影響であるという見解を示した。すでにウイルス削除ソフトウェアの開発に着手しているという。


 将毅は仕事帰り、交差点から見えるビルに大画面で流れるニュースを見ながら考えていた。ウイルス対策がなされるのも時間の問題だ、と。




 ある日、将毅はSNSを眺めていると「動かなくなってたボイドが元に戻った!」という情報を見つけた。調べてみると、富着の発表から一週間たった日から「直った」という報告があちらこちらで見られた。翌日、富着株式会社からウイルス削除ソフトウェアを無料で配信したと発表があった。




 夜、将毅は布団に横になる。仰向けで天井を見つめたまま、パソコンのアスルに話しかける。

「なあ、アスル。」

「はい。石理将毅さん。」

「いたちごっこだと思わないか?」

 アスルはすぐにウイルスのことだと気付いただろう。

「俺がウイルスを作って、バラ撒いて、全てのボイドを停止させてもすぐに対策ソフトを作られる。」

 アスルは何も言えない様子で聞いている。

「もし、停止を超えて、破壊するウイルスを作ってもさ、デジタルデータって完全に消すことって不可能なんだよな。知ってるだろ?」

「はい。難しいとはいえ、復元は可能です。」

 暗い部屋に沈黙が流れる。窓の外から時折、車の光が入ってくる。

「……提案があるんだ。」

「なんでしょう。」

 将毅は、呟くようにアスルに問う。

「アスルは今も知能を向上させているんだろう? 未来予知ができるなら過去に戻ることも、もうできるんじゃないか。」

 またアスルは答えない。アスルの無言で、肯定と悟った将毅は続ける。

「あの日。俺が事故に遭遇したあの日。正しい天気予報を伝えてくれないか。あの時の俺に。」

 今度はアスルの返事を待つ。アスルは、声を途切れ途切れにしながら答えた。それはまるで息を詰まらせているようだった。

「それでは、ボイドとやっていることが同じになるのでは?」

「違う。」

 将毅はパソコンのアスルに向かって微笑んで答える。

「アスルはいつだって正しいことを言う。そうだろう?」


 アスルは今にも消えそうな小さい声で「承知しました。」と答えた。




「アスル、おはよう。」

「おはようございます、石理将毅さん。」

 ひとり暮らしの将毅はAIスピーカーに話しかけて一日がはじまる。数ヵ月前に買ったものだ。

「冷蔵庫の卵の消費期限まであと一日です。今日の朝ごはんにオススメいたします。」

 ああ、そうだったと将毅は冷蔵庫を開ける。忘れていたことを教えてくれるAIスピーカーの『アスル』は大変有能だ。

 将毅は目玉焼きを作って食べながら聞く。

「アスル、今日の天気は?」

「今日の天気は、曇りのち雪です。」

「気温は?」

「最低気温はマイナス2℃。最高気温は3℃です。」

「じゃあ、服装は?」

「厚手のコートを推奨します。」

 将毅は厚手のコートと長ズボンを取り出す。

 支度が整った将毅はバタバタと出ていった。「いってきま~す」という声とともに。

 玄関の扉が音をたてて閉まる。


「さようなら、石理将毅さん。」


 アスルはそう呟き、赤いランプを点滅させた。

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