第6章ー2 会いたいですか

 逸見は少しの間考え込み、やがてぽつりぽつりと話し始めた。


十四年前のこと。

逸見はこの学校に通う、普通の中学生だった。

とはいえ、本人は決して自分が普通だとは思っていなかった。

いい方向にではない。

悪い方向にだ。

根暗で、勉強はろくにできず、運動神経もない。

クラスメイトと交流するような社交性も持ち合わせていなかったので、昼休みはいつも保健室に通っては、隠れてゲームをしていた。

そんな折、養護教諭の女性に持ち込んでいたゲームを見つかってしまう。

説教されるものと思い緊張したが、彼女が放ったのは意外な言葉だった。

「こんなものよりも、もっと面白いことをしない?」

そう言って彼女が持ち出してきたのは、あの黒いノートだった。

中には様々な物語の設定が書き込まれてはいたが、ほとんどのページが白紙だった。

彼女はその白紙のページを指さし、こうささやいた。

「ここに、あなたの物語を書き込むの」

最初は訳が分からなかったが、ゲームのことをほかの教師や両親に知られるよりかはいいと思った。

設定自体はゲームと似通ったところもあったので、あとは自分の理想とするキャラクターやモンスターなどを好き勝手に書き込んでいった。

その時は、ただこの保険医が自分とコミュニケーションを図りたいばかりに、書かせたのだろうと思った。

しかし。


その夜、逸見は夢を見た。

どこまでも広がる草原。

砂漠。

街。

城。

そして、自分が生み出した人間や、モンスターたち。

その中で、魔女の恰好をした人間が一人、自分を待っていた。

彼女は『ヴィヴィアン』と名乗ったが、彼にはその正体がすぐ分かった。

あの養護教諭だ。

彼女はこの夢はあのノートと繋がっており、自分が考えたことが叶えられると教えてくれた。

逸見は最初こそ驚いたものの、すぐこの世界の虜になった。

それからは、昼は設定や物語を考え、夜はヴィヴィアンとともに王国を造る日々が続いた。

それは、今まで彼が経験したことのない、幸福な日々だった。

というのも、彼は学校はもちろん、家でもずっと一人だったからだ。

母親を早くに失くし、彼はずっと父と二人で暮らしてきた。

しかし父との仲は良好とは言えず、その上父はそのころ再婚していた。

新しい母を母と思えなかった彼にとって、ヴィヴィアン……保険医と送る王国での暮らしの方が、ずっと本物の家族のようだった。


しかし、その日々も長くは続かなかった。

保険医が妊娠し、近く産休で学校を離れることになったせいだ。

それは、彼にどうしようもない絶望をもたらした。

保険医はこの王国での経験をもとに、現実世界での友達作りを進めたが、そんなものは耳に入らなかった。

それよりも、どうすれば彼女との暮らしを手放さずにいられるのか。

どうすればまたあの暗い学校生活に戻らずにいられるのか。

そんなことばかり考えるようになった。


そんな折、彼の願いを叶えるアイテムとして機能していた、『お守り』が彼に語り掛けてきた。

そのころはまだ『お守り』は今のように二つに割れておらず、二匹のドラゴンがお互いの尾を噛み合う、円環のような形をしていた。

『お守り』の声は、自身を『勇者の思念』と名乗り、自身も昔この王国を作るのに携わったことがあるものだと説明した。

しかし自分もある理由でこの王国から追い出され、ずっと無念に思っていたと話したのである。

そして『勇者』を名乗る者は、逸見にこう持ち掛けた。

「彼女だけがノートを独占するなど、ずるい話ではないか。君こそが、この王国を管理するにふさわしい。ノートの力を開放し、他の皆の願いも叶えてやろう。そうすれば君は尊敬され、この王国の神となる」と。

