女神ちゃんと公園のキレイさん

一矢射的

貴方は月を眺め、救いと解放を願った(前編)


 


 石橋ワタルは写生大会が大嫌いだった。

 かったるい授業がない屋外学習だからって、浮かれているクラスメイトとは分かり合えそうもなかった。わざわざバスを貸し切って隣町の運動公園まで出かけていき、強制的に風景画を描かされる小学校の一大イベント。

 そこに意義を見出せそうもなかった。



 ―― なにも画家を目指している子ばかりじゃないだろうになぁ。



 別に絵を描くことが嫌いなのではない、むしろ彼は漫画家に憧れていた。ノートの隅から隅までを自分の考えたキャラクターで埋め尽くし、そこから色とりどりの物語を生み出すのが大好きだった。

 しかし彼が重視するのはキャラクターとストーリーであり、背景の美しさなど刮目かつもくする価値もないと思い込んでいた。


 そんなわけで、その日に手掛けたワタルの水彩画は凡庸ぼんようそのもの。写生大会の作品は全てコンテストに応募されるのが慣例になっているけれど、金賞をもらうのが別の生徒なのは明白だった。

 結果が見えているので、完成間近でもきょうが乗らなかった。公園の芝生に腰掛け、ワタルは筆をいじくりながらボンヤリと噴水を眺めていた。そこへ、近くで描いていたクラスメイトが、休憩がてらに声をかけてきた。



「なんや、下手糞やなぁ。ホンマに漫画家志望なんかい、ワタル。もっと精進せぇ、芸の世界はそんな甘いもんやないで」

「ちぇ、絵なんか多少下手でも、今は話が面白ければ売れる時代だよ」

「ふん、勇気があるならネットに作品をあげてみいや。なんだったら、ウチのツイッターで紹介したるで」

「僕は個人情報を伏せておきたい派なの」



 話しかけてきた倉橋エリカはボブカットでボーイッシュな女の子。妙ちくりんな関西弁は、芸人である母親から受け継いだものだと聞いていた。手先が器用で何をやらせても平均以上に出来るため、クラスでは学級委員長も任されている才女だった。同じ塾に通う縁からワタルとはよくお喋りをする仲でもあった。


 彼等にとって、この他愛もない会話は日常茶飯事に過ぎなかった。されど、それを快く思わない真ん丸な瞳が近くの草むらに二つ。彼らをジッと凝視していた。

 やがて仲睦なかむつまじい男女を邪魔するかのように、草叢くさむらをかきわけショート丈のオーバーオールを着た女の子が飛び出してきた。

 帽子や頬についた葉っぱを払い落としもせず、三白眼もちで八重歯の少女が上ずった奇声を発した。



「ワータールーくぅーん。隣いい? 一緒に絵を描かなーい?」

「いや、あと三十分で大会終了の時間なんだけど。まさか君、何も描いてないの」

「失礼ねぇ、余裕で描き終わったから二枚目を君と一緒に描くの」

「へぇー、早いね。見せてよ」



 乱入少女が自慢げにスケッチブックを開いた。そこには心の闇を表現したとしか思えない黒と赤の絵具を塗りたくったページがあった。



「タイトルは、ゴビ砂漠の夜景! 天才じゃなーい?」

「ああ、ある意味では天才だね。流石、女神ちゃんだよ」

「ちょっと君ィ、ボケがきつすぎるでぇ」



 そう、彼女は空気を凍り付かせる事に定評がある子だった。

 ワタルの袖を引っ張りながらエリカ委員長が、そっと耳打ちしてきた。



「女神ちゃんって、彼女あれやろ? 隣のクラスで有名な……母親が女神やと言い張る不思議ちゃんの。オカルト好きも、ここまできたら笑えへんって」

「うん、まぁ、そうだね」



 いつしか、周りにつけられたアダ名は女神ちゃん。

 ワタルは相槌あいづちにごして苦笑いするしかなかった。



 ―― でも、それが冗談じゃないって言ったら、委員長どんな顔するかなぁ?



