第3話

「わざわざ言葉にして、声に出して伝えるのがいいのよ。『電心』じゃなくて、さ」

 街角。オープンカフェのテラス席。響子は豆乳ラテを両手で包み、そう言った。

 対面の席で僕は、なんとか適当な言葉を見繕う。アイスコーヒーを啜るが、味覚はどこかへ行ってしまっている。

「『電心』だと、必要のない――相手のために手間を掛ける思いやり、みたいな?」

「そうそう! さすが岸辺、話がワカる!」

「そ、そうかな――」

 思わず頭を掻いてしまう。

「それにね。伝えた相手の心に、さ――」

 響子は僕の目を見つめ、視線を手元に落とす。

「言葉が咲かせる花を――大事にしたいんだよね」

 そして柔らかく笑った。

「花? 言葉が?」

「そう。例えば、さ――『好き』って気持ちは、言葉だろうが『電心』だろうが、そのまま伝わるでしょ?」

「う、うん」

「だから声に出そうが、『電心』だろうが、一緒のはずなんだけどさ。でもね」

 意味ありげに、豆乳ラテを一口。

「私、さ。岸辺のことが――」

 カップの上から覗き見るように、僕の目を見る。

「――『好き』」

「へ?」

 ときめきが、僕の心の中に――ぼ、と一輪のヒマワリを咲かせる。

「――って言われたら、どう感じる?」

「ちょ。そ、それは」

 高速でまばたきをする。ときめきの終わりも唐突すぎて、答えが分からない。

 呆然とする僕に、響子は悪戯っぽく笑う。

「あとはね――」

 そして自らのシャツを脇腹の辺りでつまんで、後ろに引っ張る。

 白くて薄い布が、彼女の身体の凹凸をなぞるように貼り付く。

 彼女の目線につられなくても、僕の目線は、彼女の胸の辺りに釘付けになる。

 まごうことなき、水色だ。

「やっぱ、透けるよね――暑くてキャミ無し。ちょっと冒険かな、とは思ったけど」

「は。へ?」

「目線で分かるって。山岡との『電心』の中身――上がこれなら、下は何色だとか」

「う。ごめん」

 その通りでございます。

「だったら――知りたいでしょ?」

「え? な、なにを――」

 彼女は僕の目を覗き込む。

「私は、だいたい――上下で揃えるかな」

 頭の中。蒸気機関車の汽笛が鳴り響く。

 ときめきが跳ね回り、めくるめく妄想が、心の中に次々と花を咲かせていく。

 僕は、完全にフリーズした。

 心臓が高鳴り、身体の芯が痛いほど固くなる。

「どう? これが花を咲かせる、ってこと」

 なるほど。納得した。激しく同意できる。

 確かに響子の言葉で、僕の心に花が咲いた。いまは一面、ヒマワリの花畑だ。

「声と言葉で伝えるとね。不完全な分、自らの想像力で補おうとするの。その想像の元となるのは、相手と自分の関係性なのよ。それ次第で、どんな花が咲くかが変わるの」

「な、なるほど」

 だとしても、例えが強烈過ぎる。

 僕は想像力で補いすぎて、まだ大変なことになっている。

 そして、突然。

 彼女は、何も言えなくなっている僕に向かって、小声で内緒話のように囁く。

「――お水、頂けます?」

「え? み、水ぅ?」

 完全に息が止まる。俺の水? だけど、それは間接キッ――いやいやいや。

「お、お、俺のでよければ――」

 響子はニコリと笑う。ときめきが爆発する。

 そして。

 遠くから急ぎ足で来たらしいウエイトレスが、彼女の横に立つ。

「お待たせしました」

 響子と僕のコップに水を注ぎ、立ち去っていく。

「へ? いつ呼んだの?」

 あんな小声で、しかも僕だけに囁いたのに、なぜ伝わるんだ?

「強制的に思考を送信できた! 凄すぎる――予想以上の、ときめきパワーだわ」

 僕の問いかけは空振りし、彼女はただ微笑んでいる。

 それでも僕の心臓は、さっきから高鳴ったままで、頭はボーッとしている。

 だから僕は、『ときめきパワー』なんて馬鹿くさい言葉の意味や、なぜ彼女が急に、僕に好きだと言ってみたり、わざわざ上下で何色だと打ち明けるのか、考えもしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る