第23話 〇〇させる権利
主菜はサーモンの塩焼き。
副菜にはトマトとしめじのマリネ、カボチャの煮物、卵焼き。
玄米。味噌汁。
テレビが夕方のニュースからバラエティ番組に変わる頃、テーブルに料理が並び始めた。
色とりどりの夕食に、京介はただただ圧倒される。
「二人分の用意がなくって、作り置きのチンしたのばっかだけどごめんね。次があったら、ちゃんと買っておくから」
「ここまで出して貰っといて文句言ったらバチが当たるだろ」
むしろ、突然の来訪でここまで対応できる人間の方が稀だ。
食器類は綾乃の趣味なのか可愛らしく、盛り付けも丁寧で余念がない。お世辞でも何でもなく、店で出てきても違和感がないレベルだ。
「すごいなこれ……。もう見て美味しいってわかるし」
「な、何それ。食べてから言ってよ、もう」
羞恥心で彩りながら頬を赤らめ、畳んだエプロンをソファに置きカーペットに腰を下ろす。「こっち」と綾乃は自分の隣を軽く叩くので、指示に従ってソファを滑るように降り胡坐を掻いた。
決して広くはないテーブルに二人分の料理を広げ、お互いの肩が擦れ合う距離間で箸を取る。お金のないカップルが同棲を始めたらこんな感じなのだろうか、と頭の悪い妄想が過ぎった。
「冷めないうちに食べちゃお。早く勉強したいし」
いただきますと手を合わせ、綾乃の箸は真っ先にカボチャへ伸びる。
それを横目に、京介は卵焼きを一切れ取った。
近くで見ると、刻みネギとシラスが入っていた。噛めばじゅわりとダシが滲み、二つのアクセントの香りが鼻から抜ける。
シラスが入っている分、しょっぱい系の卵焼きに仕上がっていた。
家では砂糖を使った甘い卵焼きが出てくるため、とても新鮮だ。塩は入れていないのか、ダシとシラスでいい塩梅。美味しいか美味しくないかで言えば、凄まじく美味しい。
味噌汁も家で出るようなダシ入りの味噌ではなく、しっかりとカツオを煮だして作ったものに味噌を溶かしたもの……だと思う。確証を持てないのは、それほど肥えた舌がないから。
しかし、とにかく美味しいことはわかった。それが女子の手料理というエッセンスのおかげではなく、彼女の正当な実力であることは確かだ。
「えっ。美味しくない?」
「何で?」
「ゆっくり食べてるから、不安になって……」
「美味し過ぎるからビックリして。ちょっとこれは、やばい」
京介は食に関心があるタイプではない。
家族で外食に行くのはお決まりのチェーン店だし、家でも華やかな食事は並ばない。それが普通で不満もなく、むしろわざわざ長蛇の列に並んだり遠出することが馬鹿らしいと思っていた。
しかし、それは単純に、列に並び遠くへ足を伸ばす価値があるものを知らなかっただけなのだなと、京介は今理解した。この食事にありつけるなら、一時間でも二時間でも安いものだ。
「そ、そうかな……」
京介の真剣な声音にお世辞ではないと察したらしく、少しだけ身を縮めてこそばゆそうに微笑む。
心底嬉しそうな、見た目とは真反対の無垢で幼い黄色の感情が横顔から漏れ出ており、京介は心臓が高鳴るのを感じた。
「早く、食べないとな。勉強あるし」
「あ、うん」
もう少し味わっておけば、と後悔することは目に見えていたが無心でご飯を掻き込む。後ろからついて来る羞恥を置き去りにするように。
◆◇◆◇
食後に緑茶を淹れ一息つく。
基本的に満腹になるまで食べないが、今日は不思議とお腹がいっぱいだ。
横目に京介を一瞥して、ずずっと湯飲みに口をつけた。いつもより熱い息を吐きながら、「ふふっ」とバレないよう笑う。充実感と安堵感が、唇の隙間から溢れ出す。
「あー。……さ、佐々川さん、これ」
ガサゴソとカバンを漁ったかと思うと、小さな紙袋を渡してきた。
それは、よく知るチョコレート専門店の紙袋だ。
