第33話 離れたい理由
「おぉー。二人とも、偶然だな」
小さな釣り竿のような玩具で猫と戯れながら、琥太郎は空いた手を軽く振った。その横にちょこんと座る沙夜は、綾乃同様に不格好な笑顔で表情を固めている。
こっちこっち、と手招きする琥太郎に、京介は素直に従うことにした。硬直する綾乃を半ば引きずるようにして歩み寄る。隠し通すと決めたのなら、下手に動揺しない方がいい。
(だから言ったのに……)
本当に二人がいたのは驚いたが、琥太郎にバレても問題ないと考えているため、京介の心は穏やかだった。その分、意識は店の様子に向く。
想像よりもずっと綺麗だ。動物が何匹もいるとは思えないほど匂いもしない。
やわらかな色の照明。柱はキャットタワーに加工されており、一匹の猫が一番高い場所からこちらを覗いている。興味ありげに切れ長の瞳を瞬かせる姿は、掛け値なしに可愛らしい。
「ぐ、偶然だね。あ、沙夜ちゃん、こちら藤村の妹で京子ちゃん。京子ちゃんねっ」
「あ、あぁ。京子ちゃん、京子ちゃんですか。なるほどっ」
綾乃の発言で全てを理解したらしく、沙夜はぐっと親指を立てて見せた。察しがいいのは立派なことだが、その動作はあまりに不自然ではないか。綾乃も同じように親指を立てており、琥太郎はぽかんと首を傾げている。
ひとまず、二人の隣のソファ席に腰を下ろした。
綾乃も沙夜も、京介にばかり視線を送って完全に上の空だ。これでは猫カフェに来た意味がない。
「僕じゃなくて猫を構えよ。バレるようなことはしないから」
綾乃にだけ届く声量でそっと囁いて、テーブルの上のプロフィール表を取った。
マンチカンの豆太郎、スコティッシュフォールドのメイメイ、ベンガルのティッグ……などなど、猫たちの顔と名前、性別と誕生日が記されていた。綾乃はパッと目を輝かせ、早速すぐそこで客たちを静観している白黒猫の名前を探している。
「あの子は、ミヌエットのココちゃんですよ。この店で一番の古株です」
綾乃がどれだどれだと探していると、すっと沙夜が近付いて小声で言った。
名前を呼ばれたことに気づいたのか、ココはぬっと短い足で身体を持ち上げ、ゆっくりとした堂々たる歩き方を披露し沙夜の膝に飛び乗った。もにもにと膝の感触を確かめ、程なく足を畳み落ち着く。
「わぁ……!」
綾乃は心底羨ましそうな声を漏らした。
人慣れはしていると思うが、ここまで自然な流れで接触して来るのは、沙夜が常連だからだろう。背中をひと撫でし顎を掻けば、ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「手、出してみてください」
「あっ。うん」
人差し指を差し出すと、ココはぬっと鼻を近付け匂いを嗅いだ。そして、首をよじって額を擦り付け、挨拶が完了したのか「にゃっ」と小さく鳴く。
綾乃は顔を上げ、ぱちくりと瞳を輝かせた。沙夜に倣って背中に触れ、頭を撫で、顎の掻く。その感触が楽しく、可愛らしいのか、バッと喜びに満ちた表情をこちらに向ける。
「すごい、生きてるよっ」
当たり前だろ、とは思ったが、言っていることがわからなくもない。水族館のふれあいコーナーでヒトデを触った際、生きていることに感動した過去を思い出す。
「写真、撮ってもいい?」
「フラッシュはたかないでくださいね」
「うんっ」
スマホを取り出し、二度三度と画面をタップしシャッターを切った。
撮れた写真を確認しご満悦の表情。するとココは立ち上がり、私の仕事は終わったと言わんばかりに「なぁー」と低く鳴いて、次の客の方へと歩いてゆく。
(プロだな……)
流石猫カフェの猫だ。ただの飼い猫ではなく、従業員としての責務をまっとうしている。
綾乃は名残惜しそうにその背中を凝視していた。もう少し撫でたかったのだろう。
「向こうにミウちゃんっていう、すっごい美人さんがいるんですよ。いつも同じところに立ってて、他の子と違って膝に乗ったりしないんですけど、何とカメラを向けたらキメ顔をしてくれるんです……!」
「ほ、ほんと。見たいっ」
沙夜につられて綾乃は席を立つが、チラリとこちらを見て眉をひそめた。
一緒に行ってもいいが、慣れない靴で随分と歩いて疲れていた。それに向こうも、女同士の方が何かと気が楽だろう。ひらひらと小さく手を振り、行ってくるように促す。
二人が離れて行くと、テーブルの上にぴょんと黒猫が飛び乗った。特に甘えるわけでも、寝転がるわけでもなく、満月色の瞳でこちらを見つめている。
プロフィール表を見ると、ブリティッシュショートヘアのアズキで、この店一番のクールビューティーらしい。ふむふむと目を通していると、アズキはひょっと膝に飛び乗って丸まり落ち着いてしまった。
「撫でてやれよ、フジ。せっかくなんだし」
コーヒーを片手に沙夜を眺めていた琥太郎が、すっと京介に視線を移し言った。
「あ、あぁ」
手足は短めで、身体はどっぷりと丸い。ふかふかとした触り心地のいい毛に覆われており、指がどこまで沈んでいきそうだ。
昔飼っていた猫を思い出しながら顔を横を掻くと、アズキは気持ちよさそうに目を細め頭を擦り付けて来た。その仕草は息が漏れるほどに可愛らしく、今日一日の疲れが吹き飛ぶようだ。
……と、十秒ほどアズキを堪能したところで。
京介は違和感に気づき、琥太郎に目を向けた。彼は沙夜に寄せていた視線をもう一度こちらに戻し、「ん?」と首を傾げる。
「お前、今、フジって……」
さっきはあまりに自然に呼ばれたため認識できなかったが、よくよく考えるとおかしな話だ。綾乃も沙夜も、京子という架空の人物を作り上げて誤魔化そうとしている。ここまで確信を持って呼ばれるほど、ボロは出していない。
「気づいてたのか? どこから?」
「最初見た時から。つっても、半信半疑だったけどな」
「嘘だろ。かなり完璧にメイクして貰ってるぞ」
「まあでも、雰囲気? っていうか、空気みたいなのは一緒だし。マジで妹かとも思ったけど、沙夜も綾乃ちゃんも妙によそよそしいから」
「わかった上で嘘に付き合ってたのか……」
「綾乃ちゃんはともかく、沙夜が隠したがってるからな。そうするしかねぇだろ」
好きな相手の願いを聞く。彼らしい行動原理だ。
琥太郎はカップに口を付け、「しっかしなぁ」と意地の悪い笑みを見せる。
「僕をあげるとか何とか言ってたが、こういうことか。似合ってるぞ、京子ちゃん」
「佐々川さんがそうしたいって言ってたんだよ。僕の趣味じゃない」
言うと、琥太郎は感心したような表情で頷いた。
佐々川さんの要望に応えた、という部分が琴線に触れたのだろう。こういう単純なところは、良くも悪くも尊敬できる。
「にしても、悪かったな邪魔しちまって。せっかくのデートなのに」
「デートじゃないから。ただ遊びに出掛けただけだし」
「えっ? フジ、綾乃ちゃんと付き合ってるんだろ?」
「……何でそうなるんだ」
半眼で睨みつけると、琥太郎は釈然としない面持ちで肩をすくめた。
冷静になって思い返す。これまでの諸々が脳裏を過ぎり、そういう勘違いをするのは仕方ないことではないか、と思えてきた。
彼がそう感じたということは、佐々川綾乃という何かと目立つ生徒が絡む以上、他の人間も同じことを考えている可能性が高い。
内心頭を抱えていると、沙夜がほくほく顔の綾乃を連れて戻って来た。
どうやらいい写真が撮れたらしい。
「何を話してたんですか?」
「沙夜がいかに可愛いかを説明してたんだ。な、京子ちゃん」
沙夜の問いに、琥太郎はパッと明るく返した。
「……猫を見てくださいよ」
呆れ顔の沙夜に、へらへらと笑う琥太郎。
綾乃は京介の膝の上の猫に気づき、「ふぁあ」と今にも溶けそうな声を漏らし席に着いた。いいないいなという羨ましそうな面持ちは目の保養だが、しかし今はそれどころではない。
膝の上のアズキは、誰のどんな感情にも忖度することなく、「にゃー」と退屈そうに鳴いた。
この店は時間制のため、琥太郎と沙夜は一足早く退店。
それから十分と経たず、京介たちも帰路についた。電車に揺られて、その足で綾乃の部屋へ向かう。この姿のまま家には帰れない。
「どうかしたの?」
駅を出て数分。
先ほどからじろじろとこちらを見ていた綾乃が、ついにぬっと顔を覗き込んできた。
「どうって、何が?」
「ずっと難しい顔してるし、何かあったのかなって」
「カラオケの時も思っただけ、僕ってそんなに顔に出るかな」
「藤村は結構わかりやすい方だと思うよ。何か考えると、眉がこう、にゅってなるもん」
両手で自分の眉を寄せて見せ、えへへと得意げに笑う。自分は何でもお見通しだ、とでも言いたいのだろう。
「……東條に言われたんだよ。僕と佐々川さんが……その、付き合ってる、とか何とか」
「えっ」
「もちろん、否定しておいたけど。でも、確かにそんな勘違いをされて仕方ないことしてるし、他にもそんな風に思ってる奴がいるんじゃないかなって……」
僕なんか、とは言わない。
しかし、自分と綾乃が吊り合わないことは火を見るよりも明らかで、きっとこの勘違いは彼女にとってマイナスに働く。
また京介としても、綾乃のことは好意的に捉えているが、それは恋愛感情とは別のものだ。にも関わらず、そういう印象を持たれるのは非常にむず痒い。
「いいんじゃない、別に」
と、あっけらかんと言い放った。
「周りにどうこう言われるから会わないようにするとかバカみたいだしさ」
「バカみたいって、いやそれは……」
「藤村は考え過ぎだよ。勘違いしたい人にはさせておけばいいの」
「じゃあ、冷やかされて気分悪くなったりしないのか? 相手は僕だぞ」
そう口にして、まずいと息を呑む。
綾乃の前では、ネガティブな発言を控えるつもりでいた。これではまた怒らせてしまう。
だが、少し待っても彼女は口を開かない。代わりに聞こえてきたのは、重く切ないため息だった。
「……私と離れたい理由が欲しいなら、勝手にすればいいけど」
「ち、違っ――」
瞬間的に否定し、彼女を見上げた。
そこにあったのはニヤニヤとした得意げな笑み。「へっへっへっ」と悪役のように言いながら、人差し指で頬をつついてくる。
「必死だなぁ。そんなに私といたいの?」
まんまと嵌められてしまい、恥ずかしさに唇を噛む。……が、否定はしない。
今よりも少しだけ、彼女の手を強く握った。一緒にいたいか、いたくないか、その二択に対して素直に口で答えるには、もう少し時間がかかる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます