第36話 想い
帰宅後、親からあれこれと事情を聞かれ、特に飛鳥からは鬼のような詮索を受けたが、友達の家に泊まっていたで押し通した。終業式をバックレておいて泊まっていたも何もないが、父親の「若いんだしいいんじゃないか」の一言で事なきを得る。
翌日、綾乃と共に学校へ向かった。担任に平謝りしてから課題等の諸々の書類を受け、ようやく正式に夏休みが始まる。
しかし、そこからは慌ただしかった。
綾乃は学校に来なかった期間、仕事もサボっていたらしく、あちこちに謝りに行くと言って駅へ急いだ。その背を見送ったところで、夏休みの課題を一緒にやって欲しいと琥太郎から連絡が入る。夏休み最終日まで溜め込み半泣きで終わらせるのが恒例化しているため、高校初めての夏休みは早々に終わらせて沙夜をぎゃふんと言わせたいらしい。
京介としても課題が早く片付くのは万々歳なため、その申し出を承諾、ファミレスで落ち合い夕方まで課題を進め、明日もやろうと約束を交わした。
最初の一週間は勉強一辺倒で、綾乃とは一日だけ会えたがそれ以外は仕事にかかりっきり。
そんな折、京介は期せずしてバイトを始めることになった。
職場は近所の小さな書店。
老夫婦で回していたがお爺さんが腰をやってしまい人手が足りず、それを聞きつけた世話好きな母親が息子を差し出したのだ。
勝手に決められたことだが、むしろ好都合。
元よりバイトは探していたし、夏休みだから時間は有り余っているし、特に今はどうしてもお金が必要な理由がある。
お婆さんの指導の下、慣れないながらも仕事を行う。
立地的にも店舗の規模的にも、大量の客が一挙に押し寄せてレジがてんてこ舞い、ということはなく、本を運ぶ等の重労働はあるが、基本的に朝から夕方まで緩やかに時間が流れてゆく。
「いらっしゃいませー」
無人の店内。レジに座り本を読んでいた京介は、ガラガラと戸が開いたのを聞いて顔をあげる。
茹で上がるような外気と共に入って来たのは綾乃だった。
裾フリルの可愛らしいベージュのキャミソールに、夏が香るライトブルーのデニムのワイドパンツ。頭に麦わら帽子を乗せ、大きなキャリーバッグを引いていた。
サングラスを外して「へへっ」と悪戯っぽく笑い、「本当に働いてる」と店名が入ったエプロンを身に着ける京介をまじまじと観察する。
「……お客様、冷やかしならお帰りください」
「ち、違うよ。ちゃんと買い物しに来たの!」
えーっと……、と本棚を眺めて周り、一冊の旅行ガイドブックをレジに持ってきた。そこに書かれていた県名から、なぜキャリーバッグを転がしているのか理解する。
「今日から行くのか」
「うん。ついでに観光しようと思って。お土産、楽しみにしててね」
前々から夏休み中にドラマの撮影で地方に行くと言っていた。
配役は主人公の姉。出番はあまりないが、重要なポジションらしい。ちなみに、主人公の俳優は綾乃の五つ年上とのことで笑ってしまった。
「一緒に行けたら良かったなぁ」
財布からお札を取り出しながら呟く綾乃に、「無理だよ」と嘆息混じりに言った。
「バイトあるし、この前海行ってお金ないし。それに僕、この夏で稼げるだけ稼ごうと思ってるんだ。学校始まったら、こんな毎日働けないし」
「ええー? 私と遊ぶ時間は?」
「それも何とかするけど……。お母さん、探しに行くんだろ」
本を紙袋に入れて渡し、お釣りを返す。
「交通費も宿泊費もかかるし、食費だって必要だし。いくらいるか知らないけど、不自由はしたくないからな」
「そんなの、私が出すよ。私のわがままに、無理やり付き合わせてるんだし」
「違う。僕がしたいと思ったから付き合うんだ。お母さんに会って欲しいから……だから、これは僕のわがままでもある」
彼女の財布に頼ればことはない。万事快適に進むだろう。
ただの旅行なら、それでいいかもしれない。
しかし、これは彼女の人生にとって非常に重要なことだ。どこまで行っても部外者の自分が、当事者意識を持ち真剣に取り組むには、身銭を切るのが最低条件だと思った。
「バイトをする理由はそれだけじゃなくって、ほら、お金はあって困らないしな。僕だって欲しい物くらいあるし」
シリアスな台詞を急に口走ったことが恥ずかしくなり、慌てて舌を回し誤魔化した。
綾乃は熱の溜まった頬を緩ませて、「ありがと」と笑みを浮かべる。
「でも、無理しちゃダメだよ。身体壊したら、私怒るからね」
「そっちこそ、腹出して寝て風邪引くなよ」
「出さないよ、そんなの」
「いや、海行った時思いっきり出してたぞ。僕がかけてやっただけで」
「……お、お腹見たの? 見たのはお腹だけ?」
「あっ。えっと、大丈夫。なるべく何も見ないようかけたから……」
暑さのせいか色々捲れ上がりずり下がっており、それが曖昧な闇のせいで妙に色っぽく――と、過去の記憶に頬を染めながら目を逸らす。
「気をつけます」と綾乃は縮こまり、帽子のつばで顔を隠した。
「それじゃあ……い、いってくるね。京介」
戸を再び開け、日差し降り注ぐアスファルトの上に踏み出した。
「いってらっしゃい、綾乃」
小さく手を振って、彼女を送り出す。
まだ呼び慣れない名前に、ぎこちない笑みを浮かべながら。
◆◇◆◇
夏休み真っ只中というのもあり、電車の中は普段より賑やかだ。
綾乃はドアのすぐ脇のところに立ち新幹線停車駅を目指す。窓の外の流れる景色を眺めながら。
何となく、憂鬱な気分。
仕事自体に文句はないが、この街を――いや、京介から離れるのが嫌だった。昨日までは考えないようにしていたが、今しがた顔を見たせいで再燃した。すぐに引き返して、一緒に家でだらだらしたい。
(……ずるいよ、京介は)
身体が小さくて、どちらかと言うと根暗で、自分に自信がなくて。俯いてばかりだし、あまり目を合わせてくれないし、すぐに赤くなるし。
それなのに、必死に手を引いてくれる。先が見えなくても歩いてくれる。おどおどしながらも、きっと自分が一番怖いはずなのに。
ずるい。ずるいことばかりする。
気づけば心の片隅に住み着いて、どこにいても何をしていても彼の顔がチラつく。
街を歩いていて、偶然会わないかなとか。夜寂しい時、都合よく電話してこないかなとか。意味もなく、隣にいて欲しいなとか。
「……」
手のひらに染み付いた彼の体温を思い出して、きゅっと唇を噛んだ。
胸の内側を占領する熱が、頬にまで伝播する。
(どうしよう)
口には出さずに独り言ちて、その事実に息を漏らした。
(私……)
もう自分を誤魔化しようがない。
話したいと思うのも、触れたいと思うのも、そばにいて欲しいと思うのも、友情が熱源の衝動ではない。夏のせいに出来ないほどに、顔が熱い。
(――京介のこと、好きだ)
あとがき
第一章はこれで完結となります。
以降のお話は構想中です。ゆるりとお待ちください。
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