第7章ー3 そばにいてほしい

 ガラガラというすさまじい音とともに、アムレットは急上昇していく。

ふいに、視界が開けた。

街だ。

そう思った瞬間、彼は空中高く放り投げられる。

その体は宙を舞い、弧を描いて地面にべちゃりと落ちる。

アムレットはうめき声一つ上げることなく、ぼんやりと周囲を眺めた。


『あ、金平糖が落ちてくる』


自分の腹から流れ出る血の上に寝そべったまま、彼はそう思った。

空からは、色とりどりの星型をした粒が雨のように降り注ぐ。

街の建物は無残に崩れ去っていた。代わりに奇妙奇天烈な形をした山車がその上を走る。

ショッキングピンクの象。

毒々しい斑点模様のキノコ。

そしてなぜか、派手な衣装のサンバダンサー。

そんなこの世界には似つかわしくない形をした巨大な山車が、イルミネーションを輝かせながら巡行していく。

さっき自分が持ち上げられたのは、この山車の一つなのだろう。


山車の下では、人間も、モンスターたちも、めいめい勝手きままなことをしていた。

アルラウネはサンバダンサーの衣装で花粉をまき散らし、夜泣き女はやぐらの上でアイドルの恰好をして歌っている。

ミノタウロスは闘牛士の恰好をして赤い布をひらひらとさせ、それに牛の角を付けた冒険者が突進していく。

その傍らでは、ビキニアーマーの女剣士に、スケルトンが求婚していた。

子どもたちは人もモンスターも関係なく、スライムをちぎって丸め、雪合戦ならぬスライム合戦をしている。

上空ではワイバーンなどの飛行モンスターが、七色の星屑をまき散らしながら飛び回っていた。

金平糖に見えたのは、これだったらしい。

このどうにかなってしまっている狂乱の中心で、エレキギターをかき鳴らしながら歌う男がいた。

目深にかぶったつば広の帽子に、鳥の顔をかたどったような銀色の仮面。

上下黒のシンプルな服に、その上から羽織った黒いマントをばさりと広げる。

間違いない。ファントムだ。

彼は山車の上に設置された巨大なアンプを背に、大声で歌い上げる。


誰からも唾を吐かれてきたの

誰からも褒めてもらえなかったの

そんな自分がいやになって

こんなセカイに飛び込んでみました

哀れなボクでも褒めてもらえて

愛してもらえるそんなセカイ


だれにも取られたくなかったよ

だれにも見つかりたくなかったよ

だけどだんだん不安になって

横取りしようと思ったのさ


転生しよう転生しよう

こんな社会飛び出しちゃって

輪廻しよう輪廻しよう

あの交差点に飛び出しちゃって


いつかはこうなるってわかっていたよ

すべてを手にするってことはこういうことなんだよ

身の丈知らずに奪い取って

こんなセカイにしてしまったのさ

愚かなボクをあざ笑って

置いてきぼりにするそんなセカイ


だれかに愛してほしかった

だれかに認めてほしかった

だから全てを失ったのさ

さまよい歩いてたどり着いた


「オラいくぞー!」


ファントムがそう叫ぶと、ポケットからタオルを取り出して頭上で振り回し始める。

すると、てんでバラバラに踊っていた聴衆たちも、同じように布を振り回しながら、ぐるぐると輪をかいて走り出す。


断罪しよう断罪しよう

こんなセカイ飛び出しちゃって

懺悔しよう懺悔しよう

あの子の前に土下座しちゃって


「fooooo!!」

延々と走り続ける有象無象の中心で、アムレットは微動だにしなかった。

ファントムは山車から飛び降りると、アムレットの体を容赦なく蹴り飛ばす。

「ぐ」

「生きてんじゃねーか」

うめき声をあげる彼を、ファントムは容赦なくつま先でつつく。

彼は男の足を振り払い、のろのろと上半身を起こした。

腹は血でべったりと汚れているが、幸い傷は開いていない。

というか、傷そのものが存在していないようだ。

「いつまでゲームオーバーごっこしてんだよ。どうせ見た目ほどは痛くねぇんだろ。さっさと立って、お前もあの子に懺悔したらどーよ」

そう言ってごきげんにタオルを振り回すファントムの顔を一瞥して、アムレットはのろのろと立ち上がる。

ちょっとは尊敬してやろうかとも思っていたが、やはりこんなものか。

ため息を吐き、ファントムに向き直った。

「ずいぶん派手なことしたもんだね。さっきも思ってたけど、チケットもないのにどうやってこんなことやったのさ」

尋ねられて、ファントムはマントの内側を広げて見せる。

よく見ると、そこには何やら紙切れのようなものが大量に貼られていた。

「これ……みんなのチケットじゃないか?」

「ピンポーン。どうせ練習で忙しいだろうから、ちょっと拝借してきたのだよ」

どうやら以前集めた『チケット持ち』の資料を基に、一つ一つ抜き取ってきたようだ。

自分一人を先に行かせたと思ったら、そんなことをしていたのか。

その執念というか微妙なせせこましさに、アムレットは呆れるのを通り越して敬意すら持った。

