第13話 【既読】
京介が帰宅して数時間が経った。
食事を終え、テレビを観て、お風呂に入って。就寝前のストレッチも済ませてベッドに寝転がるも、未だスマホに彼からの連絡はない。
(いや、別にいいんだけどね。待ってるとかじゃないし)
京介との空っぽのトーク画面を見つめまま、綾乃はごろんと寝返りを打った。
今後遊びに行く際、連絡の手段がないと不便だと思いメッセージアプリのIDを交換した。
アプリの使用方法は様々だ。事務的なやり取りしかしない人もいるだろう。
綾乃個人としては、スタンプを送り合ったり、世間話をするのが好きなのだが、それはあくまでもこちらの事情。余計な連絡を飛ばして、彼に嫌な思いをさせたくない。
「……」
だが、交換したその日に一切のやり取りがないのもいかがなものだろう。
スタンプでも送ってみようか、と画面をタッチする。時刻は22時過ぎ、おやすみと挨拶しても不自然ではない。
いや、でも……。
綾乃は仰向けになって、スマホをお腹の上に置いた。
(よし、何か面白いこと言うぞっ)
神妙な面持ちでふぅむと唸り、眉をひそめて思惑を巡らせた。
ここで一発ブチかませば、彼からの印象値が少しは上がるはず。面白くない女より、面白い女の方がいいような気がする。
問題なのは、自分に芸人的才能がないことだ。
笑ってしまった日常の一コマを切り取って共有することはあっても、わざわざ面白いことを言おうとアプリを開くことはない。
どうしたものか。
ネットの検索エンジンで面白い話を調べた。出てくる話はどれも上等なのだが、こういったジョークの類を送りたいわけではない。
どちらかと言うとシュール系。一言で面白い何か。
しかしそうも都合のいい話はなく、あれでもないこれでもないと探しているうちに、時計の短針が11に触れた。流石にこの時間帯では京介も寝ているだろう。
「…………はぁ」
スマホを枕元に置いて息を漏らす。
何をしているのだろう。一人で勝手に盛り上がって。思い返してみると、今日はずっと変だ。
『彼氏なんかいないよっ。いたことないし!』
これも。
『藤村ばっかされる側でずるいから、私も撫でてって言ってるの!』
これも。
『それを初めてしてくれた人のことを、特別に想っちゃダメなの?』
これだって。
普段よりも感情の起伏が激しい。どれも普段なら絶対に言わないし、口に出すにしても言葉や言い方を選ぶ。だけど、彼と一緒だと妙に昂ってしまう。
「うぅー……っ」
羞恥心に頬を焦がしながら、ごろごろとベッドの上を転がった。
明日からしばらくの間、仕事がみっちりと入っておりほとんど学校へ行けない。下手すれば、彼と次に会話をするのは随分と先になる。
やっぱり何か送ろう、と再びスマホを取った。
瞬間、通知音が鳴りビクッと驚く。見ると、それは京介からだった。
【夜分遅くに失礼します】
ぷふっと、軽く吹き出した。
なぜそれなのか、どういうテンションなのか。
【仕事のメールみたい】
【女子にメッセージ送るの初めてで作法がわからなかった】
作法、という言葉にまたしても吹き出した。更に【調べてもよくわからなくて】という追い打ちに、ついに綾乃は声を出して笑った。
何だか安心した。向こうも同じような心境だったらしい。
【普通でいいよ】
という言葉を、「安心しな」とくつろぐ犬のスタンプと共に送った。間髪入れず、「了解」と黒猫のスタンプが返ってくる。どことなく京介に似たその黒猫に口元が緩む。
【ごめん。今日伝え忘れたことがあって】
【なに?】
【前に佐々川さんに絡んでた、あの金髪のことなんだけど】
あの手の手合いは、特別珍しいものではない。
普段はイチイチ記憶に留めないようにしているのだが、あの男に関しては覚えていた。京介がズボンを下げ助けてくれたのだから、あの花柄のパンツも含めて忘れようがない。
【妹がどうこうってのは、本当だったらしい】
【え?】
あの金髪、東條琥太郎という男子と話したこと。彼が自分の幼馴染みを妹扱いしており、その子のために連絡先を入手したかったこと。京介は一つずつ、順を追って説明していった。
【東條から、代わりに謝っといてくれって頼まれてたの忘れてて。悪かったってさ】
【あーそっか。別に気にしてないんだけどね】
嫌だったし鬱陶しくはあったが、悪感情を溜め込んでおけるほど器用な性格はしていない。何より、京介との接点になったのだから収支的にはプラスだ。
◆◇◆◇
京介はベッドに座り、ポチポチと画面をタッチしていた。綾乃に返事を送って、ふぅと息を漏らす。
高校に入って買ってもらったスマホ。
家族との連絡用に入れたメッセージアプリだが、まさか同級生の連絡先を登録することになるとは思わなかった。しかも相手は女子、直に話すよりも幾分かはマシだがやはり緊張してしまう。
(こんな簡単なことなら、さっさと伝えとけよ……)
と、自分に唾を吐く。
帰宅早々、伝えるべきことを伝えていなかったと思い出したが、つい先ほどまで連絡できずにいた。迷惑なのでは、とか、どういう切り出し方をすればいいのだろう、とか、今思えばつまらない妄想がぐるぐる回って硬直していた。
綾乃が迷惑そうにしていないのが唯一の救いだ。ひとまず、これで気持ちよく寝られる。
【今日は楽しかった!】
スマホを置きかけて、ピロンと通知音が鳴った。
表示されていた文字に、頬に血が通うのを感じた。一緒に送られてきた笑顔の犬のスタンプは、にんまりと笑う綾乃をほうふつとさせる。
【僕も】
もう少し何か言うべきだろうか。頭を働かせるが、これといって気の利いた台詞は出てこない。
首を捻っていると、「おやすみなさい」と眠る犬のスタンプが送られてきた。家族以外に寝る前の挨拶をされたのは久しぶりな気がする。
【おやすみ】
そのメッセージに付いた既読の二文字が、なぜだか妙に愛おしかった。
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