第15話 彼女だ!!


「ふぅー……」


 仕事を終えて帰宅し、ばたんとソファに身体を預けた。

 時刻は午後十時。このまま夜更かしとしゃれ込みたいが、明日も早くから仕事が待っている。最近はネット番組への出演やドラマの端役なども入っており、今週は特に忙しい。


(仕事、ちょっと減らして貰おっかな)


 ありがたいことではあるが、これで留年でもしたら大変だ。

 高校最初の中間テストまで、もう一か月もない。勉強にあてる時間も確保しなければ。あまり頭もよくないのだから。


(……藤村、まだ起きてるよね)


 ソファから放り出した右腕で、床に置いたポシェットの中からスマホを探り当てた。メッセージアプリを開き、【仕事疲れた!】と送る。ぐったりと横たわる犬のスタンプを添えて。

 ふぅ、と息をついて身体を起こした。

 化粧を落として、部屋着に着替えて、食事をしないと。まだゆっくりとするには早い。


【お疲れ様】


 通知音が鳴りテーブルに置いたスマホに目を移すと、京介からの返信が来ていた。

 もう来た、と口元が緩む。スマホを取って、ソファに座り直した。今日あったことを、ちょっとした愚痴、明日の仕事について。他愛もないことを話していると、気が付けば三十分近く経っていた。


【次の日曜日だけど、どっか遊びに行かない?】


 買い物。テーマパーク。動物園に水族館。映画館にだって。彼と行きたい場所はいくらでも思いつく。

 しかし、返って来たのは申し訳なさそうに項垂れる猫のスタンプだった。


【ごめん。その日はちょっと用事があって】

【そうなんだ。じゃあまた今度誘うね】


 残念だが仕方ない。彼がいつでも暇をしているとは限らないのだから。

 そうだ、と綾乃は腰を上げた。日曜日は久々に一人でじっくりと買い物でもしよう。服に靴にアクセサリーに、買いたいものは沢山ある。



 ◆◇◆◇



 時刻は午後一時。


 最寄り駅から四駅跨ぎ降り立った街は、日曜日ということも相まって非常に騒がしく人が横行していた。沙夜との待ち合わせ場所は、このあたりで一番大きな百貨店の入口付近。もう既に人酔いしそうだが、何とか堪えて雑踏の中をゆく。


【着きましたか?】


 ブーッとポケットにしまっていたスマホが震え、見ると沙夜から通知が来ていた。


 当日合流するのに手間だろうと彼女に言われ、またしても友達リストに名前が追加された。

 一人目も二人目も女子だとは思わなかったが、今日という日が終われば、ただそこにあるだけの連絡先になることは目に見えている。綾乃のように雑談を振ってくることはないだろう。


【着いたけど、今どこ?】


 入口といっても、この規模の施設になると十か所以上ある。


 沙夜の誘導に従い進むと、彼女は日の当たらない建物の陰に縮こまるようにして立っていた。

 薄ピンクのキャスケットをかぶり、上にはオーバーサイズの白いパーカー。紺色のミニスカートから華奢な脚が伸び、視線は黒のスニーカーに行きつく。沙夜の控え目さをそのまま形にしたような、淡く可愛らしい服装だ。


 「ども」とお互いに会釈。

 次いで京介は、きょろきょろと周囲を見回した。どうにも彼の姿が見当たらない。


「どうしました?」

「いや、東條がいないなって……」

「琥太郎くんなら呼んでいませんよ。綾乃ちゃんの誕生日プレゼント選びに、ヤツは不要です」


 沙夜は語気を強めて言って、レンズ越しに覗く瞳をきっと尖らせた。おそらく過去に何かあったのだろう。あの男なら余計なことをやりかねない。


「じゃ、行きましょうか」


 ふっと身を翻し、建物の中へ入って行った。

 琥太郎がいると思っていた分、余計に緊張してしまう。不良のような見た目の男でも、同性がいるのといないのとでは大違いだ。


(詞島さんって、意外と慣れてるんだな)