そういえば、自分が借りたチケットはどこにいっただろう。

懐を探ると、一台のカメラが出てきた。

これに手を触れるのも久しぶりだ。試しに、自分に向かってシャッターを切ってみた。

『HP:www.bokusaikyooo.co....』

「あらヤダ、僕ちんの黒歴史ページ見ないでよー」

ファントムはが腰をくねらせながらイヤイヤとポーズをとる。

何やってんだコイツ、と彼は睨むが、ファントムはニヤニヤと笑うだけだ。

とりあえず、再度シャッターを切る。

『HP:64』

ホッとした彼の横顔へ向かって、男はそっと耳打ちをした。

「ハッパ(happa)ロクジュウシ」

「やだ~魔王様さむ~い」

その背後で、ぷぇにっくすが突っ込みを入れた。

彼女が無事だったことを内心喜びつつ、アムレットは写真を撮り続ける。

H(ome) p(arty):え?お前呼んでないよね』

撮り直し。

『H(arry) P(otter):だまれマルフォ』

撮り直し。

『H(ot) P(ants)……』

「ああもう!」

彼はカメラを地面に投げつけた。

カメラは無残にも木っ端みじんになる。

「物に当たるなんて最低なのよ」

「あんたのせいだろうが!バグ仕込んだの分かってんだよ!」

おちょくってくるファントムに、アムレットは額に青筋を立てて掴みかかった。

こういうのは繰り返されると本気で腹が立ってくる。

しかしファントムは気にした様子もなく、そっぽをむいて口笛を吹いている。悪びれないその態度に、アムレットはため息を吐いた。

こんなことをしている場合ではない。

決意したのだ。

もう一度、アキラと話をすると。

そのためにこの教師……のようなもの……はお膳立てをしてくれたのである。

一応礼を言おうと顔を上げると、ファントムはあろうことか先ほど出てきた写真で鼻をかんでいた。

「コラ!人のステータスで鼻をかむな!」

ファントムは写真をぐしゃぐしゃに丸めて捨て、こちらに向き直る。

「アホか。いい加減こんなものにこだわるなって言うの」

「うるさい。分かった上で言ってるの」

「フフン。お前さん、その顔は一度死んで蘇ってきたな。なんかとんでもない『決意』ってやつを感じるぜ」

にやりと笑って見せるファントムに、アムレットは無言でうなずく。

「そうかい。なら、景気づけに一曲くれてやろう。飛んでいけ」

そう言うなり、ファントムはギターを構える。

アムレットも、胸に手を当てて願った。

星はいらない。

理想もなくていい。

ただ、自分の思いを届けたい。

そう願っていると、アムレットの体が白い光に包まれる。

次の瞬間、彼は大きな白いドラゴンに変身していた。

遠く女神像のてっぺんを見つめると、そこに黒い人影が見える。

彼はそこを目指し、一直線に飛び立った。

それと同時に、ファントムはギターをかき鳴らす。


今君に一つだけ 伝えたいことがあるよ

それは言葉にするのは難しいんだ

だから一晩中考えている

手紙でもメールでも スタンプでも絵文字でも

表せないのさこれは どうしても


だから今 走り出すよ

君に直接届けたいんだ

迷惑なのかもしれないけれど

受け取ってほしいんだ


今夜君に一つだけ 聞いてほしい言葉があるよ

でもうまくまとめられないんだ

それでも伝わってほしい

物語でも音楽でも 理想論でも暴論でも

表したいのさこれは どうしても


そして今 走り出そうよ

君と一緒に行きたいんだ

できないと思うのなら

やめちゃってもいいから


ほんのちょっぴり 

勇気を持ってほしいんだ

才能なんてなくていい

これから作り上げていけばいい


そうさこの一歩で

君こそが勇者なんだよ


とんでもないスピードで向かってくる白いドラゴンに、モーントは眉一つ動かさず待ち受ける。

彼も胸に手を当てると、黒く巨大な影がその全身を包み込んだ。

影が消えると、モーントはアムレットと同じくらいの大きさの黒いドラゴンへと変身する。

白と黒の二匹のドラゴンは、女神像の真上で正面からぶつかり合った。

そのすさまじい衝撃は、はるか像の下にまで伝わり、地上で踊り狂う人々を吹き飛ばす。

一方、歌い終えたファントムは山車から飛び降り、なおも狂乱状態の人々の間に割って入っていく。

彼の進む先には、何者かを延々と胴上げし続ける集団があった。

わっしょい、わっしょいと楽し気に胴上げをし続ける集団に対し、当の本人は鳴き声に近い叫びをあげている。

「やめろ、こら、下ろせ、下ろせって、ちょ、やめてください、本当に……」

一度胴上げされると、どうやっても降りられない。

そういう話をどこかで聞いたことがあるが、なるほどこういうことかと、ファントムは一人納得する。

そして集団に向かって合図をすると、彼らは「ドーン!」という掛け声とともに胴上げしていた相手を地面にたたきつける。