「誕生日、だから。えーっと……」
普段からどもることはよくあるが、今はより一層口が動いていない。こういうことに慣れていないのだろう。なのにこうして渡してくれたことに、どうしたって口元を綻ぶ。
「ありがと。沙夜ちゃんに聞いたんだよね」
「あ。う、うん」
彼には申し訳ないが、これは最初からわかっていた。その分、驚くことができない。
ここからだ。ここからは知らない。
沙夜が口にした、すごい、という言葉。あれをそのまま呑み込むとすれば、更に何か用意しているのだろう。
……。
…………。
………………いや、本当にそうなのか。
自分が勝手にそう思い込んでいるだけで、これが京介の用意した「すごい」である可能性は捨て切れない。チョコレートにしては高価だし、彼のお財布事情を考慮すれば容易い買い物ではない。わざわざ休日を使って、同じクラスの人に頼ってまで用意したのだから、すごくないわけがない。
と、すれば……。
冷たい汗が額に滲む。
自分は今、凄まじく失礼なリアクションを取っているのではないか。
ワー、とか。キャー、とか。お礼だけ述べて一つも喜びを表に出していない。
「……佐々川さん、大丈夫か? 何か顔色悪いけど」
「へっ? あぁ。うん、ダイジョブ、ダイジョブ。は、ははっ……」
お腹が痛くなってきた。
絶対に嫌な女だと思われた。金銭感覚がバグった奴だと呆れられた。
……いや、彼の性格を考えれば誰かを悪く言わないだろう。その代わり、自分を卑下する。酷く落ち込んでいるに決まっている。
より一層、お腹が痛い。
穴があったら飛び込んでそのまま土に還りたい気分だ。
「あと、もう一個、あるんだけどっ」
厚く覆った鈍色の雲から光が差す。
綾乃は沈み切ったテンションを掴み上げ、精一杯の平静を装って息を呑む。
「すごいプレゼントっていうの……結構悩んで、僕じゃお金かけたりとか無理だし、だから――」
白くきめ細やかな肌に紅色を放し飼いし、漆黒の双眼は一言発するたびぱちりと瞬く。泣き出す一歩手前ような、ほんのわずかな衝撃ではち切れそうな顔で、懸命にこちらの瞳を捉える。
「僕を女装させる権利……っていうのは、どうかな」
思い焦がれた先輩に愛の告白でもするようないじらしい表情から出た情報に、綾乃の脳みそは一瞬機能を停止した。
女装……女装と言ったのか、今。
確かに以前、京介に女の子の恰好をさせたいと迫った。絶対に似合うと。
似合うと思ったのは本当のことだが、させたいというのは半分冗談だ。
そういう趣味がないのに女装をするのはハードルが高いし、京介には微塵の利益もない。ただ恥ずかしいだけ。彼に嫌なことを無理強いしたくない。
(……これ、喜べばいいの?)
間違いなくすごいプレゼントであり、おそらく生涯この贈り物を忘れることはないだろう。
しかし、どういう反応が正しいのかわからない。
大手を振ってワーイと叫ぶのは簡単だが、変態女だと思われないだろうか。
ダメだよ受け取れないと諭すことも出来るが、それでは彼のプライドの頸動脈を切断することになってしまう。
前も地獄、後ろも地獄。このまま無反応で立ち尽くしていてもいずれ地獄。
時間にしてものの数秒。その間に脳内で苛烈な議論を戦わせ、ついに綾乃は覚悟を決めた。
「藤村っ」
彼の両肩に手を置く。
「誰にも負けないくらい、可愛くするから。絶対に、可愛くするから!」
どこへも行けないのなら、とりあえず前に足を出す。
そして心に誓う。中途半端な可愛さで微妙な恥をかかせるのではなく、自分に自信を持つほど可愛くしようと。それによって、彼の性癖が捻じ曲がっても。
そのためには、メイクの勉強を徹底的にしなければ。
綾乃の魂は、燃えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます