第6話
「さ。急ぐわよ」
響子は立ち上がり、そしてまだ地面に座り込んでいる僕に手を差し出す。
ありがとう、と僕は手を取り、立ち上がる。
「で。俺は、どうすればいいの?」
「それはね――」
僕の目の前に立つ彼女は、両手で僕の両手を取ると、フォークダンスのようにクルリと回り、彼女の背中を僕の懐に預ける。そして僕の腕を、彼女の二の腕辺りから前に回した。
僕は響子を、後ろから抱きしめている。だが不意に触れた柔らかさに、僕は慌てて腕を浮かせる。しかし彼女は、そんな僕の腕を、強く自身へと押しつける。
「ちょ。桜庭。手が。手が、その。当たっ――」
「いいの。岸辺だから」
僕はウンともフンともつかぬ情けない声を漏らしてしまう。
ときめきが臨界状態に達し、意識を押し流そうとする。
だが、響子のためだ。
僕は邪念を懸命に押し殺し、彼女の香りと温もりと柔らかさを包み込む。
だけど――。
「さ、桜庭さぁ」
「なあに」
「嫌じゃないの? こんなことされて――」
「全然。平気」
あ。そうか――僕の視線が少し下がる。
「ホント、大変だよね。任務ってさ。こんな、俺なんかに――」
「ちょっと!」
急に響子が身体を回し、僕に向き直る。吐息の熱が伝わるほど顔が近い。
なぜか頬を膨らませている。
なんで怒って――。
「――バカじゃないの!」
バチンという衝撃。僕の視界に星が舞う。
ほっぺたが痛い。
そして彼女は、元通り――僕が後ろから抱きしめるように、体勢を戻す。
僕の腕は再び、彼女に包まれる。
「岸辺のこと――ずっと、気にはなってたの」
「え?」
「教室とかで――いつもこっち見てたから。はじめは、何よ? って思ったけど」
「ご、ごめん」
「でもね――不思議と、嫌じゃなかった。どうせエッチなことも考えてんだろうなって思ったけど、なぜか途中でそれを抑えてるような気もして」
「なんで、分かるの?」
「そんな気がしたの。あ、優しい人なんだなって――私、見る目、あったな」
「桜庭――」
「でも、任務に無理矢理巻き込んで、岸辺の気持ちとか利用してるみたいで――」
ごめん、と呟き、僕の腕を抱え込む。俯く彼女の、肩が震えている。
「お願い。私を――助けて」
もう、なんだっていい。
ときめきが、もっと力強い、別の何かに変わる。
香りとか温もりとか柔らかさとか全てが消えるほど、そしてふたつがひとつになりそうなほど――その線の細い身体を、強く抱きしめる。
目を閉じる。全ての音が消える。暗闇の中、ふたりの鼓動が重なっていく。
「桜庭」
「なあに?」
「背中は預かった――思い切り、やりなよ」
「ありがとう――頑張るね、私」
彼女は、僕の腕を強く掴む。
僕の呼吸が、すうっと落ち着く。瞼の裏、温かな暗闇。どこかで扉が開く。
響子の心と、ひとつになったような気がした。
僕に包まれたまま、響子は大きく息を吸い込む。
そして――彼女の身体が、弾けるように揺れる。
「あなたにもッ!」
ありったけの大声で、響子は叫ぶ。
「――好きな人が、いますかッ?」
彼女の叫びが、一気に僕の意識の中へと流れ込む。
それは暗闇の中、数多の光の筋となり、激流のように迸り、消え、再び闇が訪れる。
そして。
好きな人がいますか――そう呼びかけられた人々、その精神の中。
記憶の灯りが点々とともり、次第に広がり、一気に世界が輝き出す。
僕と響子、ふたりで抱きしめる景色には。
見渡す限り――一面の花畑が広がっていた。
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