第26話 襲来
綾乃には一人帰宅してもらい、京介は飛鳥と待ち合わせしているコンビニに向かった。
昨晩はどうしてこうなったのだろうと頭を抱えたが、しかし冷静になって考えてみればこの事態は予想できたことだった。陰気な兄が週に何度も誰かの家に行き、食事をご馳走になっていれば、騒がしい妹が食いつくのは目に見えている。いずれ両親も黙っていない。
今後更に面倒な事態になりかねないことに頭痛を覚えながらも待ち合わせ場所に到着すると、そこには既に飛鳥がいた。
制服姿。髪は二つ結び。一度家に寄ったのか学校指定の鞄は持っていないが、代わりに大きな紙袋を抱えていた。こちらに気づくなり「遅い!」と駆け寄って来て、それを京介に押し付ける。
「お、おい。何だよこれ」
持つとかなり重い。二リットルのペットボトルが何本も入っているのではと中を覗き込む。
そこには、ジャガイモや玉ねぎ、キャベツにピーマンといった野菜がこれでもかと詰まっていた。
「うちの野菜持ってきたの。勉強教えてるからって、タダで食べさせてもらうのはダメでしょ。それ、京にぃからってことで渡しといて」
両親の実家は共に農家をやっており、毎年食べ切れない量の野菜が届く。近所に配り歩くことで何とか消費しており、ここにあるのはその中のほんの一部だ。
「……本当、こういうとこ気が利くよな」
「京にぃとは違うからね」
「うるさい」
ふふんと得意げに鼻を鳴らす飛鳥に苛立ちながらも、内心感謝の念を唱えて踵を返した。
程なくして綾乃が住むマンションに到着。
インターホンを押すと、「いらっしゃーい」と扉が開いた。ジーパンに無地のシャツとラフな格好、髪をシュシュで縛っており清涼感に溢れている。
「…………え?」
ガコンと飛鳥の全身の筋肉が強張り、両の瞳は困惑でいっぱいになった。
まじまじと綾乃を舐めるように見回し、「は?」「え?」と何度も疑問符を零す。そして、ぐわっと勢いよく京介に顔を向ける。
「しゃ、写真のまんまじゃん!」
「……そりゃそうだろ」
どうやら飛鳥は、あの自撮りは加工アプリか何かを通して作成したものだと思っていたらしい。
驚く気持ちも理解できる。プロが相当な設備で撮ったものならともかく、スマホレベルの写真なら実物の方が数倍綺麗だ。
何より、デカい。色々と。主に身長が。
男性でもここまでの長身は珍しい。美貌に見惚れて、存在感に圧倒される。
「とりあえず、あがる?」
玄関先で騒がれても困るからとリビングに通された。
京介は綾乃に野菜を渡して、興味深そうな顔で部屋をうろつく飛鳥を注視しつつソファに着いた。キッチンから戻って来た綾乃は、いつものようにカーペットに腰を下ろす。それを見て空気を読んだのか、飛鳥はテーブルを挟んで綾乃の向かい側に座った。
(……なんだこの空間……)
飛鳥は「ほぇー」と間抜けな声を漏らしながら綾乃を観察し、綾乃は困ったように微笑みながらチラチラと京介に助けを求め、京介は落ち着かず二人へ交互に視線を配った。
「あ、あのっ」
この沈黙にピリオドを打ったのは飛鳥だった。
「藤村飛鳥っていいます! 兄がいつも、お世話になってます!」
「あ、えっ。佐々川綾乃です。私の方がお世話になってるっていうか、あのっ」
両者共にテーブルに手をつき、ペコペコを頭を下げている。
その様を上から見ながら、三者面談のようだなと京介は気まずさで吐きそうだった。
「聞いてもいいですか!」
「う、うん」
「うちの兄とどういう関係ですか! 好きなんですか!?」
不意に投下された爆弾に、京介は大きく咳込んだ。
首でも絞めてやろうかと腰を上げかけて、喧嘩では勝てないことを思い出し座り直す。
二人を会わせるべきではなかった。もうどうにもならない。
「す、好きって。私、藤村とはそういう関係じゃ……」
「わかってますけど、でもでもっ、家に呼ぶってかなり好感度高くないと無理ですよね? しかも見た感じ一人暮らしで、常にご両親もいないみたいですし!」
「友達としては、好き、だよ。友達としてはねっ」
「ていうか、何で兄のこと苗字で呼ぶんですか? あたしのこと、飛鳥ちゃんって呼んでましたよね。あたしは下の名前で、友達として好きな兄のことは苗字っておかしくないですか?」
それは単純に、男子は苗字、女子は下の名前と、綾乃の中で区分けしているからだろう。別に変なことでも、珍しいことでもない。
だが、その問いかけは思いのほか綾乃を混乱させており、視線を飛鳥には合わせずひたすら狼狽えている。
「……おい、飛鳥。お前、何しに来たんだよ。騒ぐなら帰れ」
「だってさ、超美人じゃん! あたし、こんなお姉ちゃん欲しかったし! しかも料理だってできるんでしょ!? もう完璧だし、言うことないよ!!」
「お前のわがままで何でも通るわけじゃないんだよ。佐々川さんが困ってるだろ」
「ええー? でも京にぃだって、佐々川さんと付き合えるなら付き合いたいでしょ? あたしはさ、じれじれ甘々なぬるま湯に浸ってる二人の背中を押して熱湯に突き落としたいわけよ」
「マジで黙ってくれ」
テンションのブレーキが効かず暴走機関車と化している飛鳥に、京介は額に手をやって息をついた。
喋り好きでお節介焼きな飛鳥を連れてくれば、多少煩くはなるだろうなと予想はしていたが、悪い意味であてが外れた。連れて来たことを猛烈に後悔しながら、申し訳ないと綾乃を見やる。
「あっ。連絡先交換しましょうよ!」
「え。わ、私と?」
「佐々川さん、聞かなくていいから。こいつの話は」
「教えてくれたら、京にぃの恥ずかしい話とか昔の写真とか、いくらでも横流ししますよ」
「……さ、佐々川さん?」
すっと、無言でスマホを取り出す綾乃。
京介に止めるすべなどなく、おろおろとしている間に、二人に繋がりができてしまった。
「じゃ、あたし帰ります! あとは若い二人でごゆっくり!」
用は済んだとばかりに勢いよく立ち上がり、ワハハハと古臭いヒーローのように高笑いしながら去って行った。
滞在時間は十分程度。しかし、その疲労度は凄まじいものだった。
歴史的な規模の台風が過ぎ去ったあとのような、疲弊と虚しさが静寂を支配していた。勉強をしよう、という空気になるはずもなく、二人は削がれた体力を回復する。
「本当、ごめん。あんな騒がしいと思わなくて」
「ううん。別にいいよ。賑やかなのは好きだし、飛鳥ちゃん可愛いし」
気を使って捻り出した苦し紛れの台詞には聞こえないが、苦労をかけたことに違いはない。
もう二度と連れて来ないことはもちろん、今後ああいった言動をしないよう厳重に注意しなければ。言って聞くような人間ではないが、それでも今回は負けられない。
「顔以外は全然似てないね。本当に兄妹?」
「よく言われる」
祖母曰く、母親の腹の中に活発さを全て置いて生まれたのが京介で、それらを残らず回収して生まれたのが飛鳥だと。
昔の人特有の眉唾な話だが、京介はあながち間違っていないのではないかと密かに思っている。飛鳥のようなタイプは、京介の知る限り親族に一人もいない。
「好かれてるんだね、藤村は。いいお兄ちゃんなんだ」
「面白がってるだけだ。僕が柄にもないことしてるから」
「お兄ちゃん取られてやきもち焼いてるんだよ」
「そんな可愛い奴じゃない」
幼稚園、小学校低学年の頃は、まだ兄として扱われていた。うろちょろと後ろをついて来て、ちょっとしたことで泣いて、無闇やたらに頼って来て。
視線の高さが似通って来た頃から、兄妹関係は瓦解した。今や兄はただの肩書きで、友達のような扱いを受けている。
「名前のこと、何だけど……」
伏せていた上半身を起こし、垂れた横髪を耳の後ろにかけた。
こちらに向けられた視線はいつもより艶っぽく、心臓の高鳴りを感じる。
「べ、別に、藤村のこと嫌いだから、苗字で呼んでるとかじゃなくって」
「わかってるよ」
「いきなり下の名前で呼んだら、変な感じになっちゃうし。藤村も私のこと、苗字で呼ぶから」
その声にどこか拗ねたような意図を汲み取り、途端に京介は居心地が悪くなった。
四つん這いで一歩、二歩と距離を詰め、ソファに両腕を置く。期待のこもった悪戯っ子を連想させる笑みで、しっとりとこちらを見据える。
「だから、藤村が下の名前で呼んでくれるようになったら、私もそうするね」
本音を隠そうとしない、その一言に。
責務を課せられたような気がして、京介はまいったなと頬を掻いた。
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