 琥太郎との付き合いが長いからだろう。先をゆく沙夜の背中からは涼し気すら感じる。

 彼女はこちら側だと思ったのに、とやや失礼なことを思いながら小走りで横に並ぶと、彼女の歩き方が奇妙なことに気がついた。


「詞島さん」

「何ですか?」

「右手と右足、一緒に出てるけど」


 ハッとした顔で体勢を立て直し、頬に朱を差して咳払いをする。


「あ、えっと。琥太郎くん以外の方と出かけるのは久しぶりなのでっ」


 たどたどしく綴った言葉に、よかったと京介は内心微笑む。同類がここにもいた。


「とりあえず、綾乃ちゃんが喜びそうなもの、ですよね! こっちです、こっち!」


 誤魔化すように足を急かす姿は、まさしく小さな愛玩動物だ。琥太郎があそこまで入れ込む理由の中に、こういう部分があることは間違いないだろう。


「まず、綾乃ちゃんの好きなものについてですが、チョコのお菓子、ぶ厚いステーキ、フルーツがたくさんのったパフェ、シンプルなデザインのアクセサリー、落ち着いた色の服、冬、田舎の用水路、映画などがあります」

「な、何だって? 田舎の用水路?」

「過去の雑誌の中で、幼少期田舎に帰省した際は用水路に入って遊ぶことにハマっていたと書かれていました。水が綺麗で、魚なんかも泳いでいたとか」

「……へえ…………」


 綾乃がそういう遊びに興じていたのは別に構わないが、そんなことを細かく記憶している沙夜に引いてしまった。以前、尊いだの何だのと絶叫していたが、最早ファンというより信者だろう。

 いかんいかん、と腹の中の差別意識を殴り飛ばす。今回は、彼女の愛と執着の世話になるのだからバカにはできない。


「結局どれが一番いいんだ?」

「チョコにしましょう。ここには有名なお店があるので、美容にもいいダークチョコレートが最適かと。日持ちもしますし、値段も特別高いものではありませんし。それにチョコは、わたしのようなファンには絶対に渡せないものなので、藤村さんにはぜひわたしの想いと共に渡していただければ」

「そんな重たいこと言わず、普通に自分で渡せよ……」

「無理ですよ。わたしは一度事務所に送って、そこから綾乃ちゃんに転送してもらうので。見ず知らずの人間から貰った食べ物を、藤村さんは口にしますか?」


 ちゃんと考えてくださいと言いたげな鋭い視線を浴びるが、京介は釈然としない表情で首を捻った。


「直接渡さないにしても、下駄箱に入れるとか机の引き出しに入れるとか、方法はいくらでもあるだろ。そこまで律儀に線引きしなきゃならないもんなのか?」

「これは自衛です。境界が曖昧になり綾乃ちゃんとの距離が近くなれば、わたしはきっと尊さに殺されます」


 その真剣な声は、百戦錬磨の戦士の如き凄味を帯びていた。



 ◆◇◆◇



 駅前のお店で適当にお昼を済ませ、どこに入ろうかとぶらぶらしていると、遠目に見知った顔を確認した。あの華奢な背格好は、間違えようがない。

 

 綾乃は浮つきそうな足で、たったっと若干歩幅を広げて彼との距離を詰めた。

 用事というのは、買い物に来ることだったのか。一人のようだし、声をかけても問題ないだろう。彼がいいと言うなら、同行するのも面白い。


「ふじむ――」


 と肩に手を置きかけて、反射的に人ごみにまぎれ息を殺した。

 「ども」と京介が見知らぬ女の子に会釈した。帽子をかぶっているため顔はよく見えないが、小さくて可愛らしい子だ。


「じゃ、行きましょうか」


 そう言って、二人は百貨店に入って行った。

 妹なのでは、という疑問が脳裏を過ぎったが、即座に否定した。身内に対してあのよそよそしさは奇妙に映る。だとすれば――。


 綾乃の灰色の脳細胞は、一つの仮説を導き出した。


(か、彼女だ……!!)

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