第14話 誕生日プレゼント


「ようフジ、隣座るぞ」


 週明けの月曜日。

 食堂で昼食をとっていると、後ろから琥太郎に声をかけられた。「フジって、僕のことか?」と安直なあだ名に眉をひそめて振り向く。


「ど、どうしたんだよそれ」


 琥太郎の有様に目を剥く。

 額にガーゼ、右目に眼帯、頬には大きな絆創膏。更に骨折でもしたのか、左腕をギプスで固定していた。京介の驚きに対し、「たいしたことねえよ」と琥太郎は明るく笑い、右手に持ったお盆をテーブルに置く。


(喧嘩でもしたのか……?)


 頭が金色のやつは大体不良だ。体育館裏で、路上の片隅で、深夜のドンキホーテ前で、拳のやり取りをしている様が思い浮かぶ。京介は彼と肩が触れないよう気を配りながら、「たいしたこと、なくはないだろ」と小さく呟く。


「沙夜にバレたんだよな。綾乃ちゃんとのこと」

「佐々川さんとのこと?」

「連絡先聞いたことだ。綾乃ちゃんに何してくれてるの、って感じで」


 あぁ、と京介は納得した。

 琥太郎としては、サプライズで綾乃との架け橋になりたかった。しかし沙夜からすれば、憧れの人物に迷惑をかけたことになる。怒られて当然ではあるが、しかし彼の満身創痍ぶりを見て、ここまでするかと唇に苦笑いが浮かぶ。


「……詞島さんって、結構怖いんだな。腕まで折るって……」

「いや、こっちは子供庇って車に轢かれた」

「主人公かよ」


 琥太郎は話題を継続させることなく、「いただきます」とカツ丼を食べ始めた。

 身を挺して子供を庇ったとあれば、自分なら生涯自慢し続ける自信がある。だが、彼からすれば特別なイベントではないのかもしれない。


「佐々川さんに謝っておいた。気にしてないってさ」

「そっか。面倒なことさせて悪かったな」

「僕は別にいいけど、やめろよこういうことは。嫌な思いはしてただろうし」

「もう関わらねえよ。次話しかけたりでもしたら、沙夜に何されるかわからねえし。綾乃ちゃんだって、俺に会いたくないだろ」

「……そういう分別は付くのに、何であんなナンパみたいなことしたんだよ。もっとやり方あっただろ」


 素朴な疑問だった。

 沙夜のことが好きなのはわかる。だが、それだけであそこまで盲目的になるものなのか。彼女以外どうでもいいというスタンスならわからなくもないが、聞いている限りそうでもない。


「そりゃそうだけど……。ほら、沙夜って大人しいからさ。クラスのヒエラルキーっつーか、グループが確立してからじゃ絶対に話しかけられないだろ。最初が勝負だぞって入学前に散々言ってたのに、全然そういう話聞かねえからよ」


 「だからちょっと、焦っちまった」と琥太郎は声を落とした。


 実際、もう既にクラスの空気は定まっている。

 綾乃が属する陽キャな上位層、部活や勉強に精を出す中間層、そして京介を含む物静かな連中が中心の下位層。更にそこから、それぞれグループを形成している。


 物理的に壁が存在しているわけではないが、この見えない区分けの板はあまりにも高く、沙夜が躊躇なく越えられるとは思えない。そういうことができるのは、綾乃のような一部の陽キャだけだ。


「……で、何だよ」

「何だよって、何が?」

「僕に用があるんじゃないのか。わざわざ声かけてきてさ」


 琥太郎とはあのファミレスで話した切りで、昼食を一緒にとるような仲ではない。何かしら用があるのだろうなと、声をかけられた段階で察していた。

 しかし予想に反し、返って来たのは「はぁ?」という素っ頓狂な声だった。やや不機嫌そうに歪む眉尻を一瞥して、ビクリと心臓が跳ねる。


「用がなくたって声くらいかけるだろ。友達なんだから」

「……友達だっけ?」

「は?」

「え?」


 気まずい空気が二人の間を占拠した。

 夫婦のようなわかりやすい線引きがない以上、友達のラインが個々人によって異なるのは当たり前のことだ。琥太郎にとっての友達は、一度話したことがある人のことを指すのだろう。


「まあ、いいけど……」


 諦念混じりの息をついて、水に口を付けた。

 友達を作らないよう身を潜めていたが、綾乃に友達認定を受けてしまった以上、もう一人も二人も変わらない。向こうから来る分には気にしないでおこう。


「そりゃ俺だって、いつもみたいに沙夜と食いたいけどよ。この時期のあいつは、ピリピリしてて怖ぇんだよな」

「東條が怒らせたからだろ」

「それもあるが……。ほら、綾乃ちゃんの誕生日が近いから。何を贈るかずっと考えてるんだ」

「誕生日?」

「まだ一週間以上あるってのによ。中二の頃から毎年こうだ……っ」


 どんよりと梅雨の空のような顔色で、モソモソとカツを咀嚼する。


「でもまあ、こればっかりは仕方ねえよな」


 そう言って笑う琥太郎の表情には、哀愁じみたものがあった。

 自分とのコミュニケーションそっちのけで何かに入れ揚げる身内がいたら、京介も同じような顔をするかもしれない。否定はしないし、むしろその趣味を肯定しているが、本気で応援はできない。そういう複雑な気持ちが見て取れる。


「フジも何か贈るんだろ。もう決めたのか」

「…………え?」

「いや、え? じゃなくって」


 「誤魔化すなよ」と折れた方の腕の肘で小突く琥太郎。その笑みは、やたらと彼女ができたらどうか聞いてくる親戚のオジさんを思い起こさせた。

 友達に誕生日プレゼントを贈ったことはあるが、それは少なくとも一年以上付き合いのある人に対してで、綾乃との交流期間はまだひと月もない。だが、こうして知ってしまった以上、無視するのは気が引ける。


「……佐々川さんって、何貰ったら喜ぶかな」

「女子は難しいぞ。化粧品は合わなかったら肌が荒れたりするし、入浴剤は匂いがダメだったりするし、アクセサリーは重いとか思われるし。ブランドモノだからって無条件で嬉しいわけでもないし、キャラクターものは事前リサーチが欠かせないし、時計とかの小物類は貰った方のファッションに似合わなきゃ意味ないしな」

「おぉ……流石詳しいな」

「そりゃあ、俺がどれだけ沙夜相手に失敗してると思ってんだ」


 へへっと得意げに鼻を鳴らす横顔からは、これまでの苦労の数々が見て取れた。


「ま、沙夜に聞けよ。それが一番早い」

「本人に聞いちゃダメなのか?」

「バカだなフジは。こういうのは、サプライズが定番だろ」

「そういうもんか」

「でも、間違っても相手の部屋を花で埋めるたりするなよ。度が過ぎるプレゼントは予告がないと迷惑がられるし、現に俺はボコボコにされた」

「……イタリア男かよお前は」


 沙夜も苦労しているな、と京介は苦笑を漏らす。

 ともあれ、サプライズはいい手かもしれない。本人に欲しいものを聞いて、それが入手困難なものだった場合どうしようもない。自分の頭で考えた結果ならば、珍妙なものを贈らない限り、向こうも嫌な顔をしないだろう。


(それに、好きそうだしな。サプライズとか、そういうの)


 偏見かもしれない。思い違いかもしれない。

 だが、どうしたって喜ぶ彼女の顔が目に浮かぶ。






「え。誕生日プレゼント、ですか?」


 その日の放課後。

 沙夜とは一度話した仲だったからよかったものの、一切の面識がなければ声はかけられなかっただろう。京介は手に緊張の汗が握り締めて、「東條から、詞島さんに聞けって」とやや挙動不審に漏らす。


「なるほど……」


 小さく零して、くいっと眼鏡のブリッジを指で上げた。

 ピリピリしているかどうかは判別がつかないが、いつもより目つきが悪いような気がした。普段がチワワだとすれば、今は獰猛なチワワ。栗色の瞳の奥に、唸りを上げる小動物を飼っている。


「いいですよ。次の日曜日は空いていますか?」

「え、あっ。たぶん、空いてるけど」

「一緒に買いに行きましょう。藤村さんには、聞きたいこともあるので」


 彼女の双眼が、ギラリと煌めいたような気がした。

 おそらく、というか確実に、聞きたいこととは綾乃についてだろう。


 京介は頭に鈍痛を覚えながらも、「お願いします」と頭を下げた。

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