第16話 ジェームズ・ボンド

 その後は沙夜をツアーガイドとして、あちこちの店を周り綾乃の好きなものを教わった。道中お目当てのチョコレートも購入し、残すところは沙夜の贈り物だけとなる。


「詞島さんは何をプレゼントするんだ?」

「コスメグッズですね。リップにする予定です」

「コスメって、化粧品のことだよな。東條がプレゼントに化粧品はやめとけって言ってたけど」

「琥太郎くんはロクに調べもせず、肌に合わないファンデーションを買ってきましたから。ベースメイクは慎重に選ぶものですよ。まあ、気持ちは嬉しかったですけど」


 嘆息気味に言って、「その点わたしは、綾乃ちゃんが普段何を使っているか全て把握しています」と続けた。淡々とした口調の中に、ふふんと胸を張る彼女の幻影を垣間見る。

 中学の頃、クラスにたまに話す仲の男子がいた。自分と同じく静かな男だが、彼はあるアニメに相当入れ揚げており、その話題になるとダムが決壊したように情報の濁流を起こす。沙夜はもろにそういうタイプである。


「僕はここで待ってるよ」


 化粧品コーナーは、まさしく女性といった匂いが爆発しており得意ではない。また、女性の比率も他の売り場の比ではなく、陰キャには辛い空間だ。

 何より、この空間を男女で歩いていれば、無条件にカップルかそれに類する何かに見られるような気がした。それは沙夜にも琥太郎にも申し訳ない。


「何を言ってるんですか。藤村さんも来るんですよ」

「え、いやでもっ」


 沙夜の猛進に反論を挟む余地はなく、京介は服の袖を掴まれされるがままに足を動かした。

 最初に綾乃が好むものを聞いたのは自分だ。向こうからすれば、ここだけ同行拒否することに違和感を覚えているのだろう。


 慣れない空気に息苦しさを感じる。

 周囲から奇異の目を向けられるのも嫌なため、何でもないように商品を見回した。

 煌びやかな化粧品の数々。これらを綾乃が普段から使用しているのかと思うと、なぜだか彼女が凄まじく大人なように気がした。


「結構値の張るものなんだな、こういうのって」


 しみじみと呟くと、沙夜は「ピンキリですけどね」と言いながら会計を進めていた。値段は三〇〇〇円と、おそらく高額な部類だろう。

 他人のプレゼントとはいえ、こうも高い化粧品を涼しい顔で購入し何でもないように売り場を闊歩する彼女もまた、京介の中坊が抜けきれない瞳には大人に映った。



 ◆◇◆◇



 サングラスを装着し、ターゲットの二人と一定の距離を取り、その動向をうかがう。気分はジェームズ・ボンドかジェイソン・ボーンだが、やっていることは同級生のストーキングなのだから程度の低さに自嘲してしまう。


 バカバカしいとわかっていても、綾乃の歩みは止まらなかった。

 あの女の子が何者で、京介とどういう関係なのか。本当に彼女なのか。自分には何の関係もないことだが、気になってしまった以上は動かざるを得ない。


 現状、あちこちの店を巡っているだけ。会話が弾んでいるようにも見えない。京介は相変わらずの自信なさげな表情で、女の子の方は真剣さを表情筋に強制している。


(……初々しい、ってこと?)


 お世辞にも楽しそうとは言えないが、しかしお互いにまだ慣れていないだけなら納得もいく。

 京介は控え目な性格だ。相手方もはっちゃけたタイプには見えない。付き合ったはいいがカップルがどういうものかわからず、何となくギクシャクする――そんなシチュエーションの少女漫画を読んだなと、綾乃は苦い表情を浮かべる。


(え? チョコ買うの?)


 ささっと柱の陰に隠れ、視線だけを二人に配った。

 あの店は、綾乃自身もたまに利用するチョコレート専門店だった。お菓子の中で、チョコレートが一番好きだ。特にここのは、味はもちろん見た目も可愛くて気に入っている。


「これがいいです」

「わかった」


 少女が指差したものに対し、京介は一切の迷いなく財布の紐を解いた。

 これはまったく疑いの余地なく、京介があの子にプレゼントするということだろう。しかもあのスムーズな流れ、京介も慣れていると見るべきだ。


(二人は付き合って長いってことか……!!)


 ともすれば説明がつく。

 あの会話の弾まなさっぷりは、無駄な言葉などいらないということだ。直接的なコミュニケーションだけが心の交流ではないだろう。熟年夫婦の阿吽の呼吸のような、二人だけの世界観がそこにあるに違いない。


(い、いや、考え過ぎ。考え過ぎだって)


 肩をすくめて、ふふっと乾いた笑いを漏らした。

 まず前提条件がおかしいのだ。決してバカにしているわけではないが、京介に彼女がいるとは思えない。彼の性格を考えれば、誰かと交際していながら自分のような異性と二人で遊ぶようなことはしないだろう。……と、思いたい。


 もう一つ、否定材料がある。それは肉体的な接触が一切ないことだ。

 肩が触れる。手を繋ぐ。腕を組む。カップルならあっても不思議ではないことが、二人の間には一切ない。綾乃の恋愛経験貧弱な少女漫画脳が、これは付き合っていませんと計算結果を弾き出す。


「何を言ってるんですか。藤村さんも来るんですよ」

「え、いやでもっ」


 と、少女は京介と共に化粧品コーナーへ歩いて行った。

 角度の問題だろうか。二人が手を繋いでいるように見えるのは。

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