第4話

「私――電車だから」

 夢のような時間が、終わろうとしている。

 ターミナル駅の入り口。改札への動線を行き交う人々を背に、彼女は僕に手を振る。

「じゃあね、岸辺――また明日」

「あ。ああ――」

 僕も手を振る。彼女が背を向け、人混みに向かって歩き始める。僕は力なく、見送るように彼女の背中を眺めている。

 だが、すぐに響子が立ち止まる。どうやら電話が掛かってきたらしく、鞄から携帯端末を取り出し、通話を始める。

「え? そんな――早すぎる! ヤツら、いったい何を――」

 離れていても、響子の表情が厳しくなるのが分かる。

「予告? 17時ちょうど? それって、もうすぐ――」

 響子の言葉で、僕も腕時計を見る。17時まで、あと一分もない。

「了解! 至急、インタフェースをハッキングから保護します!」

 彼女の顔に、明らかに焦りが出ている。

 僕はただ、まばたきを繰り返す。ハッキング? インタフェース? なにそれ。

「桜庭! どうしたの――」

 僕が掛ける声が終わるよりも先に、彼女は僕を見る。

「岸辺!」

「は、はい!」

 僕に向かって、物凄い勢いで駆けてくる。そして、僕の目の前で止まる。息が荒い。

「ごめん!」

 響子は、僕の首に両腕を回す。

「え? な、なにを――」

 するんだ? という僕の言葉は、喉へと押し戻される。

 僕の唇を、響子の唇が塞いでいた。彼女の荒い息が、僕の荒くなる息と混ざる。


 静かな世界。

 どこか遠くで、心臓の鼓動が鼓膜を震わせている。

 夢なのか?

 夢なら醒めないでくれ――。

 ふと、彼女の唇が離れる。

「岸辺――周りを見て」

「え?」

 そして戻ってきた現実は、違った意味で夢であって欲しいと僕に思わせるものだった。

 僕と響子以外。駅の構内や広場を行き交う数多の人々、その全てが。

 魂が消えたように、力なく、フラフラと彷徨っている。

「みんな――どうしたんだ? まるで、ゾンビの群れじゃないか!」

「精神を――ハッキングされたのよ」

 響子は唇を噛む。

「ハッキング? ネットワークに繋がれた訳でもないのに、どうやって――」

 僕は自分の気付きで、言葉を切る。

 いや。ネットワークは、ある――。

「そうよ。『電心』のネットワークを通じて、そこに繋がっている人が狙われたの」

 僕は、ある矛盾に気付く。

「あれ? でも俺、なんともない――」

「私が塞いだの」

「え? どうやって――」

 彼女は、人指し指で自分の唇に触れる。まさか、あの――。

「岸辺の精神を昂揚させて、ハッカーの信号が入らないようオーバーフローさせたの」

 えっと。何を言っているのか、全く分からない。喜びなんか、とうに消え失せている。

「助けてくれて、ありがとう、なのかな? いや。だとしても、誰がハッキングを――」

 待て。そうじゃない。

「桜庭――君は、何を知ってるんだ?」

 響子は、仕方ない、と溜息をつく。

「私は――ある組織のエージェントなの」

「へ?」

「今は『電心』ネットワークにはびこる悪いハッカーを追いかけてるの。ヤツらのシステムを破壊するクラッキングツールを総力挙げて構築しているけど、なかなかできなくて」

「は。はぁ」

「やっと私が見つけたのに――ヤツら、それを察したのね。実力行使に出たわ」

「実力行使、って――今のハッキングが、そうなの?」

「そうよ。そして、それが――私が『電心』をしない、本当の理由」

 そうか。そんな任務にあたる彼女は、自らがハッキングされないように――。

 あれ?

「桜庭。いま、『見つけた』って言ったよね。それって、俺――」

 響子が押しとどめるように、僕に掌を向ける。

「岸辺、あれ――」

 ふたりで周囲を見廻す。

 ハッキングされ自我を失った大衆が、みな一斉にこちらを見ている。

「桜庭、さ。もしかして、みんな操られて――」

「ヤツらが、私の居場所を見つけたのよ」

 そうなると、起こりうるべきことは容易に想像できる。

 そして、その通り――大衆が一斉に、こちらにジリジリと歩み寄り始める。

「た、助けて! こっちに来る!」

「岸辺! 落ち着いて!」

「無理だよ!」

「とにかく手伝って!」

「て、手伝う、って――なにを!」

「ヤツらのシステムに、クラッキングを仕掛けるの!」

「どうやって?」

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