第28話 女装記念日
「なあ、佐々川さん」
「どうしたの?」
土曜日の午前十時過ぎ。
その日、京介はある目的のため綾乃の部屋を訪れていた。いつものようにリビングに入り、座り慣れたソファに座り、テーブルの見慣れない化粧品たちを苦い顔で見つめる。
「やっぱり辞めたいって言ったら、怒る?」
「怒りはしないけど、それなりに準備してきたし、ちょっとへこむかな」
後ろから聞こえてきた少し悲し気な声に負け、京介は覚悟を決めた。
女装する、覚悟を。
「今日の予定は、お昼までにメイクを終わらせて、ご飯を食べて、映画を観て、猫カフェに行こうと思うんだけど、他に行きたい場所ある?」
「……ちょ、ちょっと待て。家の中だけじゃないのか?」
「えっ。外出ないの?」
「は?」
京介としては、この部屋の中だけで完結するものだと思っていた。そういう意味で、女装させる権利をプレゼントした。外に出ることを許容した覚えはない。
しかし認識の相違があったらしく、振り返ると彼女は唇を噛み締め視線を伏せていた。残念さを隠そうともしない面持ちに、京介は苦虫を噛み潰したように笑って前へ向き直る。
「……わかった。どこでもついて行くよ」
甘いなぁ、と思いつつも。
これは綾乃への誕生日プレゼントだ。ある程度好きにさせて然るべきだろう。……と、自分を納得させる。今すぐ逃げ出したい、この気持ちを抑えて。
二時間後。
化粧、着替えと全ての作業が終了した。綾乃は「完璧だよ!」と親指を立てているが、京介は未だ自分の姿を見ていなかった。
ガラガラと音を立て、寝室から移動式の姿見鏡が運ばれてきた。誇り除けかサプライズのつもりか薄手の布がかけられており、こうして対面した今も見ることができない。
「心の準備はいい? 取っちゃうよ?」
興奮気味に鼻息を荒げながら布を握り締める綾乃に、京介は早くしてくれと息をつく。
ドコドコドコドコ、とセルフ効果音。太鼓のつもりだろうか。そして、ジャンという声が響き、麻色の布が宙を舞った。
一瞬、それが鏡面だと理解できなかった。
白磁に塗られた肌、真っ赤なルージュにきつい目元。地毛は黒髪のウィッグで隠され、二つ結びをゆるふわにアレンジされている。
目線を少し落とせば、黒を基調としながら所々に小さな金色の星が散りばめられたショート丈のパーカーが自己主張した。袖はふんわりと風船のように広がっており、手の先まで隠れるほど長い。真っ黒のミニスカートに猫をモチーフとしたニーソと、華奢な脚を強調する。
その他にも、細々とした爪の先ほどのサイズしかない情報が濁流のように押し寄せるが。
しかし、それら全てがどうでもよくなるほどに、京介は一つの真実に意識が向いていた。
(……案外、可愛くないか?)
脳内に座り込んだその思いを、ぶんぶんと頭を振って追い出す。……が、見れば見るほどに違和感はなく、心の中の陰茎が抜け落ちたゆくのを感じる。
(な、何考えてるんだ僕は!!)
取れかかったそれを何とか付け直し、二度三度と深呼吸した。
今一度鏡を凝視する。頭の先から、つま先まで。ちょっとだけポーズをとってみたり。学年に一人はいそうな少し性格のきついサブカル女子、そんなイメージを抱く。
それにしても、と眉をひそめた。
何だろう、これは。この違和感は。どこかで見たような感覚。異常な既視感。ぞわぞわと背筋を何かが這うようで気分が悪い。
「どう!? すごくない!?」
母親の似顔絵を描いた子供がその出来を確かめるように、綾乃は無邪気に身体を揺らしていた。京介は出かかった言葉を一度飲み込み、だが正直に話さないのも悪いなとため息を零す。
「……か、可愛いと思う」
「でしょー! いや本当さ、普通に女の子として通用するって!」
「そんなわけないだろ」
「京子ちゃんって呼んでいい?」
「勘弁してくれ」
あまりにも女の子扱いされると、心まで浸食されそうな気がした。
「てか、デジャブがすごいんだけど、誰か参考にしてる人とかいるのか?」
「えっ。わかんない?」
口ぶりから察するに、どうやら京介の知る人物らしい。
鏡に顔を近付け、まじまじと見つめた。不意に女の子に見つめられているような感覚に陥るも、まずいまずいと息を整えて細部を観察する。
「飛鳥ちゃんだよ」
その答えを受け、降り積もる既視感に納得がいった。当たり前だ、ほぼ毎日見ているのだから。
飛鳥の顔を思い浮かべた状態で見てみると、なるほど、確かにそれっぽい。元々似ているのもあり、彼女がしっかりとメイクすればこんな感じだろう。
「前にうちに来た時、これだって思ったんだよね。まあ、飛鳥ちゃんは結構明るい感じだから、藤村は暗い系に寄せたけど。並んでたら双子に見えるんじゃない?」
「……そこはせめて、姉妹って言ってくれよ」
チクチクと文句を飛ばしつつも嫌な気分はしなかった。メイクの最中も、こうして出来上がったあとも、彼女が楽しそうにしているから。元よりこれは誕生日プレゼント、幸せでないのなら意味がない。自分の羞恥心を犠牲に一つ幸福を生み出せたなら安い買い物だろう。
「ちょっと待ってて。私も着替えてくるから!」
くるっと身を翻して寝室にこもった綾乃を見届け、京介は再び鏡と対峙した。
この姿で外に出るのか、と少し先の未来に苦笑した。見た目は誤魔化せても声はどうにもならない。裏声で「あー」「うー」と喋ってみるが、どれだけ聞いても男である。
(佐々川さん以外に喋らない方がいいな、これは)
外で会う見ず知らずの誰かにバレたところで京介自身には何の害もないが、綾乃が粉骨砕身で作り上げたこの造形を声一つで壊してしまうのは心苦しい。せっかく可愛いのだから、今日一日最後まで誰にとっても可愛くあることがプレゼントになるはず。
「……」
ふと、寝室の扉に目を向けた。
開いた際にチラリと中を見たことはあるが、一度も足を踏み入れたことがない綾乃の聖域。木の扉の向こう側で、今こうしている時に服を着脱しているかと思うと、よからぬ妄想が脳内を汚染する。
「お待たせっ」
邪念に支配されないよう悶々と戦っていると、ようやく綾乃が戻ってきた。
真紅の革ジャンにグレーのインナー、黒のスキニーパンツと全体的にとても格好いい。髪を一纏めにしてキャップを被っているのもあり、宝塚にいてもおかしくない美男子に見える。
「男装……ってわけじゃないけど、今日は藤村をエスコートする王子様のつもりだから」
えへへ、と照れ臭そうに笑いながら、ダンスにでも誘うように手を差し出した。
その大袈裟な動作に苦笑しつつ、京介は彼女の手を取った。
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