最初は見知らぬ『勇者』なる者の言葉に疑いを持たなかったわけではなかった。

だが、『勇者』のもう一つの言葉に、逸見は心を揺り動かされてしまった。

「王国の力を使えば、君の本当のお母さんにもう一度会わせてあげられる」と。

追い詰められていた逸見は、この提案に乗ってしまった。

自分の城の地下に秘密の部屋を作り、そこにこの王国の力を奪い取る術式を構築した。

そしてそこに至る道に迷宮を作り上げ、『ダンジョン探検』と称して他のクラスメイト達を誘った。

ノートの切れ端を渡しておけば、全く王国に関係ない者でも入れるという、『勇者』の入れ知恵だった。

彼らは驚くほど簡単に『ダンジョン探検』にはまり、ノートの切れ端はだんだんと学校中に出回るようになった。

そうして王国内に出入りする人間を増やし、彼らの精神力や想像力を搾り取っていった。

もちろん、それにヴィヴィアンが気づかないはずがなかった。

だが、その時にはすでに集められた力はかなりのものになっており、あとは術式を発動するだけになっていた。

この魔法を使えば、もう苦しまずに済む。

そう信じて逸見は、止めに来たヴィヴィアンを傷つけてすら術を使った。


しかし、結果は彼の予想とは正反対のものだった。

気が付くと、彼は現実世界の学校に戻っていた。

ノートはどこに行ったのかと学校をさまよっていると、なぜか養護教諭が廊下をふらふらと歩いている。

不審に思い見つめていると、保険医は突然どこかを凝視し、「美穂子、ダメ」とつぶやいた。

そして次の瞬間、なぜか開いている窓の方へと走り出した。

逸見は止めようと慌ててその後を追った。

しかし間に合わず、彼女はそのまま窓から身を乗り出すようにして、下へと落ちていった。


即死だった。

妊娠していた子どもも、亡くなってしまった。

逸見は恐ろしくなり、その場から逃げ出した。

それ以来、ノートのことも、『王国』のことも、誰にも話したことはない。

不思議なことに彼女が死んで以降、出回っていたはずのノートの切れ端も消えてしまった。

『ダンジョン探検』のことすら、覚えている者はいなくなった。

『勇者』が何者だったかも、結局分からずじまいだった。


「そんな……」

逸見の話を聞いて、金森は絶句する。

まさか、王国のせいで人死にが出ていたなんて。

「だから、生徒たちの間でまた『王国』が流行し始めているのを見て、居てもたってもいられなかった。『王国』に入り浸っててそうな生徒が保健室に来た時に、問いただしたりもした。しかしあいつらの耳には、俺の話が入らない。だからこっそり『チケット』を抜いたりしていたんだよ」

「じゃあ、僕の『チケット』も」

「すまん。だが、そんなことで収まるはずもなくてな。それでもなんとか、朝霧が首謀者らしいことは分かったんだ」

「それで、晃にも説得を?」

「ああ。だがほかの連中と同じように、言われたことが頭に入らない感じだった。しかしあの様子だと、全て分かった上で演技をしていたのだろうな。ノートの在処も分からなかったし、あとは直接王国に乗り込むしかなかった」

ノートは、晃がずっと家で大切に保管していた。

学校に持ってこない以上、家に盗みに入りでもしない限り取り上げることはできない。

「それで先生は、『王国』でバグをまき散らすようになったんですか」

「今『王国』で俺にできることは、それくらいしかないんだよ。新しく何かを生み出すことはできず、ただ既存のものをねじまげることしかできない。それでも、本当の意味での『愚者の王』にならなかっただけましだ。まだこうして、誰かに言葉を伝えることができる」

逸見の言葉に、金森はピンと来た。

「『愚者の王』?それって、『ばかものの王』のことですか?」

その単語を聞いて、逸見は目を見開く。

「お前、あの本を読んでいたのか」

「は、はい。といっても、つい昨日の話なんですけど……。実は、その」

歯切れが悪そうにする金森に、逸見はじっとその続きを待つ。

金森はためらいがちに、告白した。

「図書館の幅先生に渡されたんです。どうしても、読んでほしいって」

「なに!?」

相手が急に顔を近づけてきたので、金森は思わずのけ反る。

しどろもどろになりながら、なんとか話を続けた。

「でも、なんだか様子が変だったんです。途中まで普通に会話してたかと思ったら、急になにもしゃべらなくなって」

「そうなのか。あいつが……」

何かを思案するように、逸見は宙を見つめる。

そういえば、彼はよく幅と喧嘩をしていた。

「あの。さっきの先生の話の中で、その、『美穂子』って名前が出てきた気が」

「……察しがいいな。俺の知るヴィヴィアンの本当の名前は、幅瑠璃子。司書の幅美穂子の母親だ」

瑠璃子という名前に、金森は聞き覚えがあった。

地下室の時はきちんと思い出す余裕がなかったが、今なら思い出せる。

「るりこさん。あの怪談のお化けが、幅先生のお母さんだったなんて」

「何だ、怪談って」

「新谷が前に話してたんですよ。三階に出る保険医の幽霊の噂。僕らは『ゆりこさん』だと思ってたけど、自分たちの時は『るりこさん』だったって。今やっと思い出したんです」

あの新谷がねえ、と逸見は鼻を鳴らす。

金森は気にせず続けた。

「ヴィヴィアンが幅先生に似てたのは、そのせいだったんですね。じゃあ、幅先生がヴィヴィアンと名乗って、晃にノートを渡したんでしょうか」

「それはあり得る。だが、それだけでは朝霧が『勇者』の名を出した理由が分からない。俺があの『勇者』と出会った頃、幅はまだ10歳くらいだったはずだ。例えノートを渡してヴィヴィアンを名乗っていたのが幅だったとしても、それだけでは説明がつかない」

金森は考え込んだ。

一度に大量の情報が入ってきて、理解が追いつかない。

ふと、金森は自分が持ってきたカバンに目がいった。

そうだ、そもそも自分はこれを見せるために保健室まで来たのだ。

金森はカバンの中を探り、中から本を取り出した。

「これ、昨日幅先生に渡されて、とりあえず最後まで読み切ったんです。『あなたなら気付ける』って言われて。でも、一体何に気付けばいいのか分からなくて。先生は、何かわかりませんか?」

「……ふむ」

本を手渡され、逸見はページをパラパラとめくる。

時折、手を止めてしげしげとページを眺めたりしながら、しばらくの間無言で本を眺めた。

そして本を閉じると、金森の目をまっすぐに見つめる。

「なあ、金森。お前はこれを読んで、どう思った。何を感じた」

言っている意味が分からず、金森は首をかしげる。

本自体に取り立てておかしなところはなかった。

「だから、僕には分からなかったって」

「そうじゃない。この『物語』を読んで、お前が気づいたこと……疑問に思ったことでもいい。何かないか」

感想を言えということだろうか。

そんなことをしている場合ではないのに。

しかし、逸見の真剣そうな目を見て、金森は迷いながらも答える。

「面白い話でした。でも、とても怖い話だと思いました」

「怖い、か。それはどこが」

「今の王国に、少し似ているからかな。先生の言っていた『愚者の王』ではないけど、願いを叶える度に記憶を失って、そのことに気づけないとか。でも、それだけじゃなくて……」

言いかけて、金森は言葉を詰まらせる。

なぜか分からないが、胸が苦しい。

その様子を察して、逸見が声を掛ける。

「無理をするな。自分の言葉で、ゆっくり考えろ」

「だ、大丈夫です。この話の主人公は現実に友達がいなかったけれど、物語の中で友達を得るわけですよね。でも、望みを叶えるたびに傲慢になっていく主人公を、友達は止めようとして、剣を向ける。主人公はそれに怒って、反対に友達を……」

話しながら、感情が高ぶるのを感じる。

それを抑えつけるように、自然と拳に力が入った。

爪が手に食い込む痛さで、あふれそうになったものを押し戻す。

逸見は無言で金森の拳の上に自分の手を重ねた。

「続けられるか」

金森は大きく息を吸い込み、言葉を吐き出す。

「そのあと、結局主人公は全てを失って、さまよって……。でも、最後に助けに来てくれたのは、あの友達だった。彼はあんなことをされたのに、許したんです。それはとても素晴らしいことで、でも、晃は、たぶん」

