第7話 デートじゃない

「はははっ! いや悪かった。オレはてっきり、沙夜が絡まれてるもんだと思ってよ」


 金髪は人懐っこい笑みを浮かべて、フライドポテトが盛られた皿を差し出した。京介はポテトを一本手に取り、もしゃもしゃと咀嚼しながら忌々し気に睨む。

 教室で彼に捕まり、京介は半ば強制的にこのファミレスまで連行された。根掘り葉掘り聞かれ、あらぬ疑いをかけられ、しかしようやっと誤解を解いて今に至る。


「本当にごめんなさい。琥太郎くん、ひとの話聞かないから……」


 彼の隣に座る沙夜は、申し訳なさそうに縮こまっていた。

 東條琥太郎。二つ隣のクラスに所属する同じ一年生で、沙夜とは幼馴染み。妹と呼ぶのは、複雑な家庭環境で苗字違いの兄妹とかではなく、単に昔から妹として扱っているからだという。


「ほら、ちゃんと頭下げて!」

「いたたっ。痛い痛い! わかったって!」


 沙夜に耳を引っ張られ、琥太郎は額をテーブルに押し付けた。

 その様子だけで、二人が共に過ごした時間の長さがわかる。と同時に、妹というより姉だなと、京介はほくそ笑む。


「ここの会計は琥太郎くんが出すので、藤村くん、好きなの頼んでください」

「お、おいっ」

「いいですよね?」

「いや、でも、今ちょっとピンチで……」

「はい?」

「……何でもないです」


 ガクッとうな垂れる琥太郎。京介は沙夜からメニュー表を手渡されるが、はははと誤魔化すように笑いながらテーブルに置いた。

 自分には彼のズボンを下ろした前科がある。忘れているのか、顔を見られていなかったのか、彼はその話題を出そうとしないが、ここで奢られるのは気が引ける。


「なあ藤村」


 悪い奴ではないように見えるが、大柄の金髪に名前を呼ばれると反射的にビクついてしまう。それを悟られないよう、極力落ち着きを払って「なんだよ」とポテトを一本摘まむ。


「こいつ、綾乃ちゃんと仲良くやってるか?」


 瞬間、沙夜は激しくむせた。ゴホッ、ゴホッとジュースの飛沫が混じった咳をする。琥太郎はその背中を撫でつつも、視線は京介に向けたままだった。


「中学の頃から綾乃ちゃんのファンでさ、載ってる雑誌全部買って、切り抜いて保存してるくらいなんだぜ」

「ちょ、ちょっと琥太郎くん!?」

「同じクラスになって熱出すほどはしゃいでたのに、一緒に遊びに行ったとか全然聞かねえんだよ。なあ、ちゃんと仲良くやれてるのか?」


 茶化す気など一切ない真剣な表情の琥太郎と、顔を真っ赤にして彼をぽかぽかと殴る沙夜。凄まじい温度差の二人を見ながら、京介はあの日の会話を思い出す。


『オレの妹がさ、綾乃ちゃんに憧れてるんだよ』


 なるほど、と得心する。

 ナンパではなく、沙夜のために連絡先が欲しかったのだろう。だとしても、迷惑行為が正当化されるわけではないが。


「あ、綾乃ちゃんに話しかけられるわけないでしょ!」


 沙夜の右ストレートが、琥太郎の頬を捉えた。


「可愛くて綺麗で格好良くてっ! 一緒の空間で息してるだけでも幸せなのに、話しかけるなんて神をも恐れぬ蛮行です! 近付いたらいい匂いするし、何かすごいオーラ出てるし! 笑ったらもう直視できないくらい可愛くって、それはもうこの世の宝じゃないかってくらい尊いのに! 尊いのにっ!!」


 分厚いレンズの奥をギラギラとさせながら、沙夜はふんすと鼻息を荒げた。

 この時間帯のファミレスはお喋りに興じる客が多いとはいえ、これだけ大きな声を出せば流石に目立ってしまう。しんと静まり返る店内と自分に刺さる視線に気づいたのか、沙夜はさーっと血の気の引いた顔でトイレへと走って行った。


「……ユニークな妹さんだな」

「普段は真面目でいい子なんだよ……」


 顔には出さないが、京介は驚愕していた。

 一つは、あの大人しそうな沙夜が豹変したことに。もう一つは、綾乃の影響力に。

 モデルだ何だと持て囃されてはいるが、彼女が具体的にどういう活動をしているのか知らない。ファッション誌など、男性向け女性向け問わず興味がない。


 だからこそ、こうも熱心なファンを目の当たりにして、本当にすごい人なのだと実感する。


「しかし、うーんそっか。声くらいかけてるもんだと思ったんだけどな」

「何か親みたいだな。交友関係気にしてさ」

「そりゃ気になるだろ。あいつの楽しいが、オレの楽しいなんだ。できることは何でもしてやりたい」

「……幼馴染みってそういうものなのか」


 砂糖たっぷりなことをあまりに堂々と話すため、京介は若干引き気味に微笑を作った。琥太郎は「幼馴染みっつーか」とストローでジュースを吸い上げる。


「オレ、沙夜が好きだからな」


 小学校、中学校の頃は、誰が誰を好きとか、誰と誰が付き合っているとか、そういうものは恥ずかしい話題に分類されていた。

 故に、こうもあっさりと好意を告白され、京介は面食らってしまった。羞恥も躊躇もない、彼の声音には何の緊張もなく、純粋な気持ちだけが内包されている。


「だから、沙夜に変なことするなよ。絶対にだぞ」

「誰がするか。僕はそういうの興味ないから」

「……まあ、藤村は綾乃ちゃんとよろしくやってるみたいだから安心か」

「は、はぁ!?」

「綾乃ちゃんと仲良いから、あの時オレを追っ払ったんだろ?」

「あの時って……ぼ、僕だって気づいてたのか?」

「そりゃ道でズボン下ろしてきたやつの顔を忘れるかよ」


 へへへっ、と可笑しそうにする琥太郎。罪悪感が再燃し、京介は瞳を伏せる。


「ご、ごめん。わざとじゃなかったんだ。足が絡まって――」

「別に気にしてねえよ。綾乃ちゃんへの絡み方は、思い出すと度が過ぎてたからな。沙夜が喜ぶと思って、つい。本当に悪かった」


 ポリポリと後頭部を掻いて、「頼む。代わりに謝っといてくれ」と顔に反省の色をにじませた。

 不器用なやつだな、と思った。真面目そうな沙夜と不良にしか見えない彼が仲睦まじくできることを不思議に思っていたが、根が悪人でないのなら理解のしようもある。


「わかった。確かに伝えておくよ」


 佐々川さんとは友達でも何でもない、と彼の勘違いを訂正するのは容易いが、今はそういう気持ちになれなかった。わざわざ頭を下げているのだから、突っぱねるのは気が引ける。

 どの道、いずれ一緒に遊ぶことになる。その時に伝えればいい。


 綾乃が忘れていなければの話だが。



 ◆◇◆◇



「男女、休日、遊ぶ……っと」


 熱もすっかり下がり、気怠さは寝汗と共に溶けて消えた。

 安静にしていれば明日か明後日には学校に通えそうな体調まで回復し、まず最初に綾乃がとりかかったのは、京介と何をして遊ぼうか考えることだった。


 冷静になってこれまでを振り返ってみると、男女複数人で遊びに行った経験はあるが、二人っきりというのはない。

 こういう時に頼れる友達もいないため、検索エンジンのお世話になることにした。スマホを手に寝転がり、男女がどのように遊ぶのが一般的か調べるが、おすすめのデートスポットばかり表示され反応に困る。


(デート……デートじゃないよね……?)


 一応デートの定義について調べようと打ち込むが、何だか恥ずかしくなり全て消した。

 デートか否かなど関係ない。仮にそうであっても、楽しく遊ぶだけのこと。


「何がいいかなぁ」


 京介は買い物でもカラオケでも付き合うと言ったが、この二つはないな、と考えていた。


 まず買い物。欲しい服も靴もあるが、選ぶのに毎回時間がかかってしまう。ついでに化粧品、アクセサリーと見ていたら、それだけで日が暮れる。彼からすれば、あまりにも無為な時間となるだろう。

 カラオケに関しては、それほど上手くないので却下だ。大勢の場合は雰囲気で何とかなるが、マンツーマンでは相手の歌を聞く以外にやることがない。下手くそだな、と幻滅されるのは困る。


 あれはどうか。これはどうか。浮かぶ案は、そのどれもがシャボン玉のように膨らんでは消えた。

 遊ぶ予定を立てるだけで、こうも頭を使ったのは初めてかもしれない。時間ばかりが流れ、案は一向にまとまらないのだが、黄色い感情が口元から漏れるのはなぜだろうか。

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