第9話 彼の困り顔

「藤村はどういう映画が好き?」


 最新作がずらりと並ぶ棚の前に立ち、綾乃は適当な一本を取ってあらすじに目を通していた。

 その後ろの棚で準新作の邦画を眺める京介は、「何でも観るけど」と返す。基本的に金曜ロードショー以外で映画を観ない京介には、好き嫌いをするほどの経験値が無かった。少女漫画の実写版は何となく忌避しているが、そうでなければ問題はない。


「どうせなら、一人じゃあんま観ないのがいいかな」

「映画に一人も二人もないだろ」

「でも、こういうのって誰かいないと観ようと思わないし」


 言いながら見せてきたDVDのパッケージには、「直近50年のホラー映画の中の最高傑作」「21世紀最高のホラー映画」といった言葉が書かれていた。B級映画特有のバカっぽさはなく、至極真面目なホラー映画だと素人目にも理解できる。


「僕は大丈夫だけど、佐々川さんはいいのか。夜になって思い出しても知らないぞ」

「藤村こそ、トイレとか行けなくなったり、シャンプーするのが怖くなったりするんじゃない?」

「するわけないだろ。子どもじゃあるまいし」

「私だって平気だよ」


 お互いにお互いを小馬鹿にしたような態度により、どちらも代案を出すことなくこのDVDのレンタルが決定した。


「もう一本くらい借りよっか」

「僕のことはいいから好きなの選べよ。観たかった映画とかあるだろ」

「いいの? じゃあ……」


 綾乃が手を伸ばしたのは、いかにもなパッケージの恋愛映画だった。

 

「ちょ、ちょっと待て」


 この手の映画には、濃厚な濡れ場やキスシーンが付きものだ。親とでさえ一緒に観るのを躊躇するのに、同級生とそんな場面に出くわすのは気まずいにも程がある。


「それはダメ。それ以外でっ」

「ええー? 好きなの選べって言ったのに」

「いやでも、わかるだろ? そういうのはさ、絶対気まずくなるって!」

「気まずくなる……?」


 身振り手振り説得するのだが、綾乃は薄口を開けてぽかんとしたままだ。

 十数秒経ってようやっと事情を把握したのか、綾乃はハッと目を見開く。しかしその表情は、次にはニヤニヤと悪い笑みに変貌していた。


「おやおやぁ? おませさんだなぁ藤村は」

「親戚のおばちゃんみたいな言葉使うなよ」


 身を屈めてこちらの顔を覗き込む綾乃。

 京介は頬に朱を差して、彼女の視線から逃れるように顔を背けた。


「佐々川さんは慣れてるからいいだろうけど、僕には縁のないことなんだ。恥ずかしくて何が悪い」

「慣れてるって、何が?」

「だ、だから……彼氏の一人や二人いるだろ。それで、その、キスシーンとか、抵抗がないんじゃないかって……」


 佐々川綾乃は、贔屓目に見なくても他とは一線を画す美少女だ。パーツの一つ一つが、神から愛されているのでは、と思ってしまうほど整っている。これだけ綺麗な女性に、恋人がいない方が不健全だろう。


 ちらりと、明後日の方向へやっていた視線を綾乃に戻した。

 リップグロスを塗った瑞々しい唇が、少しずつ開いてゆく。そのまま目を上に向けると、彼女は今にも破裂しそうなほど赤面していた。


「彼氏なんかいないよっ。いたことないし!」


 半ば怒鳴るように、綾乃は声を張り上げた。その瞳は必死そのもので、嘘だと疑う余地を与えない。

 ふぅ、と綾乃は息を漏らした。まぶたをぱちくりとさせて、「い、いないからね」と落ち着いて繰り返す。


 あまりの迫力に気圧されて黙る他なかった京介は、ようやく止まっていた呼吸を思い出した。冷静さを取り戻した頭は、自分は何か失礼なことを言ったのではないか、と自責の念を生み出す。


