第27話 それぞれの話
「……ま、マジでやるんですか?」
「うん。マジでやる」
平日の放課後。
いつか来た百貨店の前に少女が二人。
深刻な表情の沙夜と、シリアスに佇む綾乃。
台詞だけ抜き出せば悪事の相談をしているようだが、実際はもっと間抜けな話題だ。故に沙夜には、訳を話さずここまで連れて来た。知れば最悪、同行を断られかねないから。
「わたし、いります? そりゃあ、綾乃ちゃんと一緒にお出かけするのは嬉しいですけど」
「いる、絶対にいる! 沙夜ちゃんがいなかったら始まらないもん!」
「ちょ、ちょっとこんなとこでっ。へ、へへぇ」
沙夜の手を取って力説すると、恋する乙女のように頬を赤らめ蕩けた。
「ごめん」と一歩距離を取ると、明らかに残念そうな愛想笑いを浮かべた。彼女のことは好きだし、好かれていることも知っているが、たまに向けられている感情が友情を超えているのではと不安になる。
「とにかく、わかりました。綾乃ちゃんのために何でもします」
「ありがとう! 本当に助かるよ!」
「お安い御用です。…………あっ。手、繋いでもいいですか」
「あ、あぁ。うんっ」
同性と手を繋いで歩くのは不自然なことではない。自分にもいくらか経験がある。……だから、この心のざわつきはきっと気のせいだ。
「じゃあ、行こっか」と手を引くと、少し遅れて「はいっ」と元気な声が返って来た。少し後ろをテコテコとついてくる様は小型犬のようで、よく笑うことも相まってポメラニアンを散歩している気分になる。
「……で、わたし、何すればいいんですか? 藤村さんを女装させるための服を買う、だけですよね?」
歩き始めてほどなく。
沙夜がこちらを見上げ不思議そうに小首をかしげる。その動作はやはり小動物じみていて可愛らしい。
「試着して欲しいの。沙夜ちゃんって、藤村と体格似てるし」
「に、似てる……?」
「そこ以外! そこ以外ね!」
沙夜が自身の胸を見下ろした。決して小さいわけではなく、一般的なサイズだと思うが、どうやら気にしているらしい。急いで訂正し、コホンと咳払いする。
「やっぱり想像だけじゃ限界があると思うんだよね。本当は藤村を連れて来たんだけど、本番前にも女装させるって可哀そうじゃない?」
「可哀そうって思うなら、もうやらなくてもいいんじゃないですか」
「んー。でもね、藤村が一生懸命考えてくれたプレゼントだし……」
言うと、沙夜は酷く気まずそうな顔をした。口をぴったりと紡ぎ視線を伏せる。なぜだろうと思いつつも、わざわざ言及するほどのことではないかと意識を逸らす。
「普通に見てみたいんだよね、女の子になった藤村。似合うと思わない?」
「……正直、似合うと思います」
「でしょ。あちこち連れ回そうと思ってさ」
「へぇ……」
「映画とか、カフェとかさ。恥ずかしがってもじもじしてる藤村、絶対可愛いよね」
「……」
「えっ。な、なに?」
斜め横から熱い視線。
眉間に刻まれたシワ。疑わしそうに半分閉じたまぶた。への字に曲がった唇。沙夜の険しい面持ちに、綾乃は若干引き気味に頬を引きつらせる。
「いえ、藤村さんは幸せ者だなと思いまして」
「そ、そうなの?」
「そうです。そうに決まってます」
これから女装させられる彼がなぜ幸せなのかはわからないが、綾乃は深く考えないことにした。
◆◇◆◇
「……ま、マジでやるのか?」
「マジでやるに決まってるだろ」
その日の放課後。
京介は琥太郎のクラスにお邪魔し、彼の向かいの席を借りていた。机の上には、数学の教科書とノートと問題集。琥太郎は子供がエスプレッソを飲んだ時のような、この世の終わりじみた苦い表情をたたえて、うげーっと机に突っ伏す。
