第17話 大事にしたい
「この前は、ありがとうございました」
少し休憩しようと沙夜の提案で入ったカフェ。テーブル席に案内され飲み物を注文し、お冷を飲みながら沈黙を誤魔化していると、彼女は唐突に口を開いた。
「この前って、詞島さんには何にもしてないと思うけど」
「綾乃ちゃんのことですよ。あの二人について、彼女には言ってないんですよね」
「まあ、そりゃあ……」
お礼を言われても困る。あの件に関して、京介は何も言えないし何もしていないのだから。
「正直驚いたよ。ああいうことするタイプに見えなかったから」
「別にわたし、悪口とか陰口が許せないわけじゃないんですよ。そういうの、仕方ない部分があるじゃないですか。誰のことも悪く言わない人なんて、いないと思いますし」
注文していたものが届いた。沙夜はミルクティーで唇を湿らせて、視線を落としたまま続く言葉を紡ぐ。
「でも、あんな風に近づいておいて陰で叩くのは、ちょっと我慢できなかったです。独善的ですし、身勝手だと思いますけど、あの二人が綾乃ちゃんから離れたみたいで安心しました」
迷いも淀みもなく、沙夜は堂々と言い切った。
沙夜は綾乃のファンだからあのような行動に出たのだと思っていたが、こうして実際に訳を聞くにそうではないような気がした。琥太郎やその他の友達が同じ立場でも、彼女は臆さず立ち上がっただろう。
「……僕は、立派だったと思うよ。あんなこと、僕にはできないし」
「立派かどうかはともかく、藤村さんもわたしにはできないことをしているのでお互い様だと思います」
「いや、そんなとこで謙遜されても」
「藤村さんは、綾乃ちゃんとまったく共通点がなさそうなのに仲良くしていますから。それは単純に、他の人にない魅力があるからだと思います」
考え過ぎだとは思ったが、口には出さなかった。自分を卑下すると、また綾乃に怒られるような気がしたから。
そういうことにしておこう。事実がどうあれ、沙夜から悪感情を抱かれていないのなら、わざわざ口を出す必要はない。
「それで、藤村さんに聞きたいことがあるのですけど」
ついに来た、と京介は身構えた。
今日という日は、この『聞きたいこと』と引き換えに設定されたもの。十中八九綾乃についてだとは思うが、答えにくいものでないことを切実に願う。
と、その時――。
沙夜のすぐ後ろ、自分たちに背を向ける形で、サングラスの女性が席に着いた。
亜麻色のノースリーブの上から白のシアーシャツを羽織り、赤銅のワイドパンツは足の長さを強調する。出るところは出て、締まるところは締まり、誰もが目を引く美貌を振り撒く。
(な、何で佐々川さんがここに……!)
沙夜の視界には入っておらず気づいていない様子だが、少しでも振り向けば勘づくだろう。後ろ姿だけでも、サングラスをかけていても、彼女のアイデンティティは隠しようがない。
「最初に断っておきますが、変な意図はないです。ただの興味関心というか、まあ女子トークに付き合うくらいの感覚でいてください」
「は、はあ……」
綾乃の後頭部から目が離せない。
まさか気づいていないとは思えない。ここに自分たちがいるとわかった上で、あの席に座ったのだ。なぜ、どうして。疑問符ばかりが頭上を占拠する。
「藤村さんって、綾乃ちゃんのこと好きなんですか?」
◆◇◆◇
カフェに入られてしまい、会話はもちろん衝立のせいで姿も確認できなくなった。
どうするべきか。
このままやめてしまうのが最善だとわかっていても、正しい選択がいつだって納得のいく選択というわけではない。ハッキリさせなければ飲み込めない唾もある。
「よ、よし……っ!」
意を決して店内に足を踏み入れ、どうにか二人の後ろに陣取った。
バレてはいないはず。これで何を話していても筒抜けだ。さぁこいと、綾乃は僅かに口角を上げる。
「藤村さんって、綾乃ちゃんのこと好きなんですか?」
頭が真っ白になる、というのは今この状況を差すのだろう。
空白になった部分はたちまち疑問符で埋まり、凛と引き締めた表情は呆けてゆく。
カップルではなかったのか。なぜ自分のことを知っているのか。もしや修羅場というやつか。綾乃はさっと振り返り、京介を一瞥した。彼もまた、ひどく混乱しているように見える。
「本当に興味本位で聞いてるだけですから。一緒にいるので、気があるのかなって思うじゃないですか。学校では聞きづらいので、こうして回りくどいことしますけど、ただ気になるだけです」
「……あー、えー、好きとか嫌いとかじゃなくって。向こうからの圧がすごいというか、なし崩し的に交流しているというか……」
「じゃあ、嫌々相手をしてるんですか?」
「ち、違っ。だ、だから、えーっと……」
段々といたたまれない気分になってきた。
京介が一人を好むことはわかっていた。そこを無理強いして遊びに誘っていることも理解はしていた。だがこうして実際に聞かされると、お前は自分勝手な奴だぞと言われているようで心が痛い。
「……中学の時に、僕は友達を裏切ったんだ」
消え入るような声で落ちた言葉を、綾乃の鼓膜は確かに拾い上げた。
「元々誰かの話すのとか得意じゃないんだけど。余計に、また裏切るくらいなら、誰とも話さなくていいかなって……」
横目に後ろへ視線を配ると、京介はいつもより小さく縮こまってテーブルを見つめている。
「でも佐々川さんは、こんな僕でも気にかけてくれて、仲良くしたいって言ってくれるし」
京介は、ふっと顔を上げた。
「だから、好きとか嫌いとかじゃなくて、大事にしなくちゃって……思う。今度は、間違えないように」
墨色の瞳は、少女ではなくこちらを捉えていた。
◆◇◆◇
その後、綾乃はコーヒーを一杯飲んで席を立った。
沙夜は終始気づいていなかったが、これで良かったと京介は胸をなで下ろす。顔を合わせていたら、主に沙夜が大変面倒なことになっていたことは想像に難くない。
「じゃあ、わたしはここで」
お互いにコップの中身を空にしたところで解散する運びとなった。もちろん異論はなく、「今日はありがとう」と頭を下げて別々の帰路につく。
時刻は午後四時過ぎ。
帰宅するには若干早いかなと思い、本屋にでも行こうと足先を駅から逸らす。別に買いたい本はないが、時間を潰すにはちょうどいい。
ブブッ――。
ポケットにしまったスマホが震える。見ると、綾乃から通知が来ていた。
【もう帰っちゃった?】
その問いは、あの席にいた人物が綾乃であることを証明していた。
【まだだけど】と返信すると、即座に既読が付き、
【今は一人?】
【うん】
高架橋の上を電車が通過した。
【一緒に帰ってもいいかな】
日曜日に浮つく雑踏の喧騒を後押しするように、車輪の音は夕暮れへと駆けてゆく。
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