「……ごめん、気に障るようなこと言ったみたいで」

「お、怒ってるわけじゃないよ! でも、えっとね」


 視線を泳がせながら、唇をもぞもぞと動かした。何か話しているようだが、あまりにも小さく言葉として受け取れない。

 京介は眉をひそめて、「何だって?」と復唱するよう言う。しかし綾乃は、頬を紅潮させたまま瞳を伏せ何も答える様子がない。


「これ、やっぱりなし」

「え?」

「私、ジブリが観たいな」


 と言いながら恋愛映画を棚に戻し、すたすたと歩いて行った。

 そのやや強引な振る舞いには、これ以上この話題に触れるなという意思が込められており、京介は黙ってその背中を追う。



 ◆◇◆◇



「お、怒ってるわけじゃないよ! でも、えっとね」


 藤村にそういう勘違いをされるのは嫌だから。――と言いかけて、寸でのところでせき止めた。

 昂っていた感情が急激に冷えてゆく。どうしてこうも必死になる必要があるのだろうか。そもそも、何故勘違いをされるのが嫌なのかもよくわからない。


(これだと、藤村に気があるみたいじゃん)


 当然ながら、嫌いではない。高校に入って出来たどの友達よりもいい印象を抱いているため、普通という感情に分類されるかといえばそれも違う。

 綾乃の頭の中を疑問符が駆け巡った。消去法で言うなら残るは一つだけ。

 いやいや、と瞳を伏す。嫌いではないし、普通ではない。たったそれだけの理由で、そういうことになってしまうのか。


「何だって?」


 風邪の時から胸の奥に灯ったままの熱は、今日に至っても温度を変えずそこに鎮座していた。

 京介の声に、火はわずかに揺れ動いて心をチリチリと焦がす。


「これ、やっぱりなし」

「え?」

「私、ジブリが観たいな」


 この話題についてこれ以上言及されないよう、できるだけ速足でアニメの棚へと移った。

 彩り豊かなパッケージが視界を埋める。どれにしようかと迷うよりも先に、未だざわめく熱の所在を治めよう小さく深呼吸した。彼に余計な心配をかけさせないよう、ゆっくりと。


「そういえば、何で映画観ることになったんだ? 出かけるって自分で言ってただろ」


 京介なりの助け舟か、その疑問で幾分か頭の切り替えができた。綾乃は胸に手を当てて息を漏らし、彼の方へと向き直る。


「そのつもりだったけど、どこに連れて行ったら藤村が喜んでくれるのかわからなくってさ」

「だから、家で映画鑑賞か」

「男の人と二人でどっか行くなんて初めてだし。映画だったら嫌がられないかなって。私が映画好きなだけ、かもだけど……」


 あれだけ悩んで、たくさんの案を出して、それでも結局まとまらなかった。そして、待ち合わせ場所までの道中で思いついたのが映画鑑賞だ。

 よくよく考えれば、これも良案とは言えない。画面の前で二時間も三時間も座っているのが苦痛な人だっているだろう。彼がそういう人間だとしてもおかしくないし、それはまったく責められた話ではない。


「ふ、藤村? どうしたの?」


 神妙な面持ちで固まる京介。綾乃は不安そうに眉の角度を落とし、弱々しく機嫌をうかがう。

 数秒置いて、ふっと彼は顔を上げた。文句を言われるのではと、綾乃は若干身構えるも、彼の口は「悪かった」と謝罪の念を紡いだ。


「そもそも僕が誘ったわけだし、佐々川さんに全部任せるのは違うよな。僕、誰かを遊びに誘うってことほとんどしたことなくて。何ていうか、手順がわからなかった」


 気恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、京介はゆっくりと綴った。

 そういう言葉選びをするから、彼はずるい。恩は着せないし、こちらの責任は奪おうとする。こうも優しくされると、甘えたくなってしまう。


「じゃあ、次にどっか行く時は藤村も一緒に予定立てようね」

「次って……え?」

「私、藤村の服買いに行きたい」

「だから、それは行かないって」

「それはってことは、他のとこならいいの?」

「……僕以外と行けよ。友達なら他にいるだろ」

「ふーん。今日の予定、全部私に任せたくせに」

「その言い方は卑怯だろ……」


 大きくため息をこぼして面倒くさそうにしながらも、どこか柔らかで温かい京介の声音。

 こうして次の約束をとりつけたのだから、自分の選択は間違っていなかった。綾乃はそう納得して、愛着が湧きつつある彼の困り顔を眺め、ぽんっとその頭に手を置いた。

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