第32話 京子ちゃん

「あ、あぁ、彼氏いたんだ」


 震えた声で呟く茶髪と、無言で後退る黒髪。

 明らかに年上な二人に一切臆さず、琥太郎はギロリと睨みをきかせている。


「さっさと行けよ」


 眉間にシワを寄せながら放った声は獣の唸りのように低く、二人は無言でこちらに背を向け去って行った。

 男性的な魅力とはこういうものなのだろうか、と京介は羨望を込めて見上げた。その視線に気づいた琥太郎は、「うっす」とぶっきらぼうに呟く。どうやらこちらの正体に気づいていないらしい。


 誕生日プレゼントに女装させる権利を渡したことは、綾乃と服選びに付き合った沙夜しか知らない。

 もしかすると今彼は、どこかの誰かに似ていると思っているかもしれないが、まさか藤村京介の女装姿だとは想像もしないだろう。


 心情としては、身分を明かした上で助けてくれたことに頭を下げ、ついでにトイレに付き合って欲しいのだが、目の前の女の子が突然実は男だと言い出せば混乱することは必至だ。信じて貰えるかどうかもわからない。


 ここはこのまま乗り切ろう。


「藤村っ!」


 バンッと勢いよく開いた扉。

 しなやかな身体を揺らしながら飛び出した綾乃は、脇目も振らずこちらに駆けて来た。その足で京介と琥太郎の間に割って入り、長い腕を広げて京介の盾となる。


「へっ?」


 琥太郎は素っ頓狂な声を漏らし目を見開いた。

 当然だろう。ナンパから助けたと思ったら、かつて自身がナンパした女性が現れたのだから。


「……あっ」


 顔はわからないが、声から察するに綾乃も気づいたらしい。今自分が、誰と対面しているのか。


 ひたすらに重く気まずい空気が立ち込めた。

 校内で顔を合わすことがあっても、蒸し返して面白くない記憶があるため無意識に避けていたのだろう。京介が知る限り、二人が会話したのは四月のあの件を境に一度もない。


「そ、その節は、本当に、申し訳ないことを……」


 最初に沈黙を割ったのは琥太郎だった。

 突然頭を深々と下げたことに綾乃は驚き、「えっ」と一歩後退った。


「い、いいよ。気にしてないし、私」

「でも、本当に……」

「いいって、いいから。それより、なに、どうしたの?」

「いや、この子が男に絡まれてたから。てか、さっき藤村って――」


 言いながら、ぬっと京介を覗き込む。

 綾乃はビクッとわかりやすく動揺し、わずかに横へズレて琥太郎の視線を遮る。


「こ、この子ね、藤村の妹さんなんだよ!」


 吹き出しそうになった。

 何だそれは、その設定は。琥太郎にバレないようにとの配慮だと思うが、もう少し誤魔化しようがあるだろう。琥太郎の疑念に満ちた双眼が、嘘の稚拙さを物語っている。


「いやぁ、迷惑かけちゃったね。さ、行くよ京子ちゃん!」

「あっ。沙夜も一緒に来てるんだが、ちょっと顔出して――」

「ごめん! よろしくって言っといて!」


 綾乃に半ば抱えられるようにして、京介は部屋に戻った。






「あんなわかりやすい嘘つくなよ。何だよ京子ちゃんって」

「仕方ないじゃん! バレたら大変なことになるよ!」


 懸命な面持ちの綾乃を前に、京介は小さく嘆息を漏らして怒りを鞘に納めた。

 琥太郎はあの見た目だがそこまで軽い男ではないため、自分がこうして女装しているとわかっても言いふらすようなことはしないと思うが、綾乃が疑ってかかるのも無理はないだろう。自分が彼女の立場なら、同じくことをするかもしれない。


「とりあえず、お店出ちゃおっか。ドリンクバーに行ってばったり会う、みたいなことになったら気まずいだろうし」

「じゃあ、もう猫カフェに向かうってことでいいのか?」

「うん。藤村の歌聞きたかったけど、また今度ね」


 荷物を手早くまとめ、受付で精算し店を出た。


 引っ込んでいた尿意は外の空気に触れたことで再燃し、手近なコンビニの男女共用トイレで済ませた。その後は綾乃に手を引かれ、目的の猫カフェへと向かう。

 スマホで地図アプリを開き、「あれ?」「んー?」と首を捻る綾乃。歩き始めて二十分、未だ猫カフェには着いていない。


「迷ったのか?」

「そ、そんなことないよ。寄り道してるだけっ」


 よくわからない言い訳を吐いているが、迷子になっていることは明白だった。

 ちょっと貸して、とスマホを受け取り画面を見た。地図の見方がわからないのか、スマホが故障しているのか、目的地から随分と離れている。


 綾乃を見やると、さっと視線を逸らされた。

 仕方がない。京介は息をついて、彼女に代わり歩き出す。GPSが正常に機能しているところを見るに、単純に彼女のポンコツさが原因らしい。


「そういえば、何で猫カフェなんだ?」

「私、猫好きなんだ。藤村も好きでしょ」

「僕が?」

「え、違うの? 猫のスタンプ使ってるし、好きなのかなって」

「あれは、当たり障りがないから……」


 犬でも猫でも、謎のゆるキャラでもいい。相手に不快感を与えなければ、それで。

 数ある選択肢の中から猫にしたのは、昔友達から、お前は猫みたいな奴だと言われたからだ。


「え。じゃ、じゃあ、やめとく……?」


 しゅん、と明らかに声の張りが落ちた。さぞかし楽しみにしていたのだろう。

 京介は握った手に力を込めて、「いや」と視線だけを斜め上へ寄せる。


「行ったことないから、興味はあるけど」


 感情が直で顔に出る綾乃のことだ。好きな猫と戯れる姿は、可愛らしいに違いない。……という下心はあるが、当然胸にしまっておく。


 「そっか、よかった」と上機嫌に頬を緩ませ、ぴょこぴょこと今にも跳ね出しそうな足取りで前に出た。その大きな一歩について行けず転びそうになるが、寸でのところで綾乃に支えられ事なきを得る。


 その時、「ひゃーっ」という黄色い声が鼓膜を刺激した。同年代くらいの女子三人組がこちらに見て、ごにょごにょと何か話している。

 声は聞こえないが、おそらく綾乃についてだろう。

 ここまで露骨に反応されたのは初めてだが、通行人の多くが一度は彼女を一瞥する。綺麗だとか、格好いいとか、その容姿を褒め出せばキリがない。


 綾乃は小さく手を振った。それを受け彼女たちは、わっと盛り上がって頬を染める。

 そのスマートさは映画や漫画のワンシーンじみており、彼女が自分とは別世界の住人であることを再認識した。


「……流石、慣れてるな」

「昔から女の子によくモテるんだよね。この間も告白されたし」


 告白されたのは初耳だが、綾乃を見るために別のクラスの女子が教室をよく覗いているのは知っている。同じクラスの同性にはあまり恵まれなかったようだが、来年クラスが変われば状況も一変するだろう。


 対して男子はというと、四月は玉砕覚悟で告白する輩もいたようだが、最近はすっかり高嶺の花扱いだ。彼女自身、あまり異性との交遊を望んでいないのか、京介くらいとしか話していない。


「それ、断ったのか?」

「あぁ、うん。気持ちは嬉しいけどね」

「ふーん」

「え? 気になるの、藤村。私が告白されて」

「いや、別に」


 何の気なしに聞いただけなのだが、綾乃は小馬鹿にするような笑みを称えた。


「どうでもいいの?」

「どうでもって……」

「付き合っちゃってもいいの?」


 質問の意図がまったくわからない。

 誰と付き合うかどういう青春を送るかは、その人の自由だ。京介には関与しようのないことであり、付き合いたいならそうすればいい。……しかし、気になることがある。


「まあ、いいんじゃないか。僕が勉強を教える時間は、減るかもだけど」


 そう口にして、急激に顔が熱くなった。何言ってるんだ僕は、と今すぐ頭を抱えたくなる。

 頬に滞留する紅のやり場に迷っていると、綾乃はふふんと満足げに鼻を鳴らしてすり寄ってきた。「それは困っちゃうね」という蕩ける声色に心臓が跳ねる。


「も、もうすぐ着くからっ」


 遠目に看板が見えてきたため、スマホを押し付けるように返す。

 浅く深呼吸し、胸の搏動を整えた。


「私、緊張してきた。人懐っこい子ばっかりらしいけど、嫌われたらへこんじゃうな」

「相手は動物だから、思い通りにはいかないだろ。……てか、行ったことあるのか?」

「ないけど、なんで?」

「人懐っこい子ばっかりって言うから」

「あぁ。沙夜ちゃんがここの常連らしくて、いいとこですよって勧められたんだ」


 そう言って、店のドアノブを握る。

 「待て」と綾乃の腕を取った。彼女は目を丸くして、こちらに視線を配る。


「いるんじゃないのか。この中に」

「誰が?」

「東條たちだよ。カラオケ屋で話した時、詞島さんも一緒だって」

「まさかぁ。考え過ぎだよ」

「今いなくたって、僕たちがいる間に来るかも――」

「藤村は心配性だなぁ」


 手を引かれ中に入り、受付と手の消毒を済ませてカフェに足を踏み入れた。明るいウッド調の広々とした店内を、何匹もの猫が闊歩し、丸まり、客と戯れている。

 客層は女性とカップルが大半のようだ。その中のある一組に、強烈に目を引かれた。猫など、どうでもよくなるほどに。


「……」


 ほら見ろ、と綾乃を一瞥した。

 彼女は粘土細工のような嘘くさい笑みを張り付け、ピクピクとまぶたを痙攣させている。


 そこには、沙夜と琥太郎がいた。

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