 エリカ委員長の悪態など聞く耳もたず、女神ちゃんのぶっ飛びトークショーは止まらなかった。



「なにさ、ヒソヒソしちゃって。アタシがそこの草むらに潜んでいたのは、友達を陰ながら見守る為なんだからね。この公園はとってもとっても危ないんだから」

「危ないってまさか、ここにもアレが居るの?」



 眉をひそめるワタルに女神ちゃんがうなずいた。

 彼女がダンスの振付じみたオーバーアクションをとる度に、二つのお下げが尻尾のようにユラユラと揺れていた。



「おぅ、イエス! ここは『キレイさん』の縄張りなの。キレイさんは公園で遊ぶ子どもを呼び止めては、こう質問してくるのよ。『ちゃんと私の写真に〈いいね!〉を押したのか』って。それでね……質問に『いいえ』と答えたらね、硫酸の池に落とされてしまうの」

「もぉ、ええ! アンタとはやってられんわ! けったいな話をしおってからに、都市伝説にしても滅茶苦茶やん。硫酸どこから出てくるんや」

「ダメだって委員長、女神ちゃんの話は一応聞いておかないと」



 部外者の委員長は知る由もないが、夕暮れの街には良からぬ者がひそんでいる。

女神ちゃん曰く「夜の住人」と呼称される連中だ。双頭の人面犬、仮面の誘拐魔、釘刺し男。昼間に聞けば単なるホラ話としか思えない連中が、日が暮れた途端に通りを跋扈ばっこしだすのだった。


 ワタルは過去にそうした怪異と遭遇し、女神ちゃんに助けてもらった恩があった。だからこそ、皆にホラ吹き扱いされる昼間は彼女の味方になってあげたいのだけれど……悲しいかな、どうにもフォローしきれない発言が多いのも事実なのであった。


 委員長は何が気に入らないのか、随分ずいぶんと女神ちゃんご立腹だった。



「君は口を開くたびにボケかましよるな! もっと高尚こうしょうな趣味を持ったらどうや」

「なーにさ、高尚って? 高い所が好きなの? ナントカと煙みたいに?」

「それは高所こうしょやん! 君も小学生なら、小学生らしくカードゲームにでもいそしんだらどうなんや。クラスで流行ってるやろ、マジック・ザ・デュエリスト」

「ええ、それが高尚!?」

「ワタルは黙ってい。何でもネットで済ますきょうび、実際に仲間と集まって遊べる贅沢さが味わえるのは今だけなんやでぇ。希少カードでチヤホヤしてもらえるのも今だけなんや」



 確かに漫画好きなワタルが口を挟むことではないにしろ、それにしてもドングリの背比べなのであった。

 仕舞には、委員長が激レアのキラキラカードを取り出してワタル達に自慢しだす始末。そこへクラスの悪ガキ達が集まってきたせいで周囲は騒然となった。



「あぁ~『オーガ・スレイヤーの兄妹』じゃん」

「スゲー! 本物かよ、初めてみた」

「私も見せて」

「ああ、止めんか。引っ張るな。おんどれ、ウチの宝物やで!」



 プラスチック製の小さなカードを集団で取り合いになった所へ、突風がピューと吹いた。

 哀れ、レアカードは悪ガキの手を離れて噴水の方へと飛んでいった。周囲が溜池になっているタイプで、よりよって丸池の中央付近にカードは入水してしまった。

 たかが噴水といえども池の深さは裕に腰まであった。服を濡らさずに取るのは不可能だった。



「どないしてくれるねん! もうすぐ帰りのバスが出るんやで」

「あはは、ご、ごめんな~」

「あっ、逃げんな~。七代たたるでホンマ」



 女神ちゃんとワタルは事の成り行きにあきれるばかりだ。

 ワタルは何とか委員長を慰めようと歩み寄るも適切な励ましが出てこなかった。



「あの、気を落とさずに」

「ええんや、ワタル。課外活動だって、授業の一環いっかん。遊びのカードを持ってきたウチがアホやってん」

「えーと」

「気にせんでええ。あんなカード、皆に自慢したらお役御免やくごめんやん。それはもう済んだのや。せやな、せめて事の顛末てんまつをツイッターに上げて同情票あつめたるわ」



 エリカは携帯で噴水の写真を撮影してインターネットに投稿するつもりのようだ。傍観を決め込む女神ちゃんが小首を傾げて呟くも、委員長の耳にはまるで届いていない様子であった。



「この公園でそんな事をするなんて、お馬鹿さん。あーあ、アタシは知らないよ」











 さて、帰宅したエリカが投稿の反応を見てみればおおむね好意的であり、彼女をいたわる声が多数集まっていた。ただ「いちいちネットにあげるな」とか「構ってちゃん」などと批判的な意見も少々混じっていたのも確かだった。



 ―― 本音のぶつかり合い、結構やん。ウチが欲しいのは素の反応や。



 そして、中には地元民のものらしきこんな書き込みもあった。



『あっ、この公園なら知ってるよ。よく散歩に行くもの』

『ねぇ、知ってる? ここの噴水って夜中は池の水を抜いているんだよ。凍結防止だか、清掃のためだかは知らないけど』

『だからね。日が暮れてから行けば、カードを拾えるかもしれないよ』


『……ところで、私は貴方の投稿に「いいね!」押したよ? だからね、貴方も私に興味を持ってくれたら嬉しいな』



 最後の一文を目にして、エリカは顔をしかめた。



 ―― なんや、相互なんちゃらって奴か? どれどれ、ふーん、自撮り写真なんか上げてるのね。なかなか美人やけど、こういうのって写真編集ソフトでどうとでも出来るんちゃう? 目にもなんか生気ないし、やり方が好かん。ブロックしたろ。



 これでもう相手がちょっかいをかけてくる事はなくなるはずだ。

 少なくともツイッター上では。

 それはそれとして、貴重な情報が得られたのは大きかった。

 夜に公園へ行けば――。











 同日の四時過ぎ。

 ワタルが学習塾『愚問会』の下駄箱でスリッパに履き替えていると、顔なじみの先生から思いがけない質問を受けた。



「さっきエリカちゃん本人から今日は休むって連絡があったんだけど、病気かな?」

「えっ、昼間は元気そうでしたけど」

「あの子に限ってズル休みなんてねぇ……どうしたのかな」



 適当に話を切り上げて、ワタルは急いで塾の外に出た。

 先生にはとても言えなかったけれど、思い当たる節はあった。スマホでエリカのツイートを確かめてみれば、案の定。妙な奴から誘いを受けていた。噴水がある「ミヅキ運動公園」へは自転車で四十分ほどの距離、今から行こうとして行けない場所ではなかった。



「嘘だろ? たかが、ゲームのカードじゃん」



 本人を思いとどまらせようと電話をかけてみた。しかし、長い呼び出し音の果てに応じたのは委員長のものではない不気味な声だった。




『誠に申し訳ございません。この携帯の持ち主は現在とりこみ中です』

「だ、誰だ。お前?」

『おとりつぎ出来ません』




 ガチャ。ツーツー。


 こんな時、誰に相談すべきなのか。ワタルにはただの一人しか心当たりがなかった。携帯アドレス帳の「め欄」に唯一登録された番号を呼び出し、即座に通話ボタンを押した。



「女神ちゃん、大変だよ。委員長があの公園に行ったみたいなんだ。もう夕方なのに!」

『あらそう。でもアタシ、これから「お化けのイーブル」を見なきゃいけないの。明日でも良いかしらん?』

「良いわけないだろ! どうしてそんなに冷たいのさ、僕の時と違いすぎない?」

『だってさ~、ワタル君は友達だけど、エリカちゃんは違うし。あの子、アタシを馬鹿にするから嫌~い』

「嫌いだからって、人の命がかかっているのに!」

『ワタル君、キミが知らないだけで命にかかわる事件や事故は毎日のように起きているの。いちいち首を突っ込んでいたら、キリがないよぉ』

「あのさ……」



 ―― 判ってないのはソッチだろ!



 ワタルは深呼吸をしてたかぶりを鎮めると努めて冷静に続けた。




「エリカちゃんに何かあったら、彼女の両親がどんな想いをするのか……考えてみなよ。それでもアニメが大事だってなら、もういいよ。僕は公園に行くからね」

『うーん、そんなに委員長が好きなのか、キミは』

「好きとか、嫌いとか、そんな理由で誰かを見捨てる奴よりは! 委員長の方がずっとマシだよ!」









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る