「勘弁してくれよぉ。今日は沙夜がいないから、勉強サボれると思ったのに……」
「詞島さんから頼まれてるんだ。ちゃんとやらないと僕が怒られる」
この前の中間テスト時、クラス最下位にして全教科赤点という最悪の結果を残した琥太郎は、テスト返却日から毎日沙夜に勉強を教わっていたらしい。
だがそんな彼女は、今この場にいない。
綾乃と女子会だと言って出かけてしまった。
『この調子だと、琥太郎くん本当に留年しちゃうので、絶対に勉強させてください』
深々と頭を下げる沙夜の姿を思い出しながら、ぶつぶつと文句を垂れる彼を見下ろした。親の心子知らず、ではないが、それに近いものを感じる。
「あーあー。つまんねぇなー。もう十分やったんだし、期末で赤点取ることはねえよ。今日一日やらなくたっていいだろ?」
「じゃあ、今日授業でやった内容覚えてるのか?」
「…………」
「さっさと始めるぞ」
覚えていないと暗に語る琥太郎。京介は吐き捨てるように言って、その肩をぽんぽんと叩いた。
「何で勉強しなくちゃいけないんだ。理科や算数が何の役に立つってんだ」
「子供みたいなこと言うなよ……」
「納得する答えが出たら勉強する!」
ぷいっと頬を膨らませてそっぽを向くが、当然可愛いわけがなくムカつくだけだった。
筋金入りの勉強嫌いだ。よくこの高校に入れたなと疑問に眉を寄せ、きっと沙夜が死ぬ気で頑張ったのだろうとすぐさま出た答えに内心頷く。
「フジは何で勉強してるんだよ」
「何でって、それが学生の仕事だろ」
最近では、綾乃に教えるために勉強している節が大きいのだが、わざわざ口には出さない。
そして案の定欲しい回答ではなかったらしく、琥太郎は「納得いかねぇ!」と吠えた。強引に押し付けられたこの苦行、投げ出す勇気のない自分を呪いながら、京介は頭を掻いてため息を漏らす。
「……じゃあ、こうしよう。将来、東條と詞島さんが結婚したとする」
「け、結婚って、おまっ。話が早くねえか?」
「仮の話だから、いいから黙って聞いてくれ」
「わ、わかった」
「詞島さんの成績ならいい大学に行けると思うし、いい企業にも入れるだろうけど、今は一旦置いておいて。彼女は専業主婦で、お前が一家の稼ぎ頭だとする」
「おう」
「今の成績じゃまともな大学には行けないし、選べる仕事だって詞島さんの半分以下だと思っていい。当然、給与だってどれくらい少ないか想像もつかない。お前は詞島さんに苦労をかけてもいいのか?」
実際問題、選べる仕事が半分以下なのか、その真偽は不明だ。京介も高校一年生、卒業後のことを思案するにはまだ早い。給与に関しても当てずっぽうである。
だが、これが思いのほか効いたらしく、琥太郎は重い身体を起こしてシャーペンを握った。その瞳は深刻そうに淀み、額からは汗が滲み出ている。
(こいつ、単純過ぎるだろ……)
たったこれだけのことで勉強のスイッチを入れられるのなら容易いものだ。
純情に漬け込んだような気がして少し罪悪感はあるものの、結果として既にペンを走らせているのだから間違ったことはしていない。
「俺、沙夜を絶対幸せにするから。ビル・ゲイツくらい金持ちになるから」
それは流石に無理だろ、と思いつつ。
今下手に興を削げば振り出しに戻るかもしれない。ここは温かく見守るのが最適解だろうと、京介は「頑張れよ」と薄っぺらく嘘くさい笑みを作った。
(あとがき)
本作は今月中に第一章完結予定です。
また、新作の投稿も考えているので、評価等頂けると大変励みになります。
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