第30話 秘密


 エンドロールが終了し、劇場内の照明が点灯した。

 正直イマイチだったし、グロテスクな描写も多く綾乃の気分を害さないか心配だったが、彼女は「面白かったね」と特に気にしていない様子。良い所を発見できる能力に長けていて助かった。


「ねえ、藤村」


 劇場を出て少し歩いたところで、綾乃はピタリと立ち止まった。壁に飾られた映画のポスターを指差し、ふふんと得意げに鼻を鳴らす。


「この映画、私出てるんだよ」

「えっ」

「ちょい役だけどね。犯人に殺される女子大生の一人」

「ま、マジで……?」


 それは、誰も知らないような監督が作った低予算のインディーズ映画ではなく、地上波でCMが流れ有名な役者も数多く出演する映画だ。

 素直に驚いていると、彼女はポスターを背にして上機嫌に鼻歌をうたっていた。

 何かを期待するような眼差し。流石の京介も、そこまで鈍感ではない。


「わかった。観に行くよ」

「ええー? 別にいいよぉ、恥ずかしいし」

「だったら観ない」

「……そっか」

「じょ、冗談だから。絶対に行くから」


 照れたり悲しんだりと山の天気のように移り変わる表情に振り回されながらも、最終的にはニッコリと爛漫な笑顔に落ち着いた。


 よくよく考えてみると、自分は未だ、彼女がどういう仕事をしているのか知らない。

 モデルだとは聞いているが、実際にどの雑誌で活躍していて、その他にどういうことをやっているのか見当もつかない。


 興味はある。無いわけがない。

 だが、向こうからこの手の話を振ってこないため、勝手に触れない方がいいものだと思っていた。そうしているうちに意識しないことが板につき今に至る。


「どうしたの?」


 難しい顔をしていたせいだろう。綾乃は少し不安そうに小首を傾げる。


「いや……僕って佐々川さんのこと、全然知らないんだなって」


 まだ長い付き合いとは言えないが、友達であることは間違いない。

 プライベートなことに踏み込むのは気が引けるが、仕事についてくらいは知識をつけておくべきだろう。いつでも応援できるように。


「じゃあ、私の秘密、教えてあげよっか」


 そう言って京介の手を握り、力強く歩き出した。






 こちらの発言の意図が正しく汲み取られていないような気はしたが、あまりにも自信満々に前進する背中に口出しすることを躊躇っていると、なぜかカラオケに連れて来られた。


 個室でしかできないような誰にも聞かれてはいけない話なのだろうか、と身構えるが。

 綾乃は当然のように曲を入れ、軽く発声練習をしながらマイクを取った。


(え? 秘密は?)


 前奏が流れ、リズムに合わせて横揺れする綾乃。

 別に秘密を聞き出したかったわけではないのだが、こうなっては逆に気になってきた。こんな心境で歌を聞かされても困る。

 

 が、京介はすぐさま理解した。彼女がいう秘密、ここに連れて来られた理由を。


 ノリノリで歌う綾乃。

 その姿は売れっ子の歌手を思わせるが、しかし絶妙に下手くそだった。なまじ声がいい分、悪いところが三割増しで目立つ。採点機能を使っていたら、八十点に届かないことは間違いない。


 Aメロ、Bメロ、サビと一番を歌い切って、綾乃は息をつきながら演奏中止ボタンを押した。

 やり切った顔をしながら振り返る彼女に、何と声を掛けていいか決めあぐねていると、「私、歌下手なんだよね」と眉尻を下げて笑った。


「だから、あんまり歌わなくてもいい大勢の時か、仲のいい人としかカラオケって行かないんだ。こんなことで幻滅させたくないし」


 別にそんなことが知りたいわけではないのだが、わざわざ自分を曝け出してくれた綾乃に対し、今更本当のことは言えなかった。仕事については、また後日、本人か沙夜に聞くとしよう。


「それじゃ、次は藤村ね」

「僕?」

「私は教えたんだから、藤村も何か一つ秘密言ってよ。何でもいいから」

「秘密って言われてもな……」

「何かあるでしょ。私が知らない、藤村のこと」


 無いわけではない。誰にだって隠したいことの一つや二つはある。

 だが、いきなりそんなことを言われても困ってしまう。秘密というのは、懐にしまって見えないようにしておくから秘密なのだ。ほいほいと出すようなものではない。


 どれを選ぶかも重要だ。

 性的なこと、あまりに恥ずかしいことを話せば尾を引きかねない。例えば、中学時代に自分を闇の能力者だと思っていたという話は爆笑必至だが、今後ことあるごとにネタにされるのは目に見えている。


「……秘密、ってほどのことじゃなくて、今だから言えることって感じなんだけど」


 長い前置きに、綾乃はうんうんと興味津々に頷いた。


「四月に佐々川さんを東條から助けたけど、あれ偶然なんだ。本当は素通りしようとして、転びそうになって、それで……」

「そ、そうなの?」


 頷くのと同時に目を伏せる。


 綾乃の声が、落胆しているように聞こえた。

 まずいなと押し黙っていると、彼女はすぐ隣まで距離を詰め、今日何度も繰り返した動作で手を握ってきた。少し湿り気を帯びた熱い肌が、京介に触れてより熱を増す。


「だったら、私も今だから言えること、言うけど……」

「う、うん」

「私、中学の頃、周りよりお金持ってたからたかられること多くて。断れたらよかったんだけど、孤立するのが怖くてさ。友達には何か買ってあげたりしないといけないって思ってたんだよね」