「許してくれないと思っている?」

「……はい。それが、恐ろしいというか、悲しくて」

ぶるぶると震える金森に、逸見はうなずきながら返した。

「なるほど。お前さんは今、晃と仲直りしたいと思っているのか」

「そう、なのかな。でもそれは不可能なことです。晃は僕を絶対に許さないだろうし、僕もそんなことはできないと分かってるし」

「何を言うんだ、金森。お前さん、答えを見つけたんだぞ」

「え?」

何のことか分からない、と金森は眉根を寄せる。

しかし、逸見は真剣な表情のまま金森を見つめていた。

「友達を助けたいと思っているんだろう。自分を見失って、暴走していく朝霧を止めたいと思っている。なら、答えはもう出ているようなものじゃないか」

「そんな、僕なんか」

「なんか、なんて言うな。友達を救うために、最強の力だの、すごいステータスだのが必要か?物語をもう一度思い出してみろ。重要なのは、真の望みに気付くことだ。お前はそれを見つけた。なら、朝霧の真の望みとは何だと思う」

「それは……」

金森の頭の中で、記憶と夢がぐるぐると回る。

そういえば、ドラゴンの心臓や目玉を手に入れたとき、奇妙な夢を見た。

いつもそばに『片割れ』なる存在がいて、『自分』はそれのために何かを必死で願い続けていた。

手に持った鐘。

厳しい祖母。

仏壇。

木の箱。

『光明童子』の文字……。

「ああ!」

金森が突然大声を上げたので、逸見は驚いたように目を開いた。

「先生、秘宝です!秘宝が鍵なんだ!」

「は?なんだって?」

話が急に飛んだので、逸見は理解し辛そうに顔をしかめる。

相手がそんな風になっているのにもかまわず、金森は興奮したように自分が気づいたことをまくしたてた。

とはいえ、それはあまりに荒唐無稽だったし、金森自身が考えを整理できないのもあって、かなり突飛な話だった。

しかし、逸見は口をはさむことも反論することもなく、最後までずっと黙って聞いていた。


やがて金森が喋り終えると、逸見は何かを考え込むようにしばらく天井を仰ぐ。

そして、またゆっくりと金森に向き直ると、淡々と話し始めた。

「今言ったことを整理するとこうなる。あのダンジョンで手に入れた『秘宝』とは、朝霧の遠い記憶を封じたものだ。それを不用意に開けたお前さんは、朝霧の記憶が混ざった状態になった。それがドラゴンの心臓や目玉となって、再びお前さんに融合した時に、夢となって現れたと」

「そうです、そうです」

「そして記憶が本当だとすれば、朝霧は『片割れ』とやらのために何かをさせられていたわけだ。お前さんはその『片割れ』がニコだったと考えた」

「ええ。ニコは女神で、女神は晃の双子の妹のはずです」

「その考えが当たってるとすれば、あいつが言う『お互いが自由になる』という考えにも合点がいく。あの魔法陣を使おうとしていた理由にも、な。だが、お前さんはその考えでいいのかい」

「…………」

金森は黙り込んだ。

魔法陣は死者をよみがえらせる。

晃の願いがそれだったとすれば、ニコとは、つまり。

逸見もその点は合致しているようで、言い出しにくそうに続ける。

「追い打ちをかけるようで申し訳ないが、この学校に朝霧の妹なる生徒は存在しない」

「えっと、それは王国にずっと居続けるあまりに、皆から忘れ去られたとか」

「そんな現象は聞いたことがないな。それだけは、事実だ」

二人の間に、沈黙が流れる。

前々からなんとなく予感はしていたが、いざ現実として認識すると、胸のあたりがずんと重くなる。

彼女のあっけらかんとした笑顔が思い浮かび、金森はうつむいた。

すると、逸見は自身の膝に手を置き、勢いよく立ち上がる。

「確かめに行こう。お前さんが言っていた光明、なんちゃらって書かれた木の箱が本当にあるかどうかを。今度の土日は空いてるか?」

「え、大丈夫ですけれど……。でも、どこにあるか分かるんですか?」

「知らん。だが、その夢が本当に朝霧の記憶なのだとすれば、あいつの経歴を辿って行けば分かることだ。んっふふ、面白くなってきたぞお」

そう言いながら、逸見はにやりと笑う。

その不敵な笑い顔も、本当は不安をこちらに伝えさせないための強がりなのだろうと、金森は感じ取った。

きっと、王国にいるときからずっとそうだったのだろう。

めちゃくちゃだが、彼は彼にできるなりのことをしてきたのだ。

なら、自分もできる限りのことをしなければならない。

胸に手を当て、そこにいるかもしれないニコに誓った。

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