哀れにも地面に投げ出されたその人物は、少しも動けない様子でぴくぴくと痙攣をしていた。

ファントムはそばまで近寄ると、相手の両頬を掴んで、ぐいっと持ち上げた。

「こんちわ、新谷先生。全体練習放っといて、こんなところで何してるんですか」

にんまりと笑うファントムに、新谷はひきつった笑顔を浮かべる。

「や、やあ、逸見先生。あなたこそ、なぜこんなところに。と、というか、ここはどこでしょう。ハハ」

新谷はそう言ってごまかそうとしているが、その恰好は『ダーガー』と同じ黒い剣士姿だ。

ファントムは笑顔を崩さず、軽い口調で続ける。

「僕はただ生徒指導をしに来ただけですよ。生徒たちが勝手に授業を抜け出して、遊びまわっていると聞いてね。新谷先生もそうですか」

「あ、はい。いや、まあ、そんなところかな」

「そうなんですかあ。あ、そういえば、生徒たちの間で変な噂話が流行ってましたな。怪談みたいな。たしか……」

「『がっこうさん』、ですか」

「いえ、そっちじゃない。三階の理科室の前に出るっていう」

「あ、『るりこさん』」

「ああ!そうだそうだ、るりこさん。あれ、でも彼らは確か『ゆりこさん』とか言ってませんでしたっけ?」

ファントムの言葉に、新谷はしまった、という風に顔を硬直させる。

「不思議だなあ。『るりこさん』の噂が出たのは、僕が中学を卒業した直後くらいからですよ。僕より8つも年上の新谷先生が、なぜ『るりこさん』という呼び名を知ってるんです?」

「う、噂を聞いたのは、教師として赴任してからで……」

「新谷先生がこの学校に赴任されたのは、たしか2年位前でしたっけ。そのころには、もう『ゆりこさん』になってたそうですよ。卒業生に確認しましたから」

新谷は顔からだらだらと冷や汗を流し、ファントムから目をそらす。

ファントムは真顔のまま、じっと相手を見つめた。

「僕が中学校にいたとき、養護教諭に幅先生という方がいらっしゃったんですよ。彼女の名は確かに『瑠璃子』でしたが、下の名で呼ぶような人間はいませんでした。でもね、たった一人だけ、慣れ慣れしく下の名で呼ぶ人間がいたんですよね。『るりこさん』『るりこさん』って」

「…………」

「その人間が誰だったのか、僕はつい最近まで思い出せなかった。卒業アルバムを見ても、それらしい人物は見当たらない。そりゃそうですよ。だってあの時、彼は学校の正式な職員ではなかったわけですから」

「な、何がおっしゃりたいのでしょう」

「あんた、教員実習に来てただろう。あの時、この学校に、たった1か月だけ」

ファントムがそう言い放った途端、新谷はその場から飛び起きた。

そして以前ヴィヴィアンがやったように、手の上に魔法弾を作り出そうとする。

しかしそれを投げ放つ前に、ファントムは魔法弾ごと新谷の両手を握りこむ。

二人の手の間で、ジュウ、と肉が焼けるような音が鳴る。

その熱さに、新谷の顔が歪んだ。

「逃げんなよ。いい加減、こっちも飽き飽きしてんだ。さっさと諦めて、全部吐いちまいな」

がっちりと掴みあったまま、ファントムはじりじりと押していく。

押されていくうちに、新谷は開き直ったかのようにへらへらと笑い始めた。

「あは、あは。君がこんな風に成長するなんてなあ。王国開拓者の先輩として、こんなうれしいことはないよ」

ファントムは無言のまま舌打ちをした。

「そうだよ。勇者とは僕だ。僕こそが、彼女とともにこの王国を作り上げた、第一人者さ」

「『開拓者№2 白く気高き勇者』か。勇者どころか、やってることはまんま魔王だがな」

新谷は含み笑いを漏らし、腕に力を入れて押し戻してきた。

「るりこさんが悪いんだよ。この王国には、皆を本当の意味で幸せにする力がある。例え体は辛い現実に置かれたままでも、その精神は自由を得ることができる。なのに、彼女はそんな使い方は許さないといったんだ。幼かったころの僕は、ただ彼女の言うことに従うしかなかった」

「あんたが学生の頃の話か。先生に情けを掛けられていたってことは、相当根性がひねくれていたんだな。先生はあんたが駄目な大人にならないように、諭そうとしたのさ」

呆れた顔をするファントムに、なおも新谷はへらへらと笑いながら返す。

「関係ないね。そんなきれいごとで、この崇高な理想をあきらめるわけにはいかないんだ。だから僕は頑張った。彼女の思い描くであろう理想の大人になって見せて、もう一度会ったんだ。もちろん彼女は、僕をほめてくれたよ。でも、ノートの在処までは教えてくれなかった。とはいえ、あまり深く聞きすぎると、また怪しまれる」

「それで、俺に近づいたってわけかい。何も知らない子どもの弱みに付け込み、増長させ、思い通りに操った。それが大人のすることか」

ファントムの言葉に、新谷は今度は苛立った様子で声を荒げる。

「仕方がないだろう!このチャンスを逃すわけにはいかなかった。なのに、彼女は最後まで抵抗したんだ。だから最後の手段として、彼女が一番嫌がるであろうことをしてやったのさ」

「それが、美穂子か。お前、美穂子が窓から飛び降りようとする幻でも見せたな」

「ほんの脅しのつもりだった!愛する娘のことを心配するなら、ノートの在処を教えろと!だが彼女は僕の言葉を聞く前に、勝手に走り出してしまったんだ。事故だ。不幸な、事故だったんだ」

悲しげな顔でつぶやく新谷に、ファントムは冷たい目線でにらみつける。

「お前がノートに選ばれないわけだ。新たに何かを生み出す力も、すでにあるものを改変させる力すらも失くしたんだな。できたのは、アバターを盗んで騙くらかすことだけ。それで今度は、朝霧を利用したのか」

「あの子はとても頑張ってくれたよ!ちょっと特殊だったけど、今までの誰よりも才能がある。現実と空想の狭間の存在というのが、なによりいい。ほら、見てごらん。今もこの王国のために、敵を打ち倒そうとしてくれている」

新谷がそう言うと、上空から大きな鳴き声のようなものが聞こえてきた。

驚いて、ファントムは空を見上げる。

そこでは黒いドラゴンが、白いドラゴンの上に馬乗りになり、その首筋にかみついていた。

「金森!」

ファントムが思わず叫ぶ。

その隙を見逃さず、新谷は腕を振りほどいてファントムに殴りかかった。

寸でのところでかわすファントムに、新谷は不敵に笑う。

「油断しちゃだめだよお、魔王君!」

「うっせぇ、このエセ勇者!」

上空では、2匹のドラゴンがもみ合いを続けている。

しかし、黒いドラゴンが鋭い爪で切り裂いてきたり、とがった牙でかみついてきたりするのに対し、白いドラゴンはなんの反撃もしなかった。

ただ相手の攻撃をかわしたり振りほどいたりしながら、心の中で叫び続けていた。

『モーント、聞いて、モーント!聞こえてるんだろう!』

白いドラゴンことアムレットの叫びに、黒いドラゴン……モーントは何も答えない。

言葉の代わりに、ただ冷徹に攻撃だけを加えてくる。

『モーント……アキラ、聞いて!君はもう、主人公をやらなくてもいいんだ。僕、分かったんだよ。君が誰かの願いを叶えるためだけに、どれだけ頑張ってきたか。でももう、やめにしようよ。願いを叶えたりしなくても、君は君なんだ』

アムレットがそう言うと、モーントは少しの間空中で静止した。

銀と金、二色の瞳がしばらくの間見つめ合う。

しかし次の瞬間、モーントはアムレットの上に馬乗りになり、その首筋に噛みついた。

あまりの痛みに、アムレットは大声で叫ぶ。

『アキラ、なんで……』

『君には分からないよ。誰かの願いを叶えずして、この世に存在できない者の気持ちなんて』

二匹のドラゴンはもつれあったまま下降し、女神像の顔に激突する。

女神像の顔にひびが入り、ばらばらと崩れ落ちた。

その下から一筋の光が放たれ、空を切り裂く。

次の瞬間、雲一つなく晴れ渡っていた空に、亀裂のようなものが走った。

「なんだ、あれは!」

ファントムは新谷の攻撃をかわしながら、上空を見上げて驚く。

新谷はへらへらと笑いながら、天に向かって両腕を上げた。

その姿は、ちょうど女神像と同じポーズだった。

「あはは、あの子がやっと成し遂げてくれたみたいだね!君のおかげでもあるよ、逸見先生。秘宝とお守りの力を、ここまで持ってきてくれたんだから!」

「お前、最初からそのつもりで」

「夢のお祭り騒ぎはここまで。ここからは……」

ひび割れた空は、ガラガラと音をたてて崩れ落ち、ぽっかりと穴が開いている。

その穴に、地上のものが次々と吸い込まれ行った。

ドラゴンも、女神像も、建物も、地上の人々も。

新谷とファントムも、その穴に引き寄せられるようにふわりと浮き上がる。

新谷はゲラゲラと笑いながら叫んだ。

「僕の物語だ!」


ガタン、という音が鳴り、金森はベッドから飛び起きる。

横を見ると、パイプ椅子から逸見が転げ落ちていた。

逸見はベッドの端に捕まりながら、焦った顔で立ち上がる。

「何が起こった!?新谷は、あいつはどこに……」

きょろきょろと辺りを見回す逸見を見つめながら、金森は額の汗をぬぐう。

現実に戻ったということか。

ならば、アキラはどこに。

その時、校内放送用のスピーカーから、ガリガリとノイズのようなものが流れ出た。

ノイズは数秒で止み、代わりに男のものと思しき声が響き渡る。

『あー、あー、マイクテスト。全校生徒の皆さんに、勇者からお伝えします。ただいま保健室に、王国の敵が二人います。今より皆さんには、この者たちを捕まえていただきます。見つけ次第、捕縛してください。繰り返します。全校生徒の皆さんに……』

奇妙な放送は、延々と流れ続けている。

驚いてスピーカーを見つめ続ける金森に、逸見は「おい」と声を掛けてきた。

見ると、逸見は扉を開けて廊下の方を眺めている。

慌てて金森も同じように顔を出した。

すると廊下の向こうから無数の人影が、こちらに向かってくるのが見える。

全員が体操服を着ている。

先ほどまで体育祭の全体練習をしていたはずの、生徒たちだ。

彼らは一様に焦点の合ってない目をしており、口々になにかをつぶやきながら歩いてくるのだ。

よくよく耳を澄ますと、「王国の」「敵を」「つかまえろ」などと言っているらしかった。

二人は息をのみ、保健室を飛び出した。

それと同時に、ドタドタと大勢の人間たちが走り出す音が響き渡る。

「先生、どうしましょう!このままじゃ僕ら、あいつらにやられちゃう!」

「落ち着け金森!新谷はきっと放送室にいるはずだ。向こうに捕まる前に、奴をとっ捕まえればいい!」

「でも、放送室は4階ですよ!」

「だから気張って走れ!」

二人は廊下を走り、奥の階段へと向かう。

しかし、行く手を阻むかのように他の生徒たちが姿を現す。

「嘘だろ!?」

二人は急旋回し、東校舎への渡り廊下へと逃げる。

この学校は西校舎と東校舎に分かれており、先ほどいた保健室と放送室は西校舎にある。

二つの校舎を繋ぐ渡り廊下は、1階と2階にあった。

走りながら、金森は逸見に問いかける。

「せ、先生。どうやって戻るんですか!?2階から行っても、待ち伏せされちゃいますよ!!」

「今考えてんだよ!お前も頭使え!」

叫びつつ逸見は白衣を脱ぎ、どこからか取り出したライターで火をつける。

それを天井に設置された火災報知器にむかって投げつけた。

すると辺りにベルの音が響き渡り、天井からスプリンクラーの水が放射された。

水は辺りを水浸しにし、床を滑りやすくさせる。

背後で、何人かが足を滑らせる音が聞こえた。

どうやら将棋倒しになっているらしく、バタバタと転ぶ音が続く。

「ああ、頼むから病院沙汰は勘弁してくれよ……」

走りながら逸見は天を仰ぐ。

二人は階段をのぼり、渡り廊下を走る。

しかしそこへ、西校舎の階段を上ってきたと思しき集団が立ちはだかった。

すると、今度は金森が隅にあった消火器を手にし、彼らに向かって発射した。

白い噴煙が彼らの視界を一瞬塗りつぶすと、逸見は展示用の白い石膏ボードを投げつける。

車輪の付いたボードは、濡れた床を勢いよく滑り、大きな音を立てて集団にぶち当たった。

二人は『第××回 卒業旅行』などと書かれたボードの下敷きになっている生徒たちを乗り越え、西校舎へと戻る。

廊下にもすでに数名の生徒がいたが、逸見も消火器を手に取り、辺りを煙幕で満たしながら彼らを撒いていく。

ようやく階段に差し掛かり、二人は追いかける生徒たちに噴煙を吹きかけながら駆け上がった。

途中で煙が無くなると、消火器自体をを下に転がして、向こうの足をさらった。

やがて3階を通り過ぎ、4階への階段を半分ほど登ったところで、金森の足が急に滑った。

「あっ」

声を上げた瞬間、金森は階段を滑り降り、3階まで落ちてしまっていた。

階下や廊下からは、なおもゾンビのような生徒の集団が追いかけてくる。

「金森!」

階段の上から、逸見が叫ぶ。

金森は顔を上げ、逸見の方へ声を張り上げた。

「行ってください、先生!」

「だが」

「早く!追いつかれちゃう!」

そうこうしている間にも、金森のもとに生徒たちがわらわらと集まってきていた。

先頭を走ってきた女生徒の一人が、金森の肩を掴む。

水出だ。

彼女は焦点の合わない目で、こうつぶやいた。

「よくも、兄さんを」

「…………!!」

彼女の後ろから、ほかの生徒たちが走り寄ってくる。

「裏切り者」「捕まえろ」「処刑だ」「首を斬れ」

彼らは口々にそうつぶやきながら、金森を取り囲む。

「金森ー!!」

焦った顔の逸見が、階段を降りてきた。

金森を取り囲んでいた生徒たちが、一斉に逸見の顔を見る。

その異様な光景に、逸見は引きつった顔で立ち止まった。

だが次の瞬間、スピーカーから再びガリガリとノイズが響き渡る。

突然流れ出た雑音に、生徒たちはきょろきょろと辺りを見渡した。

すると、今度は女の声で歌のようなものが流れてくる。

歌詞はない。

だがその歌声に、金森は聞き覚えがあった。

歌が校内中に響き渡り、生徒たちは皆スピーカーを見つめ続ける。

すると、彼らはやおら立ち上がり、一斉に同じ動きを始めた。

踊っている。

スピーカーの歌に合わせ、彼らは一糸乱れぬ動きでダンスを始めた。

金森は信じられないという目でしばらく彼らを見つめ続けていたが、頭上から逸見に声を掛けられ、我に帰る。

「行くぞ!今のうちだ!」

「は、はい!」

何が起こったか分からないが、好都合だ。

二人は階段を登り切り、4階の階段をひた走る。

その時、流れ続けていた歌声が突然途切れ、悲鳴のようなものが聞こえてきた。

バタバタと何かがぶつかるような音や、物が壊れるような音が続く。

「まずい!」

逸見は焦った顔で叫んで、全速力で廊下を駆け抜けた。

あまりの速さに、金森は置いてきぼりをくらう。

逸見は突き当りにある放送室の前まで来ると、分厚い扉を蹴り開けた。

「てめえええ!」

大声で叫びながら、逸見は部屋の中に飛び込んだ。

慌てて金森も後に続く。

中では、逸見と新谷が互いに大声を上げて掴みあっていた。

その傍らでは、悲鳴を上げ座り込む幅美穂子の姿があった。

「あ……」

どうしたらいいか分からず、金森も入り口の当たりで立ち止まる。

しかし、放送室の奥で立ち尽くすアキラの姿を見つけ、慌ててそのそばへ駆け寄る。

「アキラ、アキラ……」

金森はアキラの肩を掴み、揺さぶる。

しかしその顔は放心しきったように微動だにせず、金森の声も聞こえている様子はない。

一方で、逸見は新谷の首にスリーパーホールドをかけていた。

必死で抵抗する新谷だったが、やがて白目をむいてその場に崩れ落ちる。

新谷が動かなくなると、逸見も力が抜けたようにその場に膝をついた。

「へ、逸見先生……」

ずっと悲鳴を上げ続けていた幅も、我に返ったように逸見の方へと這いずってくる。

逸見は汗でぐしゃぐしゃになった髪をかき上げ、幅に向き直る。

その顔を見た途端、幅の目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。

「ご、ごめんなさい、私、私……」

「なんで謝る。謝るのは俺の方だろ」

「違うんです。私、母の死因を探るなんて言っておいて、本当はただもう一度母に会いたかっただけだったんです。それでこの人に付け込まれて、記憶も何もかも失って、あなたに拾われて……」

幅は嗚咽を漏らしながら、告白し始めた。

母の知り合いだといわれ、形見のノートを新谷に渡してしまったこと。

夢の中で、ヴィヴィアンと名乗る母とうり二つの女に会ったこと。

つい彼女を信頼してしまい、自分の星……記憶を奪われたこと。

名前すらも忘れ、現実に帰れなくなってさまよっていたところを、ファントムに拾われたこと。

しかし実はヴィヴィアン……新谷に操られており、こちらの行動の全てが筒抜けになっていたこと……。

「私、怖かった。いつかあなたに全てバレてしまうんじゃないかって。一番に愛しているようなふりをしながら、誰よりもあなたを憎んでもいたから。でも、い、今は……」

幅は泣きながら、逸見の体を抱きしめる。

逸見は一瞬驚いたような顔をしたが、やがておずおずと幅の体を抱き返す。

ボロボロの状態で抱き合う二人を見つめながら、金森はため息を吐いた。

これで、終わったのだろうか。

改めて、アキラの方に顔を向けた。

その目は相変わらず、どこか宙を見つめている。

「大丈夫?ケガはない?」

とりあえず、声を掛けてみる。

すると、アキラの口が小さく動いたように見えた。

「え?」

何かつぶやいたように聞こえたが、うまく聞き取れなかった。

改めて口元に注目してみる。

「おにいちゃん、だめ」

そう言ったように聞こえたかと思うと、背後からいきなり激しい音が聞こえた。

驚いて振り向くと、気絶したはずの新谷が立ち上がり、椅子を掴んで逸見を殴り倒している。

驚いて動けない幅を押しのけ、新谷はマイクを手に取った。

「王国の敵を、殺せ」

それだけ言うと、新谷は金森たちの方を振り返る。

瞳孔の完全に開ききった眼が、金森の顔を捉えた。

突然のことに、金森は何もできない。

すると新谷は金森を突き飛ばし、アキラの手を取って部屋を飛び出していった。

「ア、アキラ!」

金森は慌てて立ち上がると、その後を追って廊下に飛び出す。

見ると、新谷は廊下の角を曲がり、階段を上っていく最中だった。

この向こうは、屋上しかない。

胸騒ぎを覚え、金森も続いて階段を駆け上った。

そこは本来立入禁止のため、踊り場のあたりに大量の机と椅子が積まれている。

しかし新谷は器用にもアキラの手を引いたまま、すでにその向こう側に到達していた。

「待て!どこへ行くんだ!」

下から金森が叫ぶと、新谷はちらりと振り返って、積み上げられた机の一つを蹴る。

バランスを崩した机の山は、ガラガラと音を立てて金森の方へと一気に雪崩れてきた。

金森は慌てて横へ跳んだ。

机はその数センチ手前を横切っていく。

階段の上を見上げると、新谷は扉を開けて外に出るところだった。

「おい、金森!大丈夫か!」

階段の下の方から、逸見の声が聞こえた。

見ると、額から血を流した逸見が、幅と共にこちらを見上げている。

「先生!新谷とアキラが屋上に!」

「なんだと!今行くから……」

逸見がそう言いかけたところで、廊下や階段のさらに下の方から、バタバタと何かが走り寄ってくる音が聞こえた。

先ほどの放送を聞いて、再び生徒たちがこちらの方へ向かっているらしい。

逸見と幅は互いに顔を見合わせると、同時にうなずいて防火扉に手を掛けた。

「先生!何をしてるんですか!?」

「俺たちはここでこいつらを食い止める!お前は先に行って、あいつを止めてきてくれ!」

「そんな……」

「早く行け!」

閉じられた防火扉の向こうからは、すでに多くの生徒たちが拳をたたきつけるような音が聞こえている。

二人は扉に体を預け、必死に食い止めているようだった。

その様子を見て、金森は強くうなずいた。

「分かりました!二人とも、気を付けて!」

金森は崩れた机の山を慎重に上り、階段を駆け上がる。

開け放たれたままだった扉から、屋上へと躍り出た。

激しい風が、体を煽る。

外の太陽光が目を刺し、一瞬視界が悪くなる。

「どこだ、新谷!どこにいる!」

見えにくい目を必死にこらしながら、金森は声を張り上げた。

見渡す限り、人影のようなものは見当たらない。

すると、頭上から声が聞こえてきた。

「どこ見てんだよ、マル。こっちだ」

振り返ると、自分が出てきた扉の上……貯水槽のある場所に、新谷は仁王立ちになっていた。

しかしその顔は、さきほどとは打って変わり穏やかである。

脇には、気絶したように動かないアキラの体が抱えられていた。

金森は、彼の放った言葉に違和感を覚えた。

「マル、だって?」

金森の問いかけに、新谷はにやりと笑って見せた。

すると、ぐったりとしていたアキラが顔を上げ、ぼんやりと辺りを見渡す。

その目が金森を捉えると、驚いたように声を上げた。

「そこにいるのは、もしかしてラケルタ?ていうか、ここどこ?あなたは?」

アキラは、自分を抱えている新谷の顔を見上げ、おびえたような表情を見せる。

金森は彼女と新谷の顔を見比べて、頭の中で何かがつながった。

「そうか、お前がアキラなんだな」

金森は新谷の目を見据え、そうつぶやく。

新谷……アキラはその言葉に、ゆっくりと頷いた。

となれば、今抱えらえているのはひかるだろうか。

「新谷の体を奪って、何をする気なんだ!ひかるを離せ!」

「そう怒るなよ。お前の希望通り、ちょっと話をしてやろうと思ったんだ。な、『晃(ひかる)』?」

アキラにそう問われて、ひかるは驚いたように目を見開く。

目の前にいる男が兄であるということが、信じられないらしい。

アキラはひかるを小脇に抱えたまま、背伸びをしたり手を開いたり閉じたりして見せる。

「しかし、現実の男の体っていうのも、思ってたほどいいものじゃないな。ちょっと力が強いくらいで、大して面白くもない。ばあさんはなんで、こんなものに執着してたんだろう」

「兄さん、なんで……」

「なんで、って?そりゃあ、お前が望んだからだよ。自分を自由にしてくれる、元気なお兄ちゃんが欲しい。大好きな男の子を救ってくれる、ヒーローみたいな存在が欲しい。こうすれば、なんでもではないけれど、まあだいたいは叶えてはあげられるだろ?」

そう言って微笑んでくる『兄』に、ひかるは恐ろしいものを見るような目を向ける。

しかしアキラは気にした風もなく、金森に向き直った。

「さて、マル。君はどうしたい?どんな物語が欲しい?星を操る力も、今なら返してあげられる」

「そんなものいらない!」

金森は精いっぱいの力を込めて、アキラに叫ぶ。

「新谷の理想なんて知らない。他の皆が何を願ってるかも、どうでもいい。ただ僕は、君に主人公なんて役回りをやめてほしいだけだ」

「まだそんなこと言ってるのか。何の力もないくせに、自分が主人公にでもなったつもりかよ」

「違う!」

「ならなんだ!」

「友達だからだ!」

金森の言葉に、アキラは一瞬声を詰まらせる。

「友達、だって?」

顔を歪ませるアキラに、金森は無言で頭を縦に振る。

すると、アキラは声を上げて笑い始めた。

「あんな戯言、まだ信じてたのか。言ったはずだぞ。俺はひかるのために、友達のふりをしてやっただけだ。なのに」

「君がそう思ってなくても、僕は友達だと思ってる」

「くどいぞ!そんなこと言って、自分に酔うな。分かってるだろ。俺は願いから生まれた者だ。願いを叶えることができなければ、見捨てられる。お前とは違う」

アキラの顔は、ここからではよく見えない。

しかしその声は、心なしか震えているように聞こえた。

金森は目をつむり、以前聞こえたあの優しい声を思い出す。

『彼もあなたと同じ。実は誰よりも、自分自身が救われたいと願っている』

大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

負けてはいけない。頭を上げ、逆光になったアキラの顔を見上げる。

「違わないよ。本当はね、僕もそうなんだ。母さんの願う、弱い息子でいなければならない。クラスの皆が思う、ドジでのろまな僕が本当の僕。王国でも、いてもいなくても同じなのが、僕なのだと思っていた。でもそうじゃない。そうじゃないって、ほかでもない君が教えてくれたんだよ」

「ば……」

ばかじゃないか、と言いかけて、アキラの口が閉じる。

言葉が続かないのだ。

「だから、自由になって。他の誰かの願いを映すんじゃない。君自身の、君が思い描く願いを聞かせて。僕が願うとしたら、それだけしかない」

「…………」

アキラは無言で立ち尽くしている。

すると、傍らのひかるが涙声で語り掛けた。

「兄さん、私からもお願い。もう、私や王国にこだわらないで。これからは、兄さんのしたいことをしていいの。だから、その男の人を解放してあげて。もう一度、二人でやり直しましょう」

「アキラ。もし君が本物の人間として、男として生きたいと願うのなら……。僕の体を使ってもいい。だから、そこから降りてきてよ!」

二人同時にそう言われ、アキラは困惑したようにそれぞれの顔を見る。

しばらく考え込むように、親指をこめかみに当てた。

そしてやおらひかるの体を両腕で抱きかかえると、金森の目の前に飛び降りた。

突然の行動に、金森は思わず目をむく。

アキラは複雑な表情を浮かべたまま、そっとひかるを下した。

彼は友と妹の顔を交互に見つめ、優しく微笑む。

金森も、安堵したように微笑み返した。

すると、アキラが口を開いた。

「なあ、マル」

「なに?」

「妹を……ひかるを、頼むな」

「え?」

そう呟いたかと思った瞬間、アキラは井森たちの横をすり抜けて走り出す。

向かう先には、自殺防止用の背の高いフェンス。

アキラはそれに手を掛け、勢いよく登りはじめた。

経年劣化か、あるいは彼の体重のせいか、フェンスは赤さびをあたりにまき散らしながら、ギシギシと音をたてて揺れる。

我に返った金森は、慌ててアキラの後を追いかける。

「駄目だ、アキラ。そんなの許さない!」

アキラはフェンスの向こうにある柵に足を掛け、今にも乗り越えようとしている。

金森はフェンスの網越しに彼の服を掴み、一生懸命引き留めた。

しかし、大の大人の体は、想像以上に重い。

「う、駄目、駄目だ、うう……」

そこへ、ひかるも加勢して一緒に引き戻そうとする。

しかしなおも、彼の体は向こう側へと傾いていく。

すると、扉の向こう側から逸見と幅の声が聞こえた。

「おーい、無事か!何があった!」

「せ、先生!助けて、アキラが、落ちちゃう……」

「うぇ!?」

駆け寄ってきた二人も加わり、少しずつ彼の体はこちら側へと引き寄せられていく。

金森は力を入れるために固くつむっていた目を、薄く開けた。

その時、引き寄せられる新谷の体の向こうで、何かがずるりと垂れ下がってくるように見える。

よく見ると、それはひかるとうり二つの姿……『アキラ』のようだった。

「え……?」

「よし、あと少しだ!こっちに来い!」

自分の背後で、逸見が声を上げる。

新谷の体がこちらに近づくにつれて、『アキラ』はさらにずり下がっていくようだった。金森は思わず新谷から片方の手を放し、『アキラ』の方へと手を伸ばす。

「うわっ!コラ、何してる!」

バランスを崩しかけ、逸見が怒号を上げる。

金森はその声を無視し、『アキラ』の体を掴もうとした。

だが、その手は空しく空を掴む。

その時、金森は『アキラ』と目があったように感じた。

彼の口が、なにかをつぶやくように動く。

『ごめんな』

そう言ったように思えた次の瞬間、『アキラ』は地上に向かって真っ逆さまに落ちていった。

「アキラああああ!!!」

『アキラ』の体は、地上に当たって粉々に砕け散る。

その破片は、まるで金平糖のように、辺りに舞い上がった。

放心する金森の傍らで、大人2人はやっとのことで新谷を内側へと引き入れる。

彼らの目には、この星が見えていないらしい。

ぼんやりと宙を見つめる金森と、焦点の合わない目をしている新谷を、困惑した様子で交互に見つめている。

一方で、ひかるは何が起こったかを承知した様子で、金森にそっと寄り添った。

星はなおも降り注ぎ、辺りで倒れている生徒たちの中へと溶け消えていく。

その中でも、特別大きい二つの星が、ひかると金森の前にふわりと落ちてきた。

「あ…………」

真っ白な星と、真っ黒な星だ。

その内、黒いほうがひかるの胸の中へと消えていった。

ひかるは金森の目を見つめると、白い星を井森の方へ差し出す。

「受け止めて。これが、兄さんの本当の『願い』」

井森は星を受け取ると、強く抱きしめた。

星はひと時輝いたかと思うと、やがてその胸の中に溶けていく。

しばらくの間、金森はそのままの姿勢で固まっていた後、床に手を付き、大声で泣き始めた。

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