 体温とは異なり、その声に秋風のような冷たく乾燥した寂寞を垣間見た。

 

「だから、ほら、藤村に食堂でご飯奢ってあげるって言ったでしょ。助けてくれたお礼にって」

「……そんなこともあったな」

「口だけじゃなくて、何かあげないとって決めつけててさ。でも断られて……それがね、嬉しかったの」


 秋風は冬を素通りして、春へと足を踏み入れた。こちらに肩を寄せ、「今考えたら、いきなり奢られても困っちゃうよね」とやわらかく微笑む。


 いつかの言葉を思い出した。

 普通のことでも、誰にでもできることでも、それを初めてしてくれた人のことを特別に想ってはいけないのか――と、彼女に問われた日のことを。


 あの時は必要とされていることが嬉しくて、彼女の発言の裏にまで意識は及ばなかった。

 なるほど、と納得する。仕事が忙しくまともな学校生活を送れなかった彼女にとって、お金は孤独を回避するのに最適だったのだろう。


(……あぁ、くそっ)


 当時の周りの人間たちに対し腹が立ち、空いた左手の爪が膝に食い込む。

 払ってしまう綾乃にも非はあるのだろうが、受け取ってしまう方もタチが悪い。たかっていることに、何の疑問も持たなかったのだろうか。そういう関係を友達と呼ぶ綾乃を、不憫に思わなかったのだろうか。


 きっとこれは、綾乃の中では終わった話だ。

 今ここで自分が怒りを覚えたところでどうしようもない。

 

 そんなことはわかっている。わかっているのに。


「――っ!」


 突然綾乃が身を乗り出し、京介の左手を奪い取った。

 見上げると、顔を赤くして双眼に涙の薄い膜を張った、必死そうな面持ちの彼女がいた。


「藤村、変なこと考えてたでしょ」


 大きな瞳がぱちくりと何度も瞬き、間抜けに口を開けて固まる京介を凝視する。

 

「私、今……すっごく楽しいよ」

「あ、あぁ」

「だから、そんな顔しないで」


 二度、三度と首肯する。

 まつ毛の長さが、瞳の繊細さが、唇の艶やかさが、否応なく視覚情報として入ってくる。息遣いまで、手に取るように。


 怒りは羞恥心に上書きされ、今はただ離れて欲しかった。

 だが、綾乃は「本当に?」と少しムッとした顔で確認する。体勢を維持したまま。


「もう一個、教えてくれたら信じる」


 これでお互いに二個ずつ教えたことになるからと、綾乃は眼光を鋭く尖らせた。

 更に一個と言われても困ってしまう。このような状況ではまともに頭が回らない。かといって振り払う力もなく、お互いの距離が少しずつ狭まってゆく。


「ほ、ほくろっ」


 考えがまとまるよりも先に、そんな言葉を口走っていた。


「初めて佐々川さんに話しかけられた時、目尻の下の方にほくろがあるのがわかって……それが、何かすごく好きで。たまに、見て……ます、はい」


 秘密でも何でもなくただの暴露だが、これで勘弁してもらえないだろうか。

 不安に思っていると、綾乃はバッと身を翻し、京介からわずかに距離を取った。

 頬から耳へと朱色が広がり、唇をかみしめながらじーっと見つめてくる。恨めしそうに、恥ずかしそうに。


「……勝手に見るの、これから禁止」

「き、禁止って……」

「見る時は見るって言って!」

「そんな無茶苦茶な」

「だって、変な顔してたら嫌じゃん! 気が抜けてる時もあるし!」

「いや、佐々川さんはいつ見ても綺麗だけど」


 そう口にしてから、言葉選びを間違えたことに気づいた。心にもないことを言ったわけではないのだが、あまりにも直接的過ぎる。

 綾乃は大きく目を剥き、薄っすらと口を開いて硬直していた。「ご、ごめん」と何が悪いのかはわからないが、とりあえず謝罪する。何でもいいから、この空気を変えたい。


「……んーっ」

「え、な、なに?」


 拗ねた子供のように唸りながら、ぺちぺちと京介を叩く。


「んーっ、んーんーっ!」

「なにっ、何だよ!」

「わっかんないけど、もにょもにょするの!」

「もにょもにょ?」

「むにゅむにゅっていうかさー!」

「余計にわからん」


 ぺちぺち。ぺちぺちぺち。

 動物を愛でるような力加減で繰り返される猛攻に、京介は頭上に疑問符を量産しながら耐えた。特に痛いというわけではないが、ただただ謎である。


「あぁーもう! 歌うからね!!」

「お、おう……」


 マイクを手に絶叫する綾乃。キーンとハウリングを起こすが、まったく意に介さず曲を入れる。

 結局よくわからないが、こうして歌い始めたところを見る限り、気分を害したわけではないようだ。ホッと胸を撫で下ろすと、緊張が解けたせいか催してきた。


「ちょっとトイレ行ってくる」


 熱唱する綾乃に一声かけ部屋を出た。

 トイレの前まで来て、ふと男子トイレのドアノブに伸ばしかけた手を止める。


(……これ、このまま入って大丈夫か?)


 股の下を流れてゆく空気の感覚に、京介は冷や汗をかいた。






(あとがき)

短編を投稿しました。

時間に余裕があれば、目を通して頂けますと